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<経産大臣指定伝統的工芸品> 神奈川 箱根寄木細工

2021-03-15 06:46:34 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「箱根寄木細工」

 幾何学模様の不思議な宇宙、寄木細工
 「天下の険」と歌われた箱根の山は、険しいだけでない。その懐は広く深く、慈母を思わせる森には多種多様の樹木が育まれてきた。それらの木々を材料として作られているのが、箱根寄木細工である。矢羽根、三桝(みます)、乱寄木、ウロコ、剣花、紗綾形(さやがた)……。さまざまな幾何学模様が連続し、不可思議な寄木の宇宙を創り出す。
細かい紋様の茶や白や黒、黄や赤の色を表現しているのが種類の違う木だと気づいたとき、思わず漏れ出るため息。首都圏に住む人なら、箱根といえば寄木細工を連想するだろう。が、いったいどれほどの人が、本物の精緻さ、みごとさに触れているだろうか――。


 寄木細工は鉋が命
 「あの頃は、個々が自分の能力を生かして職業を選ぶなんて、そんな甘い時代じゃあなかったね。俺の場合も親父が寄木細工職人をしていたから、必然的にこの道に入ったのさ」という、本間昇さん。箱根湯本の駅からほど近い場所に、自宅兼工房を構えている。
 本間さんは戦後間もなく、16歳の頃からこの仕事に就いた。今と違って、その頃はすべてが手作業。はじめのうちは、鉋(かんな)がうまく使えないことが悔しかった、と語る。
 「この仕事は鉋が命、鉋の刃の調整がきっちりできて初めて一人前だと俺は思うんだよ」
 当時、一日に10~20回ほどは鉋の刃を研いでいた。16の年から始めて3年で、そこそこ鉋を使えるようになったかなと思ったとき、硯箱を作ってみた。「初心忘るべからず」の思いを胸に、今もその硯箱を使い続けている。


 寄木細工の美に開眼
 本間さんが30~40代の頃、寄木細工業界は冬の時代に突入、やむなくそれ以外の木工仕事をしていた時期もある。しかし、手作りのものが復活する時代は必ず来ると読み、古い寄木細工作品を大切に保管しておいた。40~50代は、稼ぐだけで精一杯。「この仕事をやっててよかったと思えるようになったのは、やっと55をすぎてからだよ」と、苦笑する。
50歳のとき、具体的なビジョンを描いた。60になったら寄木の美術館をつくろう。50代半ばから美術館創設に着手、3年がかりで夢を現実のものとする。目標の60歳まで、あと数年の猶予を残していた。美術館開設のために寄木細工を収集し始めた本間さんは、全国から手元に集まってきた量の膨大さと質の高さに圧倒されたという。
 「その工芸品・美術品的価値に、開眼したね。今までは、自分でさえ寄木細工を単なるおみやげ品だと思ってた。これは、趣味の資料室にしていてはもったいない。広く一般に公開して、寄木細工に対するお客さんの意識を高めてもらおう。また、後継者たる若者たちにも、研修の意味あいで自由に見てもらおうと思ったんだよ」

 地の利を生かし、後継者の受け皿を作ろう
 いかに伝統工芸といえども、旧態依然とした製造・販売システムに固執していては残っていかない。職人も利益率をよくしていかなければ後継者が育つはずはない。本間さんは、舌鋒鋭く古い慣習を斬っていく。そうして考え抜いた末、お客さんに直接販売でき、問屋への流通もおろそかにしない、現在の形態をつくり上げた。他の仕事に就いていた息子さんも家に戻り、寄木細工の修行中だ。
 「これからどうなるかって?  寄木細工は消えないと確信したね。箱根という観光地のど真ん中にある、つまり産地と消費地が合体している有利さがあるからだよ。大事に作って大事に売ること。技術の高い商品は必ず生き残る。息子にも常々そういってきかせてるよ」
 後継者がいないと嘆く前に、地の利を生かして後に続く者を受け入れる皿をまず現役の自分たちが作らなければ、と本間さんは語気を強めた。
 寄木細工はさながら、多様な種の樹木が共生する箱根の森のミニチュアだ。箱、引き出し、盆、皿、茶托――寄木細工を施された日用品を使うことで、よりいっそう箱根の森の豊かさと寛容さが身近に感じられることだろう。

*https://kougeihin.jp/craft/0610/ より

 

 Description / 特徴・産地

 箱根寄木細工とは?
 箱根寄木細工(はこねよせぎざいく)は、神奈川県箱根町で作られる木工品です。箱根山の豊富な樹種など日本随一の自然環境をもつエリアだからこそ、彩りのある樹木を生かした寄木細工が発展しました。
 箱根寄木細工の特徴は、木々の緻密な色の違いを組み合わせによって様々な模様を作り出すことです。そのため、紗綾型(さやがた)、麻の葉、矢羽根(やばね)、青海波(せいがいは)などの伝統的な文様も表現することができます。また、木々を色で分けていて、その数は50種を超えます。
 もともとは、東海道の土産物として作られた箱根寄木細工ですが、元をたどれば、高級品だったとも言われています。1984年(昭和59年)には、通商産業大臣から伝統的工芸品の指定を受け、土産物という枠には収まらないほど、緻密な美術品として人々を魅了しています。

 History / 歴史
 時代を遡れば平安時代の初めの頃にも、高級家具や調度品として寄木細工はあったと言われていますが、箱根寄木細工の始まりは、江戸時代と言われています。 創始者は石川仁兵衛という、箱根町の畑宿で生活していた人物です。当時は、複雑な樹木の色を組み合わせた作りではなく、一種類の樹木やシンプルな模様が描かれた製品が作られていました。当時は東海道の茶屋や温泉で売られる、庶民に親しまれる土産物として作られていました。 江戸時代末期には、挽物(ひきもの)や指物(さしもの)などが多く作られました。 それからは、現代のような多様な木々を寄せ合う複雑で繊細な文様でデザインされるようになり、明治時代以降は、おもちゃなども製作されるようになり、庶民に親しまれる木工品として全国的にも広がっていきました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/hakoneyosegizaiku/ より


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