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<四国八十八箇所> 第53番札所 圓明寺

2024-05-23 07:21:57 | 巡礼

 「圓明寺」

 圓明寺(えんみょうじ)は、愛媛県松山市和気町にある真言宗智山派の寺院。須賀山(すがざん)、正智院(しょうちいん)と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所第五十三番札所。近年は円明寺と表記されることが多い。

 本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
 ご詠歌:来迎の弥陀の光の圓明寺 照りそふ影は夜な夜なの月
 納経印:当寺本尊、奥之院十一面観音、四国十三仏霊場勢至菩薩
 歴史
 寺伝によれば天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願を受けて行基が本尊阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を刻んで開基した。当初は現在地より北西約2.5 kmの和気浜の西山という海岸にあり「海岸山圓明密寺」と称する七堂伽藍を備えた大寺であったという。後に空海(弘法大師)がこの地を巡錫し荒廃した伽藍を整備したという。

 鎌倉時代以降に幾度か兵火によって荒廃、元和年間(1615年 – 1624年)に現在地に移転。寛永10年(1633年)、須賀専斎重久がその私財をもって再興したものという。その功労により寛永13年(1636年)仁和寺の覚深法親王より須賀山の山号を賜り、仁和寺の直末とされる。

 境内
 山門(仁王門)
 中門(楼門)
 本堂:修復された前立仏・阿弥陀如来坐像と県文化財の脇仏が拝観できる。背後の厨子の中の本尊は絶対秘仏。多聞天と増長天が両脇を固め、右脇陣には阿弥陀観音勢至の三尊仏が祀られ、天井近くには左甚五郎作と云われる龍の彫物がいる。
 大師堂:大師像は令和6年12月末まで(予定)開帳中。
 観音堂:観音立像が拝観できる。
 閻魔大王像祠
 地蔵菩薩像祠:子育・水子地蔵菩薩立像、青銅仏。
 文殊石像祠
 弘法大師石像祠:松山新四国霊場第11番。
 弁財天祠:石の鳥居の隅にある。
 キリシタン灯ろう:十字架形灯ろう、高さ40 cmマリア観音とおぼしき像が刻まれ隠れキリシタンの信仰に使われたと云われている。
 鐘楼
 句碑:松根東洋城「鶴飛久や丹頂雲越やぶりつゝ」と、中野三允「麗かやめくら乃眼尓も弥陀の像」が門前左に、峨山「鈴の音能笠共々に霞みけ里」が入って右に、芳野正王「島遍路干潟歩きて近道す」がその左に、芳野井寒「いかにして剪りたる泰山木能花」が大師堂の左に、芳野佛旅「星を掃く寺の銀杏や夜半の霜」が本堂左前のトイレ入口左に、喜和子「朱印帳ひらく蝋梅匂ひけり」が納経所の前にある。
 山門を入ると右に弁財天、観音堂、鐘楼があり、左に大師堂がある。参道の中門の先正面に本堂が建ち、その左手に閻魔堂が、右奥に庫裏・納経所がある。大師堂の右に文殊堂、左奥にキリシタン灯籠がある。

 宿坊:なし
 駐車場:10台、大型3台。無料。

 文化財
 愛媛県指定有形文化財
 八脚門:三間一戸、一重、入母屋造、一軒疎垂木、本瓦葺。昭和31年11月3日指定。
 厨子:一間厨子で、入母屋造、板軒、室町時代作。昭和31年11月3日指定。
 木造阿弥陀三尊像のうち両脇侍立像:観音菩薩立像60.2 cm、勢至菩薩立像60.6 cm、寄木造、玉眼、1250年頃の作。昭和40年4月2日指定。
 松山市指定民俗文化財
 銅板納札:昭和55年10月20日指定。慶安3年(1650年)の銘がある銅板の納札は四国遍路納札では唯一のものである。四国八十八箇所を巡拝していた米国シカゴ大学のフレデリック・スタール博士によって大正10年(1921年)に世に紹介されたことで、広く知られるようになった。

 圓明寺  愛媛県松山市和気町一丁目182番地

*Wikipedia より


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