いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<パリパラリンピック2024> シッティングバレーボール

2024-09-16 06:10:37 | パリパラリンピック2024

 「シッティングバレーボール」

 シッティングバレーボールは、下肢などに障がいのある選手が座ってプレーする6人制のバレーボール。国際障がい者バレーボール連盟 (WPV)が定める規則に準じてラリーポイント制・5セットマッチ(3セット先取で勝利)で、6人制バレーボールとほとんど同じルールで行われる。床にでん部をつけた状態でプレーするため、コートの広さは一般のバレーボールコートよりも狭く(サイドライン10m、エンドライン6m)、ネットの高さも低く設定されている(男子1.15m、女子 1.05m)。
 サーブ、ブロック、スパイクなどの際は、立ち上がったり飛び跳ねたりして床からでん部が浮いてしまうとリフティングの反則となるが、レシーブの際だけ短時間のでん部の離床が認められている。また、サーブブロックも認められている。
 シッティングバレーボールには、上肢切断など上肢のみの障がいの選手も出場できるが、選手を障がいが軽度の選手(VSⅡ)とそれよりも重い選手(VSⅠ)の2つクラスに分けている。1チーム12名のうち障がいの軽いVSⅡクラスの選手は最大2名のみで、コートに入ってプレーできるのはそのうち1名となる。

 対象障がい:肢体不自由

*https://www.parasports.or.jp/paralympic/sports/sitting-volleyball.html より

 シッティングバレーボール/パラバレーボール(座位)とは

 シッティングバレーボール/パラバレーボール(座位)は、床に臀部(でんぶ)の一部が接触した状態でプレーするチーム競技だ。1チームは6人で編成し、一般のバレーボールよりもネットの高さを低くし、狭いコートで行う。サーブ、ブロック、スパイクなどの際に床を臀部から浮かしてはならないが、レシーブの際に短時間なら離床はOKとされている。1956年に戦争で負傷した人によって考案された歴史があるが、国内では現在、健常者の人たちも楽しめるスポーツとして普及が期待されている。

 【パリ2024パラリンピック実施種目】
 ・Men’s
 ・Women’s

*https://www.parasapo.tokyo/sports/sitting-volleyball より

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<珍しい野菜> ペポカボチャ

2024-09-16 06:06:27 | 珍しい野菜

 「ペポカボチャ」

 ペポカボチャ(Cucurbita pepo)は、カボチャ属の園芸作物である。かぼちゃの多くの園芸用品種を含む。日本でおもちゃカボチャと呼ばれる品種もある。

 品種
 ドングリカボチャ
 デリカータ
 ジェム・スクオッシュ
 パティパンカボチャ
 キンシウリ(そうめんカボチャ)
 ズッキーニ

*Wikipedia より

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< 郷土料理 > 埼玉 どじょう煮

2024-09-16 06:03:14 | 郷土料理

 「どじょう煮」

 主な伝承地域 県東部、利根川、綾瀬川流域

 主な使用食材 どじょう

 歴史・由来・関連行事
 秩父山系を源とする荒川と利根川などの河川を有する埼玉県では、人々は川の豊かな恵みを享受してきた。ウナギやアユ、ナマズ、コイなどの川魚は、刺身で食べるほか焼き物や煮物にして食された。田んぼのじょうは捕まえやすく、水温が上がると田の隅に集まるので、手ですくってとることができる。また、9月末、田んぼの水を落とす時に、水路の口の部分に筌(うけ)を立ててどじょうを捕獲した。 捕れたドジョウは野菜と共にかき揚げにしたり、まるごと煮付けにしたりする。細いものは野菜とともに味噌仕立てのどじょう汁に、丸々と太ったものはどじょう煮にした。

 食習の機会や時季
 かつては水田でどじょうを育て、夏から秋にかけて捕獲し食べる日常の食であった。栄養豊富なことから滋養強壮、妊婦の栄養源として重宝された。

 飲食方法
 生きたどじょうに酒を少しふりかけおとなしくなったものを、ささがきにし水にさらしたゴボウとともに砂糖や醤油で煮付ける。卵でとじることもある。 「丸鍋」はどじょうを丸のまま煮て骨も頭も丸ごと食すことができる。どじょうを割き、たれをつけて焼く蒲焼や、ゴボウと割いたどじょうを割り下で煮て卵でとじる柳川鍋、丸のままのどじょうに片栗粉をまぶして油で揚げる唐揚げ等がある。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 家庭で一般的につくられるほか、県内の飲食店で供されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/33_26_saitama.html より

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<B級ご当地グルメ> 静岡 足柄まさカリー黄金のポット

2024-09-16 05:56:56 | B級ご当地グルメ

 「足柄まさカリー黄金-きん-のポット」

 丸いパンをくり抜いて、オーブントースターで焼いてた「まさカリー黄金のポット」。B-1グランプリin厚木を前に、写真右の新兵器トースター?を開発。パンも中が柔らかいフランスパンに変更してきました。電熱器入りの太い串にパンを突き刺すので、穴あけとトーストが同時に出来て時間短縮。穴の中に、ごぼう入りカレーシチュー、溶かしたチーズをかけて出来上がり(担当Two Pumpsさん、行列1時間弱)。

*http://blog.livedoor.jp/kaz823ad/archives/51816371.html より

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うまいッ! NHK 「肉厚プリプリ!甘〜い!春を告げるコウイカ〜福岡・糸島市〜」

2024-09-16 05:53:16 | うまいッ!NHK

 「肉厚プリプリ!甘〜い!春を告げるコウイカ〜福岡・糸島市〜」 2021年3月22日

 玄界灘に春を告げる「コウイカ」。旬のイカを捕獲するイカカゴ漁には伝統の技と知恵が詰まっています。漁師メシから絶品パスタまで、コウイカ料理の魅力もたっぷりご紹介!

 春が旬、プリプリ肉厚でうまみたっぷりの「コウイカ」が主役。玄界灘に臨む福岡県糸島市では、柴(しば)をつけたカゴを海中に沈め、産卵期のイカをおびき寄せるイカカゴ漁を行っています。伝統の技と知恵とを受け継ぎながら、産みつけられた卵は海に返すなど循環型の漁もめざします。取れたてをさばいた漁師メシからイカ墨やイカチチ(抱卵腺)など産卵期のイカを丸ごと使った絶品パスタまで、旬のコウイカを味わい尽くします。

 「うまいッ!」の秘密
 コウイカ漁にかかせない「イカカゴ」。藤野さんが自ら育てたイヌツゲの木から、枝を切り出しブーケのようにきれいな形に束ね、カゴにしっかりと結びつけます。準備に1か月もかかりますが、手を抜くとイカが入ってくれないんだそうです。

 出荷前にコウイカの鮮度を保つために行う「生け締め」。道具を使う人が多い中、藤野さんは1匹1匹、素手で生け締めを行います。イカは驚いて墨を吐く間もありません。イカのきれいな姿かたちを保つことができ、鮮度も長持ちします。

 「コウイカの煮付け」&「イカスミパスタ」について
 【コウイカの煮付け】

 <材料>
 ・コウイカ(各部位):適量
 ・酒、ざらめ、甘口しょうゆ:各適量

 <作り方>
 1)一口大に切ったイカの身をフライパンに入れ、油をひかずに炒める。
 2)酒、ざらめ、甘口しょうゆを入れて、最後にイカチチ、卵を入れてさっと煮る。

 【コウイカのイカスミパスタ】

 <材料(2人分)>
 ・パスタ:160g
 ・コウイカのゲソ、スミ、肝ワタなど:1杯分
 ・トマトソース:100ml
 ・ミニトマト:2個
 ・つぼみ菜(菜花などでもよい): 3個
 ・にんにく: 1片
 ・オリーブ油:大さじ1
 ・たかの爪 :1本
 ・白ワイン:大さじ3
 ・塩こうじ:小さじ1
 ・パルミジャーノレッジャーノ:適量
 ・塩、 こしょう:各適量

 (つみれ用)
 ・イカの卵、イカチチ:1杯分
 ・卵白:1個分
 ・小麦粉 :大さじ1
 ・塩こうじ:小さじ1

 <作り方>
 1)つみれの材料を全てミキサーにかけ、ふんわりしてきたら取り出す。
 2)塩を少々入れて沸かした湯に、一口大に丸めたつみれを入れて1分~2分ほどゆでる。
 3)ニンニク、たかの爪、オリーブオイルをフライパンに入れて火にかけ、弱火で香りがつくまで温める。
 4)塩・こしょうで下味をつけたゲソとつぼみ菜を1)に入れて中火で炒め、白ワイン(大さじ1)を入れアルコールを飛ばし、飾り付け用に半分量取り出しておく。
 5)残りの4)に肝ワタ、イカスミを加え、白ワイン(大さじ2)を入れてよく混ぜ、トマトソースと塩こうをじ加えて弱火で煮込む。
 6)パスタをゆで、5)にゆで汁(80ml)を入れて乳化させ、パルミジャーノレッジャーノ、ゆで上がったパスタと手早くあえる。
 7)半分残しておいたゲソとつぼみ菜、ミニトマト、つみれを飾り、こしょう、オリーブ油、パルミジャーノレッジャーノをかければ、できあがり!

*https://www.nhk.jp/p/umai/ts/P7R4N8K39M/episode/te/7Q3PM2R1RZ/ より

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<料理用語-和食> 塩釜焼き

2024-09-16 05:49:43 | 料理用語

 「塩釜焼き」

 材料を塩で包み、天火(オーブン)で焼いたもの。

 白身魚や松茸を、そのままか、和紙(又はパラフィン紙)で包み、それをさらに、塩、卵白、片栗粉を混ぜて練ったもの(あるいは卵白を泡立てて塩を適宜加え混ぜる)で包み、天火で表面がキツネ色になるまで焼く。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/92_I/04.html より

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<異名-スポーツ選手> ジョーバズーカ

2024-09-16 05:39:13 | 異名

 「ジョーバズーカ 城島健司」

 城島 健司(じょうじま けんじ、1976年6月8日 - )は、長崎県佐世保市相浦地域出身の元プロ野球選手(捕手・内野手、右投右打)。

 概要
 ドラフト1位で福岡ダイエーホークス(後の福岡ソフトバンクホークス)に入団。その後、シアトル・マリナーズ、阪神タイガースで捕手として活躍。

 正捕手としてNPBで、3度のリーグ優勝、2度の日本シリーズ優勝、日本代表では1度のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝に貢献。2009年のWBCでは正捕手として日本代表に貢献している。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。

 2012年、阪神タイガースで現役引退。

 引退後は釣り関係のTV番組に専ら出演した他、タレントとしても活動した後、2020年より福岡ソフトバンクホークス球団会長付特別アドバイザーに就任。

*Wikipedia より

 阪神時代の城島健司の異名。

 概要 
 命名者はデイリースポーツ。
 2010年頃、サンスポ大阪が「ええの獲ったわ!」「虎将」「メンチネタ」といったデイリーのお株を奪う用語を流行させており、在阪マスコミの雄としての復権をかけたキーワードとなった。

 一般的に強肩選手の送球はイチローなどのように「レーザービーム」などと呼ばれるが、インパクトが弱いと判断したのか「バズーカ」という単語に置き換え、在阪テレビ実況アナなども頻繁に「ジョー・バズーカ炸裂」などと使っていた。

 なお城島は故障が原因で2012年に引退してしまい、あまり定着はしなかったが、後に「○○バズーカ」に通ずる亜種が生まれる事となる。

*https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%82%AB より

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<慣用句・諺> 泣いて暮らすも一生笑って暮らすも一生 など

2024-09-16 05:37:41 | 慣用句・諺

 「泣いて暮らすも一生笑って暮らすも一生」

 悲しんで暮らしても、愉快に暮らしても、一生は一生だから、愉快に暮らさなければつまらない。

 

 「泣いて馬謖を斬る-ないてばしょくをきる」

 《中国の三国時代、蜀 (しょく) の諸葛孔明 (しょかつこうめい) は日ごろ重用していた臣下の馬謖が命に従わず魏に大敗したために、泣いて斬罪に処したという「蜀志」馬謖伝の故事から》規律を保つためには、たとえ愛する者であっても、違反者は厳しく処分することのたとえ。

 

 「泣いても笑っても」

 どのようにしてみても。物事が最後の段階にきていることのたとえ。

 

 「ない腹を立つ-ないばらをたつ」

 一時の怒りに立腹する。または、泣いて立腹する。

 

 「無いもせぬ」

 《「ない」を強調した表現》ありもしない。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 栃木 渡辺酒造

2024-09-16 05:36:24 | 日本酒

 「渡辺酒造」

 当社は栃木県北東部に位置する栃木県最北の小さな酒蔵です。 明治25年、越後杜氏として酒造りをしていた初代渡邉栄作が栃木県の農家の納屋を間借りして日本酒の製造を始めました。明治45年に現在の栃木県大田原市須佐木に移転した際それまでの蔵から東に移転したことから「朝日(旭)が昇る(興る)」という縁起を担ぎ銘柄名を「旭興(きょくこう)」としました。 昭和30年に法人化し、現在では五代目となる渡邉英憲(わたなべひでのり)が中心となり杜氏兼として酒造りを行っています。

 〜地元に愛される酒が「地酒」 地元で造っただけの酒ではない〜

 これが当社の社訓です。地元に根付き、愛される日常の酒。そして、地域に貢献できる酒蔵を目指しています。

 よく「蔵の味の特徴は?」という質問をいただきますが、当社では香り高い芳醇な味わいの大吟醸や食事に合う特別純米辛口。生もと・山廃仕込みや地元の定番旭興辛口。ちょっと変わった発泡酒のお酒や赤い酒など多種多様な日本酒を造っていますので一言では言い表せません。 これは、老若男女、国籍、人種を問わず日本の米文化からできた日本酒を飲んでいただきたいからです。 そういった意味では、「飲む人に喜んでもらえる酒」が当蔵の味特徴かもしれません。

 渡辺酒造 栃木県大田原市須佐木797番地1

 代表銘柄

旭興 大吟醸

原材料    米・米麹・醸造アルコール

原料米・精米歩合    山田錦 37%

アルコール分    17度

日本酒度    +3

酸度    1.3

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<パリ五輪2024> メダリスト 東晟良/上野優佳/菊池小巻/宮脇花綸

2024-09-16 05:26:21 | パリ五輪2024

 「東晟良/上野優佳/菊池小巻/宮脇花綸」 銅-フェンシング・女子フルーレ団体

 「東晟良」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896544-------------------- より

 東 晟良(あずま せら、1999年8月20日-)は、日本のフェンシング選手。和歌山県出身。和歌山県立和歌山北高等学校卒業。日本体育大学体育学部卒業。共同カイテック株式会社所属。姉は同じフェンシング選手の東莉央。

 「上野優佳」

*https://www.awi.co.jp/ja/athlete/athlete-ueno_yuka.html より

 上野 優佳(うえの ゆうか、2001年11月28日 - )は、日本のフェンシング(フルーレ)選手。

 所属 エア・ウォーター株式会社。

*Wikipedia より

 「菊池小巻」

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896535-------------------- より

 菊池 小巻(きくち こまき、1997年2月22日 - )は、日本の熊本県熊本市出身[1]の女子フェンシング選手。

 所属 セガサミーホールディングス

*Wikipedia より

 

 「宮脇花綸」

宮脇 花綸(みやわき かりん、1997年2月4日 - )は、日本のフェンシング(フルーレ)選手。所属先は三菱電機株式会社[1]。

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896517-------------------- より

 宮脇 花綸(みやわき かりん、1997年2月4日 - )は、日本のフェンシング(フルーレ)選手。所属先は三菱電機株式会社。

 

 フェンシング 女子フルーレ団体 日本が銅メダル パリ五輪 2024年8月2日 7時22分  NHK NEWS

 パリオリンピック、フェンシング女子フルーレ団体の3位決定戦が行われ、日本はカナダに1点差で勝ち、フェンシングの女子で初めてとなる銅メダルを獲得しました。

 フェンシングの団体は1チーム3人ずつが総当たりで戦い、9回の対戦で、合計のポイントが多かったチームか、先に45点を取ったチームが勝ちとなります。

 東晟良選手、上野優佳選手、宮脇花綸選手、それにリザーブの菊池小巻選手のメンバーで臨んだ日本は、3位決定戦で世界ランキング6位のカナダと対戦しました。

 試合は序盤から両チームがポイントを取り合う互角の展開が続きましたが、途中から宮脇選手に替わって登場した、オリンピック初出場となるリザーブの菊池選手が、積極的な攻めでリードを奪います。

 その後、日本は5ポイントにまでリードを広げますが、徐々にカナダに差を縮められ、最終の第9試合で1ポイント差にまで詰め寄られます。

 ただ、最後はチーム最年少の上野選手が1ポイントを守りきり、33対32で勝って、フェンシングの女子で初めてとなる銅メダルを獲得しました。

 ▽金メダルはアメリカ、
 ▽銀メダルはイタリアでした。

 “最高すぎます”
 フェンシングでは、日本女子初のメダルを獲得した女子フルーレ団体の選手たちは満面の笑みでインタビューエリアにあらわれ、「最高すぎます!」などと喜びを語りました。

 菊池「チームを盛り上げたい一心で戦った」 
 団体のリザーブメンバーで、3位決定戦で途中出場して試合の流れを呼び込んだ菊池小巻選手は「私はここで出るしかない、ここが本番だと思っていたので、いいポイントをとってチームを盛り上げたいというその一心で戦った」と充実した表情で話していました。

 上野「メダル獲得しか目標にしていなかった」 
 試合時間残りわずかで1ポイント差のリードを守り切った上野優佳選手は「怖かった。でもチームのみんなが信じてくれていたので勝ちきるだけと戦った。メダル獲得しか目標にしていなかったので本当にうれしい」と興奮した様子でした。

 東「言葉にあらわせられないくらいうれしい」 
 チームの中心メンバーとして大きく貢献した東晟良選手は、「めちゃくちゃうれしい。グランパレで試合が出来ること自体が幸せなのにメダルを持って帰れるなんて言葉にあらわせられないくらいうれしい」と笑顔で答えていました。

 宮脇「チームメイトに感謝したい」 
 初戦のポーランド戦で得点を重ね劣勢のチームを救った宮脇花綸選手は「私が日本代表に入ったときはオリンピックに出るのが目標でメダルなんて考えられない状況だったが、フランス人のボアダンコーチが来てみんなが強くなり実現したメダル。チームメイトに感謝したい」と誇らしい表情で話していました。

 フランクコーチ「個人戦の悔しさが団体の結果に」 
 2017年から日本代表のコーチに就任して、女子フルーレの選手たちを世界トップクラスに導いてきたフランス人のフランク・ボアダンコーチは「彼女たちはすごく努力家で真面目だ。日々、自分たちの全てを出すよう努力を惜しまない。個人戦で敗れた悔しさが団体の結果につながった」と選手たちをたたえました。

 3位決定戦の戦いぶりについては「カナダとはオリンピックの前も2回対戦したが、毎回接戦になる。相手はディフェンス寄りの試合展開が多い選手たちで、日本の選手たちには攻めに出つつもできるだけ向こうの攻撃を受けないよう指示をした。上野選手が鋼の足で最後を耐えきってくれたのが勝因だ」と振り返りました。

 そのうえで、就任当初は選手たちをおとなしい“パンダ”にたとえて勝利への執念を持つよう促してきたことを問われると、「パンダの時代はとっくの昔に終わった。選手たちは本当にきれいな4匹の虎になった」と笑みを浮かべていました。

 菅原コーチ「メダルを取る瞬間に立ち会えて感激」
 女子フルーレの選手としてオリンピック3大会に出場し、現在はコーチを務める菅原智恵子さんは、3位決定戦の途中でリザーブメンバーの菊池小巻選手を投入したねらいについて、「左ききの菊池選手は左ききの相手に強い。カナダは左ききの選手が多かったので、そこで投入しようというのは話をしていた。すごく調子がよくて自信を持って送り出せた」と話していました。

 そのうえで、「この種目で、初めてメダルを取る瞬間に立ち会えてすごく感激している。大変なこともいっぱいあったがメダルをとれて全部が吹き飛んだ。自分が現役時代にメダルが取れず悔しい思いをしたが、選手たちが叶えてくれた」と、教え子たちをたたえていました。

 女子初出場から60年 競技の本場で歴史塗り替える快挙
 ヨーロッパが競技の本場のフェンシング。
 長年、日本の女子選手たちは世界の厚い壁に跳ね返されてきました。

 日本女子としての初めてのオリンピック出場は1964年の東京大会で、女子フルーレの個人と団体に出場しましたが、いずれも予選敗退でした。

 その後も女子フルーレを中心に大会出場を続けましたが、上位進出はかなわない厳しい時代が続きました。

 2007年にロシアで開かれた世界選手権では、女子フルーレ団体で現在の代表コーチを務める菅原智恵子さんを中心に、男女を通じてこの大会初の銅メダルを獲得しました。

 菅原さんは翌年、北京オリンピックの個人で日本の女子選手では過去最高の7位に入りましたが、メダル獲得には届きませんでした。

 このころから日本フェンシング協会では外国人コーチの招へいなど本格的な強化に乗り出し、10代のジュニア世代から将来を見据えた強化を進めてきました。

 国際大会で表彰台に上がる回数も増え、過去最多の選手が出場した3年前の東京オリンピックでは、女子のメダルはならなかったものの、大会後には女子サーブルで江村美咲選手が世界選手権の個人2連覇を果たすなど飛躍を遂げました。

 また、女子フルーレ団体も去年の世界選手権で16年ぶりの銅メダルを獲得し、オリンピックでの女子初のメダルへ期待は高まっていました。

 フェンシングでは、女子が初出場した1964年の東京大会からちょうど60年。

 競技の本場、フランス・パリで行われたオリンピックで、女子フルーレ団体の銅メダル獲得は、まさに歴史を塗り替える快挙です。

 準決勝までの戦いはこちら
 菊池選手の出身地 熊本市で地元新聞社が号外
 パリオリンピック、フェンシング女子フルーレ団体で日本がフェンシングの女子で初めてとなる銅メダルを獲得したことを受けて、メンバーの1人、菊池小巻 選手の出身地の熊本市では、地元の新聞社が号外を配り快挙を伝えました。

 受け取った人たちは「すごいなと思います。頑張っている姿を見ると胸があつくなります」とか「すごく立派だったと思います」などと話していました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240802/k10014533501000.html より

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