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『残念』 三色の海
昨日は、最近では一番<海の色が綺麗>に
観れた日だと思います。 残念ながら、陽射し
に恵まれず、写真では<三色に輝く海>の
雰囲気しかご紹介できませんが ・ ・ ・
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『残念』 三色の海
昨日は、最近では一番<海の色が綺麗>に
観れた日だと思います。 残念ながら、陽射し
に恵まれず、写真では<三色に輝く海>の
雰囲気しかご紹介できませんが ・ ・ ・
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『大丈夫ですか』 浪の中に
照ヶ崎岩礁の先で、浪に翻弄されながらも
釣り舟が一艘。 写真では、余り浪がありません
でしたが、釣り舟は<木の葉>のように波間に
見え隠れしている状態でした。 アオバトたちが
心配そうに 「大丈夫ですか!」
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『大磯ゆかりの歌人』 佐佐木信綱
唱歌<夏は来ぬ>の作詞でも知られる、歌人・国文学者
の佐佐木信綱。 <神奈川文学年表>には
明治31年 夏 佐佐木信綱(27)、大磯の地獄谷のほとり
に家を借りて避暑をする。
明治34年 夏 佐佐木信綱(29)、大磯・神明町に家を借り
て避暑をする。
明治35年 盛夏 佐佐木信綱(30)、大磯の滄浪閣に伊藤博文
を訪ね、会談する。
佐佐木信綱は昭和12年に第一回の文化勲章を受章している、
歌会始撰者であったので貞明皇后(大正天皇の皇后)ら皇族に
和歌を指導していた。 鴫立庵内に「貞明皇后行啓記念碑」が
建てられているのもその関係かと思いますが。
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『秋めいて』 花水川岸
一昨日までの<猛暑日、真夏日>が一転し、
涼しかった昨日。 花水川岸を歩いています
と薄も揺れて<すっかり秋模様>となりました
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『天保14年の今日』 順天堂
1843年(天保14)、蘭学者・佐藤泰然が佐倉に病院兼
蘭医学塾「順天堂」を創立(順天堂大学の基礎)。 塾
には江戸・今日・大坂を始め全国諸藩より塾生が入門し、
「日新の医学、佐倉の林中より生ず」と謳われ、西洋医学
導入に貢献する多くの門人を育てた。 佐藤泰然の
次男・良順(のちに順と改名)は、将軍侍医、初代陸軍
軍医総監として<大磯にわが国最初の海水浴場を開設>。
五男・林董は、外交官、政治家。 欧州使節団に参加し
イギリス、アメリカの保養地・避暑地等を視察。 大磯の
別荘跡は<翠渓荘>となっている