かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

2004年7月25日東京―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-26 05:59:00 | 2007年までのライブの思い出

  2004年7月25日(日)東京国際フォーラムホールA
 僕が初めて倉木麻衣さんのライブに行ったのは、2002年2月26日横浜アリーナです。それから3年たちました。麻衣さんもずいぶん変わってしまったね。ちょっとさびしいような。ずっといつまでも可愛い麻衣さんでいてほしい。でも、麻衣さんも一人の大人の女性だもんね。いろいろ考え、感じ、変化するところは変化していくだろう。ずっとファンから離れないで、歌を続けてほしいな。
 東京国際フォーラムホールAのライブ、とうとう2004年ライブ・ツアーのファイナルです。名残惜しいような、切なくて、やりきれないような気持ちがある。もっと自分はライブ・ツアー中に麻衣さんに対していろいろやっておくべきだったのではないか。一杯遣り残したことがあるような、そんな気持ちに襲われる。
 麻衣さんが大好き。もっと心理的にも、席が前後ろという意味でなく、物理的にも麻衣さんに近づきたかった。いろいろあったライブ・ツアー、不本意というか、遣り残したことも多い気がして、これからが僕にとってリベンジという気がする。相変わらず、僕に対する嫌がらせが酷く、先行き不透明で不安ばかりだけれど、これからも麻衣さんを愛し続けたい。麻衣さんが大好き。麻衣さんと麻衣さんの歌を胸に頑張っていきたい。
 ファイナルの日、僕は地下鉄の二重橋前駅から徒歩で会場へ行く。この日もう一つ僕が気にしていたことがある。それは、僕の出身高校の大分県立国東高校が20年ぶりに夏の甲子園大分県大会決勝戦に進出。20年前は僕が大学1年のときで、現在東北楽天イーグルスにいる吉田豊彦投手が2年生でエースだった。そのとき以来。
 僕は携帯電話で大分県の高校野球の情報をこまめにチェックしながら、ライブが始まる前、地下のレストランやその周辺をうろうろしていました。はらはらしながら途中経過を見ていましたが、残念ながら僕の母校は決勝戦で負けてしまいました。残念でしたが、よくやりました。今後僕の母校は、他校と合併再編するらしいですが、よりパワーアップして、いずれ甲子園に出場してほしいです。
 そんなことを気にしていたせいか、ライブの開場前のことがあまりきちんと思い出せません。反省ですが仕方ない。会場時間が近づき、入場のため並びました。後ろにグループがいて、プロ野球の話をしていました。古田選手の名前などが出ていました。僕は今まで嫌がらせばかりされてきて、もしかしてまた嫌がらせの一種かと思いましたが、どうもすっかり疑り深くなってしまい、少し病的な感じになってしまいました。
 僕に対して、ライブ・ツアー中につきまとい、つけまわし、など嫌がらせをした人がいます。郵便局員の嫌がらせにしろ、その人たちの嫌がらせにしろ、人間が物事を判断する上で、ある程度で自分自身の経験的なことに基づいて、判断しますが、その判断の元の部分に対する認識を狂わせる効果があります。
 もし僕が、今後社会的に他の人との距離のとり方に苦しんだり、いよいよ頭がおかしくなったら、僕に対して嫌がらせをした人間の嫌がらせが原因と考えられます。それが有力でしょうから、狂人は人為的に作られるということを実感します。もちろん僕も対策を練りますが、よい結果になるかどうかは、僕に対して嫌がらせをしている人間の組織力、権力の大きさから考えて、楽観的にはなれません。
 倉木麻衣さんが好きです。
 入場するとき、サイリウムをくれました。僕は、ペンライトやサイリウムを使用したことはありませんでした。どんなものか知らなかったのですが、サイリウムを初めてみました。麻衣さんを驚かせよう、喜ばせようという企画です。
 今日の席はファンクラブで取ったものです。2回2列89番。ライブのDVDを観るともしかして僕が映っているのかなと思いました。映像を観てもよくわかりませんが、ステージのほうから見て、2階席の左の端近く前から2番目です。
 入場してホールに入場になるまで少し時間があります。階段を2階に上がろうとしたら、また凶悪な男につきまとわれました。そいつは僕に対して、あほ面して「親衛隊、親衛隊」などと繰り返していました。何が親衛隊なのでしょうか。僕は工藤静香ファンが長いけれど、親衛隊に入ったことはなく、またファンサークルも多かったようですが、一度も入ったことはありません。それは森高千里ファン時代、倉木麻衣ファン時代共通しています。
 倉木麻衣さんのファンに親衛隊があるのでしょうか。僕がライブに行った限りでは、その印象はなかったけれど、僕が知らなかっただけかもしれません。あるのかな。もちろん入らないけれど。
 工藤静香ファンのときは、僕がファンになった頃まだ若干親衛隊と称する組織が残っていて、いろいろトラブルがあったという話は聞いていますが、僕は直接的には知りません。あくまで話に聞かされただけです。その凶悪な男はなぜあほ面をしながら、親衛隊、親衛隊などと妄言を吐いていたのでしょうか。僕は正直、そのファンのことを異常者ではないかと思いました。でも本人の態度から見ると違うかもしれない。
 異常者でないなら、なぜそんなわけのわからないことを口走るのか。僕はいよいよファイナルなのに、また会場でこんな嫌がらせををされすごく残念に思いました。とにかく酷いファンがいて、僕のライブ・ツアー行きも不本意な部分が大きくなりました。本当に残念です。
 ライブが始まりました。ライブのDVDだけ観てもよくわからないのですが、さすがにファイナルというだけあって、いつもと麻衣さんの雰囲気が違います。確かにいつもと違う。舞い上がっているような、感激しているような、独特な表情。楽しい、素晴らしいライブ。ツアーのいろいろな思い出が、頭をよぎっているのかもしれません。
 前回のライブに比べ比較的短い期間で集中的にたくさんライブをこなしました。麻衣さんも充実して、楽しんでくれたと思うし、本当に素晴らしいライブツアー、麻衣さんありがとう。麻衣さんの頑張りと心遣いに心から感謝します。麻衣さんに出会えてよかった。麻衣さんのファンになれて本当によかった。麻衣さんありがとう。麻衣さんが大好き。
 僕が倉木麻衣を生涯愛することが決定しました。
 ライブが終わり、1階ロビーに下りていきました。コンサートのスタッフが何かわけのわからないことを言っていました。スタッフのなかにも僕にたいして意地悪な態度をとる人がいますが、今日はなんだか様子が違います。後で、ライブ日誌でわかったことですが、出待ちイベントがあったようです。
 僕は結局38回ライブに行ったけれどそんなことは全然知らず、とっとと帰ってしまいました。あとで、出待ちイベントがあったことがわかったときは、もしかすると僕は倉木麻衣さんに嫌われているのかな、と思いすごく悲しかった。僕は嫌がらせが多いし、デタラメな噂を流されているし、正直に考えて僕の今の立場からすると麻衣さんに好かれるのは、絶望的かもしれないと思い、がっかりしました。
 でも、気持ちを立て直しました。ライブ・ツアー中、時々麻衣さんが僕のほうを見ていたような気がする。そのときの麻衣さんの眼を見ていると、決してそんなにぼくは悲観的になる必要はない。いつかきっと麻衣さんに僕は信じてもらえるようになると希望が持てる。そう信じる。僕は38回全部ライブに行ったけれど、僕のやったことは、まるで無意味と麻衣さんは思うだろうか。そんなことないよね。
 麻衣さんが大好きだから、これからも麻衣さんを愛し、応援していこう。  
 麻衣さん、長いライブでしたが、素晴らしい思い出になりました。本当にありがとう。心から感謝します。また会える日を楽しみにしています。
 
 本当はいつも麻衣さんと一緒にいたいんだ。
 
 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ライブ・ツアーの思い出シリ... | トップ | MAIエッセイ045 »
最新の画像もっと見る

2007年までのライブの思い出」カテゴリの最新記事