かんたん

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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.10.11湯沢文化会館

2006-11-07 04:29:00 | 2007年までのライブの思い出

山形の翌日は普通電車で湯沢に移動することになった。少し早めにホテルを出る。駅はそばなのですぐ行ける。今日は湯沢のライブだけれども宿泊先が湯沢でとれず大曲のロイヤルホテルの宿泊予約。切符は大曲まで買う。普通電車に乗る。車窓の景色が面白い。ワンマンカーで年輩の女性が降り方がよくわからず、戸惑っている。ワンマンカーなんてかえって都会の人のほうが戸惑いそうな気もするが、この年輩の女性たちもワンマンカーに乗りなれていないのか。きちんと調べもしない女性たちも女性たちだが、ふてくされて「ゆうとおりにしないからだ」などといっている若い男も男だろう。ワンマンカーの降り方を間違えたくらいでなんで悪態をつかれなきゃならんのか。殺伐とした世の中。しかもこういう指摘をすると指摘をした側が攻撃される。加害者擁護全盛時代。まともな人間は苦労が多いだろうね。そういわれても喜ぶ気にはならないだろう。

電車の中で態度の悪い客もいる。すいていたから問題なしか。でも態度が悪い。僕は以前からそういう指摘を何度もやってきた。結局僕のほうが悪者にされるだけ。ずっとそうだった。

新庄駅で少し時間が空き、ばったりトラックの運転手とウェーブの人に会った。外で食事。ならま食堂というところがある。すりばちラーメンというのがあるのでそれを食べる。どうもトラックの運転手とこのウェーブの人もよい人なのかもしれないが、何か背後に情報を持っているらしい。どういうつもりで接してきているのか。プライバシーの侵害などされていると他人とよい人間関係を作るのはものすごく難しくなる。生きる価値ある人間ならわかること。

僕は少しこの二人を敬遠していくことを考えている。他のファンも条件は同じだが。新庄からは同じ電車だけれどもこの二人とは距離を置き、離れた席へ行く。途中一人の女性が話しかけてきて、色紙にメッセージを書いてくれという。もちろん倉木さんに当てたもの。2枚あり湯沢と七飯のもの。僕は迷ったけれども簡単な内容で、七飯のほうにメッセージを書いておいた。名前は不老長者という名前で、これは僕が倉木麻衣バースデーBBSで使用していたハンドルネーム。2003年と2005年のバースデーBBSで使用。2004年はきいまくら大好きとかきいまくら好きとか、そういう名前だった。あまり知られていないようです。

他のファンは湯沢で降りる。僕は大曲まで行く。結構思ったより距離がある。ホテルは車窓から見えた。駅に近い。チェック・インして、準備をしてすぐまた大曲駅に戻る。普通電車で湯沢へ。ここは1999年くらいに一度来ている。当時駅にハンバーガー屋があったけれども、今回来てみるとやはりあった。前回来たときは冴えないおじさんがひとりでやっていて、僕も食べなかったけれども、今度は数人のお客がいて初老のおじさんが二人でやっている。僕も今回は食べてみたけれども、作り立てのおいしさが。

歩いていく。前回は距離があると思ったけれども一度歩いているので見当がつき、さっさと会場に到着。このあたりもにぎやかになった様子。会場の噴水前にいたらトラック運転手が話しかけてくる。トラック運転者はこんなに倉木さんのライブにたくさん来たのは初めてだという。ライブ・ツアーにたくさん行くこと、そのなかでいろんなことを見聞し、世界を広め、感じ考え、ファンによってはアーティストやライブとの一体感を楽しむ。やりはじめると結構すばらしい楽しさがある。なかなか世間は理解しようとしない。いまの日本人は屁理屈をこねて偏狭な考えをする人が多数派。意思疎通すら難しい。特に僕はその意味でも大きな被害者であろう。

トラックの運転者はやはり何か情報を持っているようだ。背後に何があるのか。ある部分僕に対するプライバシーの侵害に加担しているようにも思える。僕に対する人権侵害をやっている連中と深いつながりがありそうな気もする。倉木さんはこの日、ダリア園に行ったらしい。情報が洩れているのだろう。トラックの運転手がそういう。僕はこういう情報で以前応援していた歌手時代苦しい目にあったことがある。状況を見ながら対応していくしかないが、倉木さんとばったり会うことを目的に観光地をうろうろすることは僕の場合まずない。以前応援していた歌手時代もない。当時は貧乏だったし、いろいろ問題を抱え、ライブと観光をかねることは少なかった。当時応援していた歌手はある年、福岡の大濠公園に行ったそうだ。僕は一度も大濠公園には行っていない。よくあること。それに倉木さんはライブ当日でも観光に行くけれども当時僕が応援していたアーティストはライブとライブの間の日に観光に行くことはあったが、ライブ当日にはほとんど観光には行かなかったはず。

でも、思い出したけどある年地方都市で一人で外出したという話は聞いた。めったにないけど時々あったのかな。ライブとライブの開いた日にはパチンコ屋に行くこともあったらしい。僕はその歌手ファン時代の後半(1992年の途中から)はツアーの交通機関限定の追っかけをやり始めたので、出待ち入り待ちは関東だけ。しかも出待ち入り待ちの不成功が多い。当日観光地でばったり会うなんていうのも全くない。ありえない。

ライブがはじまる。僕の席は1階9列目47番。トラックの運転手の席は近い。今年何度かあった。イープラスで取った席。ライブはまずまず。倉木さんはダリア園に行ったようです。倉木さんは秋田と新潟をたびたび間違える。湯沢と越後湯沢の間違い。僕はライブが終わると外では、ビーイングのオフィシャルカードを勧める人がいる。このカードを持つとB’ZやZARDのライブにもいけるそうだ。スタッフにもなれるそうだ。怪しいカード。大丈夫か。僕は当分の間新しいカードを持つ予定はないが。

アンケートを出し、とっとといつものように駅へ行く。湯沢駅に着くともう最終電車しかない。閑散とした駅ホームで終電を待つ。僕がライブにたくさん行きはじめた1990年代初頭を思い出す。当時もこういう感じだった。僕は来年は倉木さんのライブに行く回数を減らそうと思っている。でもこのホームでの感覚。ライブの余韻に浸りながら、ぽつんと終電を待つ。来年は倉木さんのライブに行く回数は減らす予定だけれども、僕は当時の純粋さを思い出しながら、ライブを楽しもう。別に他の人にわかってもらおうとは思わないが、邪魔されるかな。汚い心の日本人どもの汚い笑顔が思い出されるよ。僕に対し、付きまとうやつ、デマを流すやつ、滅びてしまえ。

電車の中では相変わらず僕に対するデマネタを信じて喜ぶ連中がいる。そのねたで僕を遠まわしに揶揄するのか。いつものこと。それでいったい何がどうなるか。いつものように勝手な解釈をして薄汚い笑いを浮かべたり、不貞腐れるだけだろう。そんなことこれからも繰り返したいのか。核実験をして喜ぶ北朝鮮人と僕に嫌がらせをして喜ぶ日本人、似たもの同士。北朝鮮と日本はよい友好国に成れるかもしれない。僕は孤立するか。

大曲には23時20分前に到着。呑龍という店で塩ラーメンを食べる。あっさりとした味でなかなかおいしい。大きいペットボトルの飲み物を自販機で買いホテルへ。ホテルの廊下には雑誌が落ちている。僕の周辺ではわざとらしいことが多いから、偶然なのか、意図的なものか、判断しかねることも多い。夜はパソコンでブログを書く。

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