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華の会

日本文化を考える

櫻と桜

2005年05月06日 | 
櫻と桜
中国では漢字の「櫻」は日本の「さくら」ではなく
バラ科の落葉高木「ユスラウメ」の木をいう。

ユスラウメは中国原産の植物で日本には江戸時代初期に渡ってきた。
ユスラウメの語源について、二つの見解がある。
①牧野富太郎博士の「枝をゆさぶって果実を落とした」からという説と
②深津正の朝鮮名の「移徒楽(いさら)」「イスラ」がなまったという説がある。

櫻の中国での意味は
「嬰(えい)」の字は
①みどりご(子供の泣き声がえんえんと続くさま)
②首飾りの事
③つなぐ、たてこもる等の意味があり
④音楽では「半音あげる」ことをいう、語源は雅楽から出た。
この場合は「赤い貝の首かざり」を意味する。

日本語の「みどり」は「みずみずしい」から
新芽・若芽を意味し、「みどりご」とか
「みどりの黒髪」とか使われる。
赤子の事を「嬰児(みどりご)」と言うが
中国では女の赤ちゃんが生まれると
赤い貝の首飾りをつけて
その子の健やかな成長を願う行事がある。
「櫻(ユスラウメ)」の赤い実のつき方が
ちょうど赤子の成長を祝う時の
赤い貝の首飾りに似ているからだと言う。

「ゆすらうめ」の写真
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/yusuraume.html

日本で最初に「さくら」という言葉が出るのは
「日本書紀」で弁恭(いんぎょう)天皇が
衣通郎姫(そとおしのいらつめ)を思って詠んだ歌
弁恭天皇は仁徳天皇の息子
(日本書記巻13 弁恭8年2月)

花ぐはし 佐区羅(さくら)の愛(め)で、こと愛でば、
早く愛でず 我が愛づる子ら 

「花が美しい桜のめでたさ、同じめでるなら
 早くめでればよかったのに
 遅すぎたことだ、私の愛する女よ」

日本の「さくら」の語源は
①作 楽(さく ら)説と
②佐 案(さ くら)説
③佐神説の3つある。
①の(さく ら)説は海彦・山彦の母上
木之花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)の
木の花「さくや」がなまって「さくら」になった。
「咲く」と
「たから」「ちから」「はしら」「かしら」等の語尾の
大切なもの、貴重なもの、中心となるものを意味する
「ら」と結びついて「さくら」になったという説

②は「早苗」「早乙女」と農業に関係する「さ」と
座 蔵 倉 鞍などの神が宿る「くら」が結びついて
「さくら」になったという説がある。
和歌森太郎氏の説

③佐神説
慶応大学名誉教授西岡秀雄先生が昭和25年に
発表され、学界で認められている説
西岡先生は世界中のトイレット・ペーパーを集めて
授業の材料した「トイレット博士」として著名な先生。

「佐」は太古における山の神の呼び名
クラは「高御座(タカミクラ)」のクラで
神が依り鎮まる「座」を意味している。
古代人の生活は何かと神に頼る事になる、
特に農作業の開始にあたって神事が行われる
「佐下ろし、田の神おろし」の行事がある。
佐の神は「さくらの木」に宿り、桜の花が咲く、
桜の花の咲く状況から農作業の手順を決めたり
その年の豊凶を占った。


各地の鎮花祭(はなしずめまつり)
奈良県桜井市の大神神社
滋賀県大津市の長等神社(三井寺)
「幣として 桜の花を枝ながら 
  山の主に今ぞ手向ける」
埼玉県大宮市氷川神社
京都市今宮神社の「安良居祭」

この他に
「サキムラガルがちぢまって桜になった」
「サクウルワシキに由来する」
「樹皮が荒くさけるゆえサクアラから桜になった」
などの説もある。

永井陽子と桜・アンサンブル・ゼフィロ

2005年05月06日 | 文学
歌人 永井陽子と桜 アンサンブル・ゼフィロ

海のむこうにさくらは咲くや 春の夜のフィガロよフィガロさびしいフィガロ

むかしむかしの木のこゑ風のこゑ ひそとしづけし木管四重奏曲        
                             永井陽子

4月8日(金)の日は朝早く、車で都心に出かけた。
お堀端は満開の桜で道路には花びらが舞っていた。

病院に入院中の知り合いの老人を迎えに行くためである。
病室から老人を車に乗せるため、初めて「車椅子」を押した。
病院の前の道には段差があり、神経を使う。
老人を乗せてから、車椅子を車のトランクに載せる時、
車椅子が以外と重く、しかも大きく、トランクにのせるのに苦労した。
こういう事は実際にやってみないとわからない事だ。
もう一度「福祉住環境コデネーター1級」の試験を受けるために
基礎から勉強し直そうかとも思った。

その老人の50歳の息子が老人の同意を得ずに勝手に印鑑証明を取って、
老人所有のアパートを売却しようとしているという、それを阻止する為に、
印鑑証明書が発行される前の朝一番に老人の住んでいる町の区役所に行き、
印鑑証明書の発行を停止するための手続きをする事になった。

区役所に残っている息子が提出した印鑑証明書発行の委任状の筆跡が
老人が書いたものでない事を証明して、息子が印鑑証明書を取りに来ても、
発行をして貰わないようにお願いしようというのである。

区役所の計らいで印鑑証明書の発行を阻止する事は出来そうだが、
今後の対策を取るために鮨屋で昼食を食べながら老人から話を聞いた。
老人はこれから息子を警察に訴えたいという。
無駄な事だと判っていたが老人の気持ちを考え、
午後は老人の住む町の警察署にも行った。

親子の対立で財産が絡んでいると複雑で
他人にはわからない事情もあり、
あまり、深入りすると最後はこっちが恨まれてしまう場合もある。
警察は相手にしてくれなかったが嫌な話だ。

老人を病院に送ってから、時間はあったが
真っ直ぐ、家に帰る気がしない、
皇居や都内の公園の桜を眺めて時間を潰した。

道路は金曜日の夕方で混んでいた。
丁度、飯田橋付近で外堀通りを新宿に向けて運転していた。
外堀の土手の桜並木は満開で
土手の桜並木の奥に時々中央線の橙色の電車が通過した。

カーラジオで夜の7時のニュースが終わると、音楽番組で、
この1月の演奏会で聞いた「アンサンブル・ゼフィロ」の
来日演奏会の録音放送になった。

曲目はモーツァルト作曲の「フイガロの結婚」からと
      セレナード変ロ長調K.361(グラン・パルティータ)

グラン・パルティータは映画「アマデウス」の中で
サリエリがこの曲を聴き、モーツァルトの天才を感じる場面に使われた。

アンサンブル・ゼフィロはイタリアの演奏団体で古楽器で演奏する。
音の柔かさ、自由闊達な演奏、聞いていて楽しくて仕方がなかった。
演奏している人たちはその何倍も楽しそうに見える演奏会だった。

アンサンブル・ゼフィロについてのHP
http://www.allegromusic.co.jp/ENSEMBLEZEFIRO.htm

http://www.arkas.or.jp/event/zefiro-fry.html

カーラジオから「フイガロの結婚」の序曲が聞こえてくると
もうだめ、車の中はたった一人の演奏会場になった。
音量を最大に上げ、どっぷりと音楽の底に沈んでゆくと、
軽快に花びらが風に舞うようなメロディの流れの中で
薄白くなったお堀の桜並木の花が
時々,対抗車のライトに照らされて白く浮かび上がった。
今日一日の出来事のすべてを忘れられるような美しさだった。

8時過ぎに家に着いたのでグラン・パルティータを
最後まで聞く事は出来なかったが
夕飯を食べる前の犬との散歩は近所の団地の桜並木を歩いた。
春の暗い闇のなかに桜が白く浮かんでいた。
永井陽子の短歌のことを思い出した。

永井陽子は1951年昭和26年愛知県生まれ、
惜しい事に2年ほど前に亡くなられた。

10年ほど前、「モーツァルトの電話帳」という題名に引かれて
永井陽子の短歌集を買った。

永井陽子の「モーツァルトの電話帳」から

海のむこうにさくらは咲くや 春の夜のフィガロよフィガロさびしいフィガロ

ゆふさりのひかりのやうな電話帳 たづさへ来たりモーツァルトは

るるるる・・・・・・と呼べども いづれかの国へ出かけてモーツァルトは不在

東洋のれんげあかりの夕暮れに モーツァルトは疲れてゐたり

むかしむかしの木のこゑ風のこゑ ひそとしづけし木管四重奏曲

以上は「モーツァルトの電話帳」から

洋服の裏側はどんな宇宙かと脱ぎ捨てられた背広に触れる

警報機鳴るやもしれぬうつし世の さくらのやみのにほふばかりを

あはれしづかな東洋の春 ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ

もうすぐ青空があの青空が落ちてくる そんなまばゆき終焉よ来たれ

永井陽子

桜守