古典鑑賞講座 「花の会」 のお知らせ
平成23年(2011)秋期スケジュール表
『花の会』は古典芸能大好きの主婦たちが昭和60年
狂言師 善竹十郎さんに世阿弥の『花伝書』の講義を
お願いして始まりました。
『日本の古典芸術をより身近なものとして理解し、
人生の糧とすべく共に学び楽しむ』をモットーに
25年間続いている古典芸能鑑賞公開講座です。
1,平成23年1月13日(木)午後2時~4時
演題:「演能雑感と装束付けデモンストレーション」
講師:シテ方金春流 高橋 汎氏
会場:北烏山地区会館 二階会議室
北烏山地区会館の案内
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00004157.html
2、平成23年1月27日木曜日 午後2時~4時
演題:「昨年の歌舞伎界 特に菊之助の合邦」
講師:共立女子大学教授 近藤端男氏
会場:世田谷文学館・2階会議室
京王線芦花公園駅下車
世田谷文学館の案内 http://www.setabun.or.jp/
3、平成23年2月10日木曜日 午後2時~4時
演題:「戦後歌舞伎の名優芸談」
講師:松竹歌舞伎プロデューサー 岡崎哲也氏
会場:北烏山地区会館 二階会議室
4、平成23年2月17日木曜日 午後2時~4時
演題:「三島由紀夫の思い出」
講師:日本芸術文化振興会顧問 織田紘二氏
会場:北烏山地区会館 二階会議室
5、平成23年3月10日木曜日 午後2時~4時
演題:「古浄瑠璃の時代」
講師:早稲田大学演劇研究センター研究員 深谷 大氏
会場:会場未定
6、平成23年3月31日(木)午後2時~4時
演題:「新劇の時代」
講師:明治大学教授 神山 彰氏
会場:世田谷文学館・2階会議室
京王線芦花公園駅下車
当期分会費 4.000円 (単独受講1.000円)
平成23年(2011)秋期スケジュール表
『花の会』は古典芸能大好きの主婦たちが昭和60年
狂言師 善竹十郎さんに世阿弥の『花伝書』の講義を
お願いして始まりました。
『日本の古典芸術をより身近なものとして理解し、
人生の糧とすべく共に学び楽しむ』をモットーに
25年間続いている古典芸能鑑賞公開講座です。
1,平成23年1月13日(木)午後2時~4時
演題:「演能雑感と装束付けデモンストレーション」
講師:シテ方金春流 高橋 汎氏
会場:北烏山地区会館 二階会議室
北烏山地区会館の案内
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00004157.html
2、平成23年1月27日木曜日 午後2時~4時
演題:「昨年の歌舞伎界 特に菊之助の合邦」
講師:共立女子大学教授 近藤端男氏
会場:世田谷文学館・2階会議室
京王線芦花公園駅下車
世田谷文学館の案内 http://www.setabun.or.jp/
3、平成23年2月10日木曜日 午後2時~4時
演題:「戦後歌舞伎の名優芸談」
講師:松竹歌舞伎プロデューサー 岡崎哲也氏
会場:北烏山地区会館 二階会議室
4、平成23年2月17日木曜日 午後2時~4時
演題:「三島由紀夫の思い出」
講師:日本芸術文化振興会顧問 織田紘二氏
会場:北烏山地区会館 二階会議室
5、平成23年3月10日木曜日 午後2時~4時
演題:「古浄瑠璃の時代」
講師:早稲田大学演劇研究センター研究員 深谷 大氏
会場:会場未定
6、平成23年3月31日(木)午後2時~4時
演題:「新劇の時代」
講師:明治大学教授 神山 彰氏
会場:世田谷文学館・2階会議室
京王線芦花公園駅下車
当期分会費 4.000円 (単独受講1.000円)
300回記念では、永井路子さんや西村滋さんのトークショーのほか、
建長寺の「親と子の朗読会」、10月に300回記念でイベント/鎌倉
2010年9月28日神奈川新聞から
土曜朗読会300回記念のイベントを手掛ける建長寺の永井宗直教学部長と関東学院大の学生ら
鎌倉市の建長寺で毎週土曜日に休むことなく続けられている「親と子の土曜朗読会」が、10月16日で300回の節目を迎える。これを記念して同日、作家らによるトークショーや座談会、特別朗読会などの催しが、同市小町の鎌倉生涯学習センターで開かれる。
土曜朗読会は、建長寺と、地元出版社「かまくら春秋社」代表で関東学院大の伊藤玄二郎教授が中心となって企画。古刹(こさつ)を会場に、子どもたちに寺子屋的に本に触れてもらおうと、2005年1月に始まった。
朗読は主に、女優の牧三千子さんが担当。運営には伊藤教授のゼミナールの学生らも協力し、司会進行や朗読会前の座禅の指導などに携わっている。
これまでも50回ごとに記念イベントを開催。300回記念では、永井路子さんや西村滋さんのトークショーのほか、三木卓さんや太田治子さんらによる「読書の楽しみ」と題した座談会を行う。また、仏教音楽「声明(しょうみょう)」の演奏に合わせ、牧さんが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を朗読する。
午後3時から。参加希望者は、往復はがきに、住所、氏名、電話番号を記入し、NPO法人「日本語の美しさを伝える会」(鎌倉市小町2―14―7)まで申し込む。1枚のはがきで、4人まで(全員の氏名を明記)申し込み可。定員は280人。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1009280052/
建長寺の「親と子の朗読会」、10月に300回記念でイベント/鎌倉
2010年9月28日神奈川新聞から
土曜朗読会300回記念のイベントを手掛ける建長寺の永井宗直教学部長と関東学院大の学生ら
鎌倉市の建長寺で毎週土曜日に休むことなく続けられている「親と子の土曜朗読会」が、10月16日で300回の節目を迎える。これを記念して同日、作家らによるトークショーや座談会、特別朗読会などの催しが、同市小町の鎌倉生涯学習センターで開かれる。
土曜朗読会は、建長寺と、地元出版社「かまくら春秋社」代表で関東学院大の伊藤玄二郎教授が中心となって企画。古刹(こさつ)を会場に、子どもたちに寺子屋的に本に触れてもらおうと、2005年1月に始まった。
朗読は主に、女優の牧三千子さんが担当。運営には伊藤教授のゼミナールの学生らも協力し、司会進行や朗読会前の座禅の指導などに携わっている。
これまでも50回ごとに記念イベントを開催。300回記念では、永井路子さんや西村滋さんのトークショーのほか、三木卓さんや太田治子さんらによる「読書の楽しみ」と題した座談会を行う。また、仏教音楽「声明(しょうみょう)」の演奏に合わせ、牧さんが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を朗読する。
午後3時から。参加希望者は、往復はがきに、住所、氏名、電話番号を記入し、NPO法人「日本語の美しさを伝える会」(鎌倉市小町2―14―7)まで申し込む。1枚のはがきで、4人まで(全員の氏名を明記)申し込み可。定員は280人。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1009280052/
『寒緋桜』は中国から台湾にかけて分布する桜。
日本では沖縄の石垣島、久米島に自生する。
日本の桜の祖先といわれるヒマラヤ地方に自生して、
11月頃に咲く「ヒマラヤ桜」に似ている。
花の色は濃い紅紫色で淡いものや白いのもある。
花が筒状で下向きに咲き、花びらがあまり開かない、
この特徴から、学名をカンパヌラタ「鐘形の」と名付けられた。
花びらはほとんど開かないで落下する。
花は多量の蜜を貯める為、メジロやヒヨドリが訪れる。
別名「緋寒桜」(ヒカンザクラ) 「薩摩緋桜」
九州では元日に咲くので「元日桜」とも言う。
『琉球寒緋桜』(リュウキュウカンヒザクラ) 寒緋桜の変種
花が釣鐘型でなく半開し、花の色も薄い桃紅色
早春に咲く桜は「寒緋桜」や「しな実桜」との交配種が多い
寒緋桜の系統は赤い桜で、支那実桜の系統は白い桜が多い
代表的な早咲き桜
1、山桜の系統
1-1「寒桜」(カンザクラ) 淡紅色小輪一重
寒緋桜と山桜の雑種
東京で一番最初に咲く桜
1-2「横浜緋桜」(ヨコハマヒザクラ) 紫ピンクの大輪一重
寒緋桜と兼六園熊谷との交配種
昭和60年白井勲氏が登録
2、大島桜の系統
2-1「大寒桜」(オオカンザクラ) 淡紅色中輪一重
寒緋桜×大島桜
埼玉県川口市安行で発見されたので「安行寒桜」「遅咲寒桜」とも言う。
2-2「河津桜」(カワヅザクラ) 紅色中輪一重
寒緋桜×大島桜
伊豆河津町の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃
自生していた原木を河津町に移植 早咲き桜として有名
2-3「伊豆多賀赤」(イズタガアカ) 角田春彦が作出した桜
2-4「修善寺寒桜」(シュゼンジカンザジュラ) 花はかなり濃い赤中輪一重
寒緋桜×大島桜
原木は伊豆修善寺境内にある。
2-5「紅鶴桜」(ベニヅルザクラ) 淡紅色小輪一重
寒桜と染井吉野の雑種と推定
神奈川県真鶴で発見
2-6「陽光」(ヨウコウ) 紅色大輪一重
愛知県の高岡正明氏が天城吉野と寒緋桜を交配して作成
昭和56年品種登録
2-7「紅姫」(ベニヒメ) 明赤紫色中輪の花
寒緋桜と天城吉野の交配種
平成2年 高岡照海、正明、豊氏が登録
注1「天城吉野桜」(アマギヨシノ) 白色から基部は淡紅紫色になる。
国立遺伝研究所でソメイヨシノを研究するなかで生まれた桜
大島桜を母 エドヒガンを父としている。
反対に「伊豆吉野」はエドヒガンを母 大島桜を父として生まれた品種
「ソメイヨシノ」についてはまだ結論が出ていない。
注2「玉縄桜」(タマナワサクラ) 淡紫ピンクの中輪一重の花
染井吉野の自然交配種
平成2年鎌倉の市川正温、小栗義隆、内藤忠氏が登録
3、豆桜の系統
3-1「オカメ」 紅紫色の長楕円形で先端は深く切り込む花弁は5個
寒緋桜と豆桜
イギリスの桜愛好家が作出
3-2「富士菊桜」 淡紅白色小輪の菊咲き 2~3段咲きもある。
静岡県天子岳で発見 昭和56年登録
3-3「加茂の曙」 淡紫ピンク小輪菊咲き
加茂市の山中で発見された変種株
昭和60年 坂上長作氏が登録
注3「藪桜」(ヤブザクラ)
注4「星桜」(ホシザクラ)
どちらも白色から少し淡紅色を帯び中輪一重
東京多摩丘陵に自生する桜 豆桜の変種
注5「小彼岸桜」(コヒガンザクラ)は豆桜と江戸彼岸の雑種と推定されている。
4、支那実桜の系統
4-1「椿寒桜」(ツバキカンザクラ) 紅紫色
寒緋桜とシナミザクラか寒桜との雑種
別名「高知雪割桜」 「初美人」
原木は静岡県・伊豆比古命神社(椿宮)にある。
日本では沖縄の石垣島、久米島に自生する。
日本の桜の祖先といわれるヒマラヤ地方に自生して、
11月頃に咲く「ヒマラヤ桜」に似ている。
花の色は濃い紅紫色で淡いものや白いのもある。
花が筒状で下向きに咲き、花びらがあまり開かない、
この特徴から、学名をカンパヌラタ「鐘形の」と名付けられた。
花びらはほとんど開かないで落下する。
花は多量の蜜を貯める為、メジロやヒヨドリが訪れる。
別名「緋寒桜」(ヒカンザクラ) 「薩摩緋桜」
九州では元日に咲くので「元日桜」とも言う。
『琉球寒緋桜』(リュウキュウカンヒザクラ) 寒緋桜の変種
花が釣鐘型でなく半開し、花の色も薄い桃紅色
早春に咲く桜は「寒緋桜」や「しな実桜」との交配種が多い
寒緋桜の系統は赤い桜で、支那実桜の系統は白い桜が多い
代表的な早咲き桜
1、山桜の系統
1-1「寒桜」(カンザクラ) 淡紅色小輪一重
寒緋桜と山桜の雑種
東京で一番最初に咲く桜
1-2「横浜緋桜」(ヨコハマヒザクラ) 紫ピンクの大輪一重
寒緋桜と兼六園熊谷との交配種
昭和60年白井勲氏が登録
2、大島桜の系統
2-1「大寒桜」(オオカンザクラ) 淡紅色中輪一重
寒緋桜×大島桜
埼玉県川口市安行で発見されたので「安行寒桜」「遅咲寒桜」とも言う。
2-2「河津桜」(カワヅザクラ) 紅色中輪一重
寒緋桜×大島桜
伊豆河津町の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃
自生していた原木を河津町に移植 早咲き桜として有名
2-3「伊豆多賀赤」(イズタガアカ) 角田春彦が作出した桜
2-4「修善寺寒桜」(シュゼンジカンザジュラ) 花はかなり濃い赤中輪一重
寒緋桜×大島桜
原木は伊豆修善寺境内にある。
2-5「紅鶴桜」(ベニヅルザクラ) 淡紅色小輪一重
寒桜と染井吉野の雑種と推定
神奈川県真鶴で発見
2-6「陽光」(ヨウコウ) 紅色大輪一重
愛知県の高岡正明氏が天城吉野と寒緋桜を交配して作成
昭和56年品種登録
2-7「紅姫」(ベニヒメ) 明赤紫色中輪の花
寒緋桜と天城吉野の交配種
平成2年 高岡照海、正明、豊氏が登録
注1「天城吉野桜」(アマギヨシノ) 白色から基部は淡紅紫色になる。
国立遺伝研究所でソメイヨシノを研究するなかで生まれた桜
大島桜を母 エドヒガンを父としている。
反対に「伊豆吉野」はエドヒガンを母 大島桜を父として生まれた品種
「ソメイヨシノ」についてはまだ結論が出ていない。
注2「玉縄桜」(タマナワサクラ) 淡紫ピンクの中輪一重の花
染井吉野の自然交配種
平成2年鎌倉の市川正温、小栗義隆、内藤忠氏が登録
3、豆桜の系統
3-1「オカメ」 紅紫色の長楕円形で先端は深く切り込む花弁は5個
寒緋桜と豆桜
イギリスの桜愛好家が作出
3-2「富士菊桜」 淡紅白色小輪の菊咲き 2~3段咲きもある。
静岡県天子岳で発見 昭和56年登録
3-3「加茂の曙」 淡紫ピンク小輪菊咲き
加茂市の山中で発見された変種株
昭和60年 坂上長作氏が登録
注3「藪桜」(ヤブザクラ)
注4「星桜」(ホシザクラ)
どちらも白色から少し淡紅色を帯び中輪一重
東京多摩丘陵に自生する桜 豆桜の変種
注5「小彼岸桜」(コヒガンザクラ)は豆桜と江戸彼岸の雑種と推定されている。
4、支那実桜の系統
4-1「椿寒桜」(ツバキカンザクラ) 紅紫色
寒緋桜とシナミザクラか寒桜との雑種
別名「高知雪割桜」 「初美人」
原木は静岡県・伊豆比古命神社(椿宮)にある。
桜開花は早め? 東京3月22日、大阪24日 気象協会
2007年01月30日09時17分 朝日新聞
桜の開花は早ければ東京都心が3月22日、大阪市が24日――。日本気象協会は
29日、桜の開花予想を出した。春先まで暖かい日が多く、各地で平年より数日早い
という。
同協会によると、開花予想は東京都心と名古屋市が3月22~25日(平年は3月
28日)、大阪市が24~27日(同30日)、福岡市が20~23日(同26
日)。
65年以降の各地の気温と開花時期のデータと、2~4月の予想気温から開花予想
日を独自に推計した。全国79地点の予想は、携帯の有料サイトに掲載している。
http://www.asahi.com/life/update/0130/002.html
2007年01月30日09時17分 朝日新聞
桜の開花は早ければ東京都心が3月22日、大阪市が24日――。日本気象協会は
29日、桜の開花予想を出した。春先まで暖かい日が多く、各地で平年より数日早い
という。
同協会によると、開花予想は東京都心と名古屋市が3月22~25日(平年は3月
28日)、大阪市が24~27日(同30日)、福岡市が20~23日(同26
日)。
65年以降の各地の気温と開花時期のデータと、2~4月の予想気温から開花予想
日を独自に推計した。全国79地点の予想は、携帯の有料サイトに掲載している。
http://www.asahi.com/life/update/0130/002.html
Ⅰ 季節はずれの「エドヒガンザクラ」 中日新聞から
桜の名所が見ごろ?
季節外れの花を咲かしたエドヒガンザクラ=日立市で
桜の名所として知られる日立市で、
エドヒガンザクラが季節外れの花を咲かせ、地元の人を喜ばせている。
見ごろを迎えているのは、同市神峰町の市営高松台団地脇にある10本。
5年前、団地の前に市道ができたことを記念し、
住民グループ「中小路を住みよくする会」などが植えた。
毎年、春には薄ピンク色の花を楽しめるが、
今月に入って突然、開花したという。
植樹に携わった男性(69)は「なぜこんな時季に…」と驚きながらも、
うれしそうな様子。通りかかった子どもたちは「見て、見て!」と、大はしゃぎだっ
た。
(生島章弘)
http://www.chunichi.co.jp/00/ibg/20061026/lcl_____ibg_____003.shtml
Ⅱ 秋に咲いた桜には古代史に有名な話がある。
仁徳天皇の息子で、第17代履中天皇は履中元年(400)に即位し、
都を大阪から、磐余(現在の大和桜井町の近く)に移し、宮殿を新築した。
即位の翌年11月(現在の12月)、宮殿が完成したので、落成式をした。
落成式の余興に、天皇は宮殿の前の池に舟を浮かべて楽しんでいたら、
何処からともなく、桜の花が飛んできて、盃に花びらが舞い落ちたと言う。
天皇は時ならぬ桜の花に吉兆だと喜び,完成した宮殿を「稚櫻宮」と名付けた。
あとで、桜の花が舞い落ちたのは宮殿の建設に従事した役人の一人が
山に咲いていた桜の枝を採ってきたからだと判り、
天皇は桜の枝を採ってきた役人に、「稚櫻部造」という号を賜ったという。
後に「稚櫻部造」は志摩と若狭の国司となったので、
「稚櫻部造」の名前から、若狭の国の名前が生まれたと言われている。
履中天皇は各地に国司を置き、各地の歴史を編纂させた事でも有名な天皇
大阪,堺市にある日本で三番目に大きい古墳に葬られている。
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/017/index.html
http://megasite.cool.ne.jp/Mega/Kodaishi/kodai05/Mozu/Map_Mozu.jpg
天皇の盃に舞い落ちた桜は現在の「十月桜」ではないかと言われている。
前にも書いたが,秋に咲く桜は現在の日本には大きく分けると4種類ほどある。
どの桜の花が天皇の盃に舞い落ちたかのか現在ではわからない。
Ⅲ 晩秋に花を咲かせる桜がある理由
第一の理由は日本の桜の先祖返りである。
日本の桜の先祖はヒマラヤ地方に咲いている桜だと言われている。
ヒマラヤ桜は秋に咲く桜なので、秋に咲く桜が日本に存在しても不思議はない。
「ヒマラヤザクラ」について
幹の直径50cmにもなる落葉高木.
ヒマラヤからインド,中国,タイ北部に分布し,
日本では11月から12月頃まで開花する.
現在、東京大学の構内に咲いている「ヒマラヤザクラ」
http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt/kigi/sakrhima.htm
ネパールのサクラと日本の桜は両国の友好の架け橋
-2006年日本・ネパール国交樹立50周年に思う-
パルーンのサクラ 元東京農業大学教授 染郷 正孝
http://www.nichine.or.jp/sakura.doc
第二の理由は狂い咲きである。
植物は秋になり、日照時間が短くなると,冬に芽が出ないように、
葉が根元に休眠を促す物質(成長抑制ホルモン)を作る。
その作用で、芽は葉や蕾が翌春まで開かないように休眠する。
害虫に葉を食べられたり、台風で葉を取られてしまうと
葉の成長抑制物質が作られないので、
季節はずれに若葉が出たり、桜の花が咲いてしまう事がある。
私の経験でも、6月、家の桜に「アメリカシロヒトリ」の害虫が発生した事がある。
ちょうど、木に掛けてあった巣箱に「シジュウカラ」の雛が孵っていた時であった。
沢山の毛虫は孵った雛の餌になると思い、殺虫剤を撒かないでいた。
やがて、桜の木は葉を食いつぶされ見事に丸坊主になってしまった。
梅雨が終わる頃、若葉が芽吹いたが何本かの枝に花が咲いた事がある。
又、秋の台風の影響で葉が散った桜の枝にも、
寒い日が続いた11月の末に桜が咲いた事がある。
今年の秋は我が家の桜も、毛虫が大発生したのか?
葉のない枝が沢山ある、今年は11月下旬に花が咲くかもしれない。
私は履中天皇の盃に舞い落ちた桜の花びらは現在の「十月櫻」「冬桜」ではなく、
宮殿建設の突貫工事の影響で、葉を落とされてしまった桜の枝が
初冬の暖かい日差しのなかで、春がきたと錯覚して,
桜の花を咲かせたのではないだろうかと思っている。
以上
桜の名所が見ごろ?
季節外れの花を咲かしたエドヒガンザクラ=日立市で
桜の名所として知られる日立市で、
エドヒガンザクラが季節外れの花を咲かせ、地元の人を喜ばせている。
見ごろを迎えているのは、同市神峰町の市営高松台団地脇にある10本。
5年前、団地の前に市道ができたことを記念し、
住民グループ「中小路を住みよくする会」などが植えた。
毎年、春には薄ピンク色の花を楽しめるが、
今月に入って突然、開花したという。
植樹に携わった男性(69)は「なぜこんな時季に…」と驚きながらも、
うれしそうな様子。通りかかった子どもたちは「見て、見て!」と、大はしゃぎだっ
た。
(生島章弘)
http://www.chunichi.co.jp/00/ibg/20061026/lcl_____ibg_____003.shtml
Ⅱ 秋に咲いた桜には古代史に有名な話がある。
仁徳天皇の息子で、第17代履中天皇は履中元年(400)に即位し、
都を大阪から、磐余(現在の大和桜井町の近く)に移し、宮殿を新築した。
即位の翌年11月(現在の12月)、宮殿が完成したので、落成式をした。
落成式の余興に、天皇は宮殿の前の池に舟を浮かべて楽しんでいたら、
何処からともなく、桜の花が飛んできて、盃に花びらが舞い落ちたと言う。
天皇は時ならぬ桜の花に吉兆だと喜び,完成した宮殿を「稚櫻宮」と名付けた。
あとで、桜の花が舞い落ちたのは宮殿の建設に従事した役人の一人が
山に咲いていた桜の枝を採ってきたからだと判り、
天皇は桜の枝を採ってきた役人に、「稚櫻部造」という号を賜ったという。
後に「稚櫻部造」は志摩と若狭の国司となったので、
「稚櫻部造」の名前から、若狭の国の名前が生まれたと言われている。
履中天皇は各地に国司を置き、各地の歴史を編纂させた事でも有名な天皇
大阪,堺市にある日本で三番目に大きい古墳に葬られている。
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/017/index.html
http://megasite.cool.ne.jp/Mega/Kodaishi/kodai05/Mozu/Map_Mozu.jpg
天皇の盃に舞い落ちた桜は現在の「十月桜」ではないかと言われている。
前にも書いたが,秋に咲く桜は現在の日本には大きく分けると4種類ほどある。
どの桜の花が天皇の盃に舞い落ちたかのか現在ではわからない。
Ⅲ 晩秋に花を咲かせる桜がある理由
第一の理由は日本の桜の先祖返りである。
日本の桜の先祖はヒマラヤ地方に咲いている桜だと言われている。
ヒマラヤ桜は秋に咲く桜なので、秋に咲く桜が日本に存在しても不思議はない。
「ヒマラヤザクラ」について
幹の直径50cmにもなる落葉高木.
ヒマラヤからインド,中国,タイ北部に分布し,
日本では11月から12月頃まで開花する.
現在、東京大学の構内に咲いている「ヒマラヤザクラ」
http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt/kigi/sakrhima.htm
ネパールのサクラと日本の桜は両国の友好の架け橋
-2006年日本・ネパール国交樹立50周年に思う-
パルーンのサクラ 元東京農業大学教授 染郷 正孝
http://www.nichine.or.jp/sakura.doc
第二の理由は狂い咲きである。
植物は秋になり、日照時間が短くなると,冬に芽が出ないように、
葉が根元に休眠を促す物質(成長抑制ホルモン)を作る。
その作用で、芽は葉や蕾が翌春まで開かないように休眠する。
害虫に葉を食べられたり、台風で葉を取られてしまうと
葉の成長抑制物質が作られないので、
季節はずれに若葉が出たり、桜の花が咲いてしまう事がある。
私の経験でも、6月、家の桜に「アメリカシロヒトリ」の害虫が発生した事がある。
ちょうど、木に掛けてあった巣箱に「シジュウカラ」の雛が孵っていた時であった。
沢山の毛虫は孵った雛の餌になると思い、殺虫剤を撒かないでいた。
やがて、桜の木は葉を食いつぶされ見事に丸坊主になってしまった。
梅雨が終わる頃、若葉が芽吹いたが何本かの枝に花が咲いた事がある。
又、秋の台風の影響で葉が散った桜の枝にも、
寒い日が続いた11月の末に桜が咲いた事がある。
今年の秋は我が家の桜も、毛虫が大発生したのか?
葉のない枝が沢山ある、今年は11月下旬に花が咲くかもしれない。
私は履中天皇の盃に舞い落ちた桜の花びらは現在の「十月櫻」「冬桜」ではなく、
宮殿建設の突貫工事の影響で、葉を落とされてしまった桜の枝が
初冬の暖かい日差しのなかで、春がきたと錯覚して,
桜の花を咲かせたのではないだろうかと思っている。
以上
昨日(10月14日)の朝日新聞の夕刊に
「サクラ異変 葉っぱ虫食い丸坊主 毛虫大発生か」
という記事がありました。
私が東京の桜の木の葉の桜の虫食いに気がついたのは
今年の6月の中旬頃からでした。
自分なりに原因を調べても、
アメリカシロヒトリの毛虫のようではないように思いました。
記事のなかで、葉を落とした原因を
『「ただ葉脈状にしたのはハバチの仲間かもしれません」。』
という文章を見て何となく納得が行きました。
来年の東京の公園の桜は綺麗に咲くか,心配しています。
2006年10月14日
「サクラ異変 葉っぱ虫食い丸坊主 毛虫大発生か」
都心の街路樹や公園のサクラの木が、落葉を前に次々丸坊主になっている。葉脈だけを網目のように残した葉ばかりがついている木も多い。例年なら10月下旬に散るはずが、今年はいったい何が起きたのか。
オフィス街にある日比谷公園(東京都千代田区)には、150本以上のサクラの木がある。例年なら10月下旬ごろに散るはずなのに、今年は9月上旬から中旬にかけて、数本が早々と丸坊主に。公園管理所の職員は「あっという間の出来事だった」と驚く。
異変は、サクラ800本を持つ都立神代植物公園(調布市)でもみられた。パンフレットにも載せているサクラの名木「神代曙」が9月に、丸坊主になった。別の木でも葉脈だけが網目状に残ったサクラの葉が目立つ。
都道を管理する都建設局によると、練馬区ではこの夏、街路樹のサクラの一部でやはり葉脈だけの葉が目立った。
「どれも虫食いの被害です。今年は例年より食べられてますね」。立川市の農業試験場内にある都病害虫防除所の担当者沼沢健一さん(55)は言う。
沼沢さんによると、サクラの葉を食う主な病害虫としては、外来のアメリカシロヒトリ、シャチホコ形に反り返る黒い毛虫モンクロシャチホコが知られている。「この秋、木を丸坊主にしているのはモンクロシャチホコでしょう。ただ葉脈状にしたのはハバチの仲間かもしれません」。ハバチはハチの仲間だが、ミツバチのように刺したりすることはないそうだ。
日本昆虫協会会長の奥本大三郎・埼玉大教授は「今年は毛虫が多いのでしょうね。その理由は我々にもわかりません」と首をひねる。
「でも、今年毛虫が大発生すれば、同時に天敵が大発生して来年、毛虫たちはぐんと減ります。自然の摂理です。毛虫が葉っぱを食べるのは自然なことで、そのままにしておけば、来年はきっときれいな花が咲きますよ」
http://www.asahi.com/science/news/TKY200610140201.html
このような私のコメントに対して,知り合いの専門家から
次のような点を指摘して頂きました。
記事にはない問題点
1、自然保護、農薬禁止運動の高まりで公園の樹木に大量の農薬を撒くとを非難される
2、予算削減により,公園の樹木に農薬を撒く回数が少なくなっている。
3、そのためにアメリカシロヒトリなどの虫の被害が増大している。
4、各地の桜並木に「トラカミキリ」という虫が入り込み被害が増大している。
私はこの他に今年の異常な夏の暑さも原因があると思っています。
以上です。
「サクラ異変 葉っぱ虫食い丸坊主 毛虫大発生か」
という記事がありました。
私が東京の桜の木の葉の桜の虫食いに気がついたのは
今年の6月の中旬頃からでした。
自分なりに原因を調べても、
アメリカシロヒトリの毛虫のようではないように思いました。
記事のなかで、葉を落とした原因を
『「ただ葉脈状にしたのはハバチの仲間かもしれません」。』
という文章を見て何となく納得が行きました。
来年の東京の公園の桜は綺麗に咲くか,心配しています。
2006年10月14日
「サクラ異変 葉っぱ虫食い丸坊主 毛虫大発生か」
都心の街路樹や公園のサクラの木が、落葉を前に次々丸坊主になっている。葉脈だけを網目のように残した葉ばかりがついている木も多い。例年なら10月下旬に散るはずが、今年はいったい何が起きたのか。
オフィス街にある日比谷公園(東京都千代田区)には、150本以上のサクラの木がある。例年なら10月下旬ごろに散るはずなのに、今年は9月上旬から中旬にかけて、数本が早々と丸坊主に。公園管理所の職員は「あっという間の出来事だった」と驚く。
異変は、サクラ800本を持つ都立神代植物公園(調布市)でもみられた。パンフレットにも載せているサクラの名木「神代曙」が9月に、丸坊主になった。別の木でも葉脈だけが網目状に残ったサクラの葉が目立つ。
都道を管理する都建設局によると、練馬区ではこの夏、街路樹のサクラの一部でやはり葉脈だけの葉が目立った。
「どれも虫食いの被害です。今年は例年より食べられてますね」。立川市の農業試験場内にある都病害虫防除所の担当者沼沢健一さん(55)は言う。
沼沢さんによると、サクラの葉を食う主な病害虫としては、外来のアメリカシロヒトリ、シャチホコ形に反り返る黒い毛虫モンクロシャチホコが知られている。「この秋、木を丸坊主にしているのはモンクロシャチホコでしょう。ただ葉脈状にしたのはハバチの仲間かもしれません」。ハバチはハチの仲間だが、ミツバチのように刺したりすることはないそうだ。
日本昆虫協会会長の奥本大三郎・埼玉大教授は「今年は毛虫が多いのでしょうね。その理由は我々にもわかりません」と首をひねる。
「でも、今年毛虫が大発生すれば、同時に天敵が大発生して来年、毛虫たちはぐんと減ります。自然の摂理です。毛虫が葉っぱを食べるのは自然なことで、そのままにしておけば、来年はきっときれいな花が咲きますよ」
http://www.asahi.com/science/news/TKY200610140201.html
このような私のコメントに対して,知り合いの専門家から
次のような点を指摘して頂きました。
記事にはない問題点
1、自然保護、農薬禁止運動の高まりで公園の樹木に大量の農薬を撒くとを非難される
2、予算削減により,公園の樹木に農薬を撒く回数が少なくなっている。
3、そのためにアメリカシロヒトリなどの虫の被害が増大している。
4、各地の桜並木に「トラカミキリ」という虫が入り込み被害が増大している。
私はこの他に今年の異常な夏の暑さも原因があると思っています。
以上です。
ワシントンの桜といえばポトマック河畔の桜が有名
衆議院議員で東京市長の尾崎行雄(安政5年1858~昭和29年1954)が
明治45年アメリカのワシントン市に桜の苗木(3000本)を送りました。
尾崎行雄が昭和29年10月6日に神奈川県の逗子で亡くなられてから
平成16年で50年、これを記念して国会前の憲政記念館では
平成16年5月20日~6月11日まで、
「尾崎行雄と議会政治特別展」が開かれました。
特別展でワシントン市に桜を送った経過が展示されていました。
1909年(明治42年)8月18日
衆議院議員で東京市長の尾崎行雄はその頃、
日露戦争を講和に導いてくれたアメリカの恩義に報いようと考えていた。
丁度、アメリカのタフト大統領夫人が日本の桜を
ワシントンに植樹したいとの希望があることを知り、
尾崎行雄はワシントン市に桜の苗木を贈る事を決めた。
10種2000本の桜の苗木をワシントンに贈った。
しかし、桜の苗木は病害虫のため、防疫検査が通らず、
全て焼却処分された。この失敗から尾崎は健全な苗木の育成を考え、
当時の農商務省興津園芸試験場に委託して、
苗木を育て3年後の明治45年(1912年)
染井吉野ほか9種類3000本の苗木をワシントンに贈った。
その桜はポートマス河畔で見事に開花した。
贈られた苗木は染井吉野1種類ではなく、
10種類もの種類があつたために桜の交雑があり、
アメリカの気候風土に適合した二代目、三代目の桜が生まれた。
ポトマック河畔を始め、全米各地に広がり日米親善のシンボルとして
今日に至っている。
特別展で配られていた無料の小冊子に
尾崎行雄の三女 相馬雪香さんの
「父・咢堂の思い出の数々」が載っていました。
その中で尾崎行雄が娘相馬雪香さんに与えた言葉は
尾崎行雄の優しさと心の広さがにじみ出ていて、
今の世界を考える一助になると思い取り上げます。
「尾崎行雄と議会政治特別展」編集・発行・衆議院憲政記念館
相馬雪香「父・咢堂の思い出の数々」 10ページ
「父は東京市長時代、アメリカに桜を三千本寄贈しました。
それは、日露戦争の折、アメリカのルーズベルト大統領の
好意に満ちた講和斡旋に対する感謝の気持ちからでした。
時の米大統領タフトの夫人が、
沼地の多かった当時のワシントン市を美化するために
日本の桜を植えたい希望をもっている事を知り、
市民を代表する意味で行った事でした。
しかし、私が小学校の地理の時間に先生が「桜は日本の魂だ、
それを外国に売ったヤツがいる」と言われたのです。」 同書10ページ
この桜の返礼にアメリカから30本のハナミズキの苗木が贈られました。
日比谷公園など日本全国16箇所の公園に植えられました。
ワシントン市のポートマス河畔の立派な桜並木に比べて、
この時、桜の返礼にアメリカから贈られた「ハナミズキ」の木は現在、小石川植物園
や世田谷の都立園芸高校の校庭の裏のほうに人目を避けるように植えられています。
しかも数本しか残っていないのです。
相馬雪香さんの文章でその理由が少し判ったように思いました。
尾崎行雄の記念展覧会に配られた小冊子に
政策研究大学院教授 伊藤 隆氏が
「政治家 尾崎行雄について」という文を書いている。
尾崎行雄は慶応義塾で学び、福澤諭吉の推薦で
明治12年「新潟新聞」の主筆となりました。
翌年、統計院権少書記官となりましたが明治14年の政変で退官し、
その後、政治家になりました。
大正8年(1919)3月、尾崎行雄は第一次世界大戦後の
欧米の情勢を視察するため、横浜を出航しました。
この視察の途中、尾崎がワシントンで桜と再開した時詠んだ歌
「異国(とつくに)の春の光を添へなんと
寄せし桜の花 この日咲く」 咢堂翁61歳
尾崎は戦争に荒廃した戦渦のあとのヨーロッパを目のあたりにし、
あの大戦は何のための戦争であつたのかと疑問を強く持った。
「全然無意味、無目的の悪戦苦闘に過ぎなかったのだ、
幾百万の戦死者こそ、気の毒なれ」尾崎行雄著「軍備制限」
尾崎行雄は戦争の悲惨な現場を見た事で
人間として、政治家として大きく成長したのでした。
この経験から尾崎は軍備縮小論者となり、
軍縮決議案を第44議会大正10年(1921)に提出しました。
同書 56ページには
「昭和19年6月、尾崎は大審院で不敬罪事件の無罪判決を受けるが、
その政治活動は閉ざされてしまっていた。
尾崎は敗戦に至る間、池の平の山荘にこもり、わが国の敗戦を見越して、
日本の休戦と新世界の建設を提案する論文を執筆した。
終戦後、尾崎は議会に未発表の論文を基にした世界連邦建設に関する
決議案を提出した。」 咢堂翁87歳
これは世界連邦の提唱であるとともに、
国際社会での日本のあり方を示すものでした。
つぎの文章は尾崎行雄が娘さんの相馬雪香さんにお話したことです。
同書 相馬雪香「父・咢堂の思い出の数々」から
「大正12年の関東大震災の時、私どもは軽井沢にいました。
たまたま父を訪ねて来た人が、不逞朝鮮人が井戸に毒を入れたということで、
自警団が組織されて大混乱だという話をしていました。
父は「(毒を入れたなどということは)流言飛語だと思うけれど、
一歩譲ってそうだとしたら、なぜ、そのようなことをするほど追い詰められた
気持ちにさせられたか、こちら側に反省が無いとだめです」と言っていました。
相手だけを責めるのではなく自分を省みるということも
私の心のどこかに根づいたと
言えましょう。何年か経って、排日運動が中国に起こり、
こらしめるべきだという意見がマスコミを賑わした時も、
父は「排日になるようなやり方を反省しないのはおかしい」と言っていました。
物事は一方からだけ見て判断するのではなく、
両方から公平に見ることが父の特長だったと思います。」 同書10ページ
尾崎行雄が娘さんの相馬雪香さんにお話した事はこれからの日本の問題について、
私たちが考え行動するために大切な事だと思うので、ここに書き留めておきます。
衆議院議員で東京市長の尾崎行雄(安政5年1858~昭和29年1954)が
明治45年アメリカのワシントン市に桜の苗木(3000本)を送りました。
尾崎行雄が昭和29年10月6日に神奈川県の逗子で亡くなられてから
平成16年で50年、これを記念して国会前の憲政記念館では
平成16年5月20日~6月11日まで、
「尾崎行雄と議会政治特別展」が開かれました。
特別展でワシントン市に桜を送った経過が展示されていました。
1909年(明治42年)8月18日
衆議院議員で東京市長の尾崎行雄はその頃、
日露戦争を講和に導いてくれたアメリカの恩義に報いようと考えていた。
丁度、アメリカのタフト大統領夫人が日本の桜を
ワシントンに植樹したいとの希望があることを知り、
尾崎行雄はワシントン市に桜の苗木を贈る事を決めた。
10種2000本の桜の苗木をワシントンに贈った。
しかし、桜の苗木は病害虫のため、防疫検査が通らず、
全て焼却処分された。この失敗から尾崎は健全な苗木の育成を考え、
当時の農商務省興津園芸試験場に委託して、
苗木を育て3年後の明治45年(1912年)
染井吉野ほか9種類3000本の苗木をワシントンに贈った。
その桜はポートマス河畔で見事に開花した。
贈られた苗木は染井吉野1種類ではなく、
10種類もの種類があつたために桜の交雑があり、
アメリカの気候風土に適合した二代目、三代目の桜が生まれた。
ポトマック河畔を始め、全米各地に広がり日米親善のシンボルとして
今日に至っている。
特別展で配られていた無料の小冊子に
尾崎行雄の三女 相馬雪香さんの
「父・咢堂の思い出の数々」が載っていました。
その中で尾崎行雄が娘相馬雪香さんに与えた言葉は
尾崎行雄の優しさと心の広さがにじみ出ていて、
今の世界を考える一助になると思い取り上げます。
「尾崎行雄と議会政治特別展」編集・発行・衆議院憲政記念館
相馬雪香「父・咢堂の思い出の数々」 10ページ
「父は東京市長時代、アメリカに桜を三千本寄贈しました。
それは、日露戦争の折、アメリカのルーズベルト大統領の
好意に満ちた講和斡旋に対する感謝の気持ちからでした。
時の米大統領タフトの夫人が、
沼地の多かった当時のワシントン市を美化するために
日本の桜を植えたい希望をもっている事を知り、
市民を代表する意味で行った事でした。
しかし、私が小学校の地理の時間に先生が「桜は日本の魂だ、
それを外国に売ったヤツがいる」と言われたのです。」 同書10ページ
この桜の返礼にアメリカから30本のハナミズキの苗木が贈られました。
日比谷公園など日本全国16箇所の公園に植えられました。
ワシントン市のポートマス河畔の立派な桜並木に比べて、
この時、桜の返礼にアメリカから贈られた「ハナミズキ」の木は現在、小石川植物園
や世田谷の都立園芸高校の校庭の裏のほうに人目を避けるように植えられています。
しかも数本しか残っていないのです。
相馬雪香さんの文章でその理由が少し判ったように思いました。
尾崎行雄の記念展覧会に配られた小冊子に
政策研究大学院教授 伊藤 隆氏が
「政治家 尾崎行雄について」という文を書いている。
尾崎行雄は慶応義塾で学び、福澤諭吉の推薦で
明治12年「新潟新聞」の主筆となりました。
翌年、統計院権少書記官となりましたが明治14年の政変で退官し、
その後、政治家になりました。
大正8年(1919)3月、尾崎行雄は第一次世界大戦後の
欧米の情勢を視察するため、横浜を出航しました。
この視察の途中、尾崎がワシントンで桜と再開した時詠んだ歌
「異国(とつくに)の春の光を添へなんと
寄せし桜の花 この日咲く」 咢堂翁61歳
尾崎は戦争に荒廃した戦渦のあとのヨーロッパを目のあたりにし、
あの大戦は何のための戦争であつたのかと疑問を強く持った。
「全然無意味、無目的の悪戦苦闘に過ぎなかったのだ、
幾百万の戦死者こそ、気の毒なれ」尾崎行雄著「軍備制限」
尾崎行雄は戦争の悲惨な現場を見た事で
人間として、政治家として大きく成長したのでした。
この経験から尾崎は軍備縮小論者となり、
軍縮決議案を第44議会大正10年(1921)に提出しました。
同書 56ページには
「昭和19年6月、尾崎は大審院で不敬罪事件の無罪判決を受けるが、
その政治活動は閉ざされてしまっていた。
尾崎は敗戦に至る間、池の平の山荘にこもり、わが国の敗戦を見越して、
日本の休戦と新世界の建設を提案する論文を執筆した。
終戦後、尾崎は議会に未発表の論文を基にした世界連邦建設に関する
決議案を提出した。」 咢堂翁87歳
これは世界連邦の提唱であるとともに、
国際社会での日本のあり方を示すものでした。
つぎの文章は尾崎行雄が娘さんの相馬雪香さんにお話したことです。
同書 相馬雪香「父・咢堂の思い出の数々」から
「大正12年の関東大震災の時、私どもは軽井沢にいました。
たまたま父を訪ねて来た人が、不逞朝鮮人が井戸に毒を入れたということで、
自警団が組織されて大混乱だという話をしていました。
父は「(毒を入れたなどということは)流言飛語だと思うけれど、
一歩譲ってそうだとしたら、なぜ、そのようなことをするほど追い詰められた
気持ちにさせられたか、こちら側に反省が無いとだめです」と言っていました。
相手だけを責めるのではなく自分を省みるということも
私の心のどこかに根づいたと
言えましょう。何年か経って、排日運動が中国に起こり、
こらしめるべきだという意見がマスコミを賑わした時も、
父は「排日になるようなやり方を反省しないのはおかしい」と言っていました。
物事は一方からだけ見て判断するのではなく、
両方から公平に見ることが父の特長だったと思います。」 同書10ページ
尾崎行雄が娘さんの相馬雪香さんにお話した事はこれからの日本の問題について、
私たちが考え行動するために大切な事だと思うので、ここに書き留めておきます。
櫻と桜
2005年05月06日 | 花
櫻と桜
中国では漢字の「櫻」は日本の「さくら」ではなく
バラ科の落葉高木「ユスラウメ」の木をいう。
ユスラウメは中国原産の植物で日本には江戸時代初期に渡ってきた。
ユスラウメの語源について、二つの見解がある。
①牧野富太郎博士の「枝をゆさぶって果実を落とした」からという説と
②深津正の朝鮮名の「移徒楽(いさら)」「イスラ」がなまったという説がある。
櫻の中国での意味は
「嬰(えい)」の字は
①みどりご(子供の泣き声がえんえんと続くさま)
②首飾りの事
③つなぐ、たてこもる等の意味があり
④音楽では「半音あげる」ことをいう、語源は雅楽から出た。
この場合は「赤い貝の首かざり」を意味する。
日本語の「みどり」は「みずみずしい」から
新芽・若芽を意味し、「みどりご」とか
「みどりの黒髪」とか使われる。
赤子の事を「嬰児(みどりご)」と言うが
中国では女の赤ちゃんが生まれると
赤い貝の首飾りをつけて
その子の健やかな成長を願う行事がある。
「櫻(ユスラウメ)」の赤い実のつき方が
ちょうど赤子の成長を祝う時の
赤い貝の首飾りに似ているからだと言う。
「ゆすらうめ」の写真
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/yusuraume.html
日本で最初に「さくら」という言葉が出るのは
「日本書紀」で弁恭(いんぎょう)天皇が
衣通郎姫(そとおしのいらつめ)を思って詠んだ歌
弁恭天皇は仁徳天皇の息子
(日本書記巻13 弁恭8年2月)
花ぐはし 佐区羅(さくら)の愛(め)で、こと愛でば、
早く愛でず 我が愛づる子ら
「花が美しい桜のめでたさ、同じめでるなら
早くめでればよかったのに
遅すぎたことだ、私の愛する女よ」
日本の「さくら」の語源は
①作 楽(さく ら)説と
②佐 案(さ くら)説
③佐神説の3つある。
①の(さく ら)説は海彦・山彦の母上
木之花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)の
木の花「さくや」がなまって「さくら」になった。
「咲く」と
「たから」「ちから」「はしら」「かしら」等の語尾の
大切なもの、貴重なもの、中心となるものを意味する
「ら」と結びついて「さくら」になったという説
②は「早苗」「早乙女」と農業に関係する「さ」と
座 蔵 倉 鞍などの神が宿る「くら」が結びついて
「さくら」になったという説がある。
和歌森太郎氏の説
③佐神説
慶応大学名誉教授西岡秀雄先生が昭和25年に
発表され、学界で認められている説
西岡先生は世界中のトイレット・ペーパーを集めて
授業の材料した「トイレット博士」として著名な先生。
「佐」は太古における山の神の呼び名
クラは「高御座(タカミクラ)」のクラで
神が依り鎮まる「座」を意味している。
古代人の生活は何かと神に頼る事になる、
特に農作業の開始にあたって神事が行われる
「佐下ろし、田の神おろし」の行事がある。
佐の神は「さくらの木」に宿り、桜の花が咲く、
桜の花の咲く状況から農作業の手順を決めたり
その年の豊凶を占った。
各地の鎮花祭(はなしずめまつり)
奈良県桜井市の大神神社
滋賀県大津市の長等神社(三井寺)
「幣として 桜の花を枝ながら
山の主に今ぞ手向ける」
埼玉県大宮市氷川神社
京都市今宮神社の「安良居祭」
この他に
「サキムラガルがちぢまって桜になった」
「サクウルワシキに由来する」
「樹皮が荒くさけるゆえサクアラから桜になった」
などの説もある。
中国では漢字の「櫻」は日本の「さくら」ではなく
バラ科の落葉高木「ユスラウメ」の木をいう。
ユスラウメは中国原産の植物で日本には江戸時代初期に渡ってきた。
ユスラウメの語源について、二つの見解がある。
①牧野富太郎博士の「枝をゆさぶって果実を落とした」からという説と
②深津正の朝鮮名の「移徒楽(いさら)」「イスラ」がなまったという説がある。
櫻の中国での意味は
「嬰(えい)」の字は
①みどりご(子供の泣き声がえんえんと続くさま)
②首飾りの事
③つなぐ、たてこもる等の意味があり
④音楽では「半音あげる」ことをいう、語源は雅楽から出た。
この場合は「赤い貝の首かざり」を意味する。
日本語の「みどり」は「みずみずしい」から
新芽・若芽を意味し、「みどりご」とか
「みどりの黒髪」とか使われる。
赤子の事を「嬰児(みどりご)」と言うが
中国では女の赤ちゃんが生まれると
赤い貝の首飾りをつけて
その子の健やかな成長を願う行事がある。
「櫻(ユスラウメ)」の赤い実のつき方が
ちょうど赤子の成長を祝う時の
赤い貝の首飾りに似ているからだと言う。
「ゆすらうめ」の写真
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/yusuraume.html
日本で最初に「さくら」という言葉が出るのは
「日本書紀」で弁恭(いんぎょう)天皇が
衣通郎姫(そとおしのいらつめ)を思って詠んだ歌
弁恭天皇は仁徳天皇の息子
(日本書記巻13 弁恭8年2月)
花ぐはし 佐区羅(さくら)の愛(め)で、こと愛でば、
早く愛でず 我が愛づる子ら
「花が美しい桜のめでたさ、同じめでるなら
早くめでればよかったのに
遅すぎたことだ、私の愛する女よ」
日本の「さくら」の語源は
①作 楽(さく ら)説と
②佐 案(さ くら)説
③佐神説の3つある。
①の(さく ら)説は海彦・山彦の母上
木之花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)の
木の花「さくや」がなまって「さくら」になった。
「咲く」と
「たから」「ちから」「はしら」「かしら」等の語尾の
大切なもの、貴重なもの、中心となるものを意味する
「ら」と結びついて「さくら」になったという説
②は「早苗」「早乙女」と農業に関係する「さ」と
座 蔵 倉 鞍などの神が宿る「くら」が結びついて
「さくら」になったという説がある。
和歌森太郎氏の説
③佐神説
慶応大学名誉教授西岡秀雄先生が昭和25年に
発表され、学界で認められている説
西岡先生は世界中のトイレット・ペーパーを集めて
授業の材料した「トイレット博士」として著名な先生。
「佐」は太古における山の神の呼び名
クラは「高御座(タカミクラ)」のクラで
神が依り鎮まる「座」を意味している。
古代人の生活は何かと神に頼る事になる、
特に農作業の開始にあたって神事が行われる
「佐下ろし、田の神おろし」の行事がある。
佐の神は「さくらの木」に宿り、桜の花が咲く、
桜の花の咲く状況から農作業の手順を決めたり
その年の豊凶を占った。
各地の鎮花祭(はなしずめまつり)
奈良県桜井市の大神神社
滋賀県大津市の長等神社(三井寺)
「幣として 桜の花を枝ながら
山の主に今ぞ手向ける」
埼玉県大宮市氷川神社
京都市今宮神社の「安良居祭」
この他に
「サキムラガルがちぢまって桜になった」
「サクウルワシキに由来する」
「樹皮が荒くさけるゆえサクアラから桜になった」
などの説もある。
桜花の色による分類方法
1 .白色の桜
①「太白」 タイハク 大輪一重の代表
日本で消滅、英国から里帰りした桜
②「白妙」 シロタエ 大輪八重
「駒繋」コマツナギ 親鸞上人が馬を繋いだ桜
白妙と駒繋は近い品種
2.淡紅色の桜 一番種類の多い色
①「兼六園熊谷」 ケンロクエンクマガイ 中輪一重
兼六園で生まれた桜
②「東錦」 アズマニシキ 大輪八重
東錦」と「江戸桜」は同じ種
3.紅色の桜
①「寒緋桜」カンヒザクラ 一番紅色が濃い桜
②「関山」 カンザン 大型八重
桜湯その他食用桜の原料になる
4.緑や黄色の桜
①「御衣黄」ギョイコウ 中輪の八重
花弁は緑の濃い緑黄色
開花後花弁中央に赤色の線が出る。
②「鬱金」 ウコン 中輪八重で淡黄色
名前の由来はカレーの原料のウコンから。
名前が「緑桜」という桜
③『緑ガク桜」 リョウガクザクラ 白色小輪一重
豆桜の変種 花弁は白く、ガクが緑色
5.紫色の桜 「紫桜」 花弁は5個 中輪一重 淡紅紫色
6.墨染の桜 花の名前に墨とつき、花色が墨色ではない。
墨染めの名前の由来
1. 若芽が茶色で暗い感じがするからといわれる。
東京足立区荒川堤の「五色桜」
戦前の荒川堤は桜の名所で
そこに五色の桜が植えられていた。
http://www.adachi.ne.jp/users/bnbku/gosiki.html
五色桜の種類
1、白が白妙
2、紅が関山
3、黄が鬱金
4、黒が墨染
5、紫が紫桜
①桜の花の色は咲いてから散るまで同じ色ではなく
染井吉野は咲き始めは淡紅色から白色になり
散る頃には花の付け根が紅色に染まります。
②同じ種類の桜でも、東北や北海道の桜は関東の桜よりも
花の色が濃いといわれている。
③海辺や平地の桜よりも山地の桜で咲く桜のほうが
花の色が濃いといわれている。
④同じ桜でも若木のほうが色が濃いという。
東京で咲いているエドヒガン桜は花の色が濃いのに
各地にあるエドヒガンザクラの古木は花の色が白い。
有名な岐阜・根尾谷の「薄墨桜」
種類は「江戸彼岸桜」白色の小輪一重
名前の由来
1.散り際の花が淡墨色に見えるという
2.伝説で継体天皇のお手植えの桜
この地で不遇な生活をしていた継体天皇が
都に帰るおりに詠まれた歌の中の「薄住」が
淡墨に転化したという。
前田利行、宇野千代が守った日本で2番目に古い桜
羽田澄子が1976年に記録映画を作った。
薄墨桜のアドレス
http://nishi525.cool.ne.jp/tabisaki/neotani.html
http://www.city.motosu.gifu.jp/neo_web/index.html
桜守
1 .白色の桜
①「太白」 タイハク 大輪一重の代表
日本で消滅、英国から里帰りした桜
②「白妙」 シロタエ 大輪八重
「駒繋」コマツナギ 親鸞上人が馬を繋いだ桜
白妙と駒繋は近い品種
2.淡紅色の桜 一番種類の多い色
①「兼六園熊谷」 ケンロクエンクマガイ 中輪一重
兼六園で生まれた桜
②「東錦」 アズマニシキ 大輪八重
東錦」と「江戸桜」は同じ種
3.紅色の桜
①「寒緋桜」カンヒザクラ 一番紅色が濃い桜
②「関山」 カンザン 大型八重
桜湯その他食用桜の原料になる
4.緑や黄色の桜
①「御衣黄」ギョイコウ 中輪の八重
花弁は緑の濃い緑黄色
開花後花弁中央に赤色の線が出る。
②「鬱金」 ウコン 中輪八重で淡黄色
名前の由来はカレーの原料のウコンから。
名前が「緑桜」という桜
③『緑ガク桜」 リョウガクザクラ 白色小輪一重
豆桜の変種 花弁は白く、ガクが緑色
5.紫色の桜 「紫桜」 花弁は5個 中輪一重 淡紅紫色
6.墨染の桜 花の名前に墨とつき、花色が墨色ではない。
墨染めの名前の由来
1. 若芽が茶色で暗い感じがするからといわれる。
東京足立区荒川堤の「五色桜」
戦前の荒川堤は桜の名所で
そこに五色の桜が植えられていた。
http://www.adachi.ne.jp/users/bnbku/gosiki.html
五色桜の種類
1、白が白妙
2、紅が関山
3、黄が鬱金
4、黒が墨染
5、紫が紫桜
①桜の花の色は咲いてから散るまで同じ色ではなく
染井吉野は咲き始めは淡紅色から白色になり
散る頃には花の付け根が紅色に染まります。
②同じ種類の桜でも、東北や北海道の桜は関東の桜よりも
花の色が濃いといわれている。
③海辺や平地の桜よりも山地の桜で咲く桜のほうが
花の色が濃いといわれている。
④同じ桜でも若木のほうが色が濃いという。
東京で咲いているエドヒガン桜は花の色が濃いのに
各地にあるエドヒガンザクラの古木は花の色が白い。
有名な岐阜・根尾谷の「薄墨桜」
種類は「江戸彼岸桜」白色の小輪一重
名前の由来
1.散り際の花が淡墨色に見えるという
2.伝説で継体天皇のお手植えの桜
この地で不遇な生活をしていた継体天皇が
都に帰るおりに詠まれた歌の中の「薄住」が
淡墨に転化したという。
前田利行、宇野千代が守った日本で2番目に古い桜
羽田澄子が1976年に記録映画を作った。
薄墨桜のアドレス
http://nishi525.cool.ne.jp/tabisaki/neotani.html
http://www.city.motosu.gifu.jp/neo_web/index.html
桜守
桜のふやし方。
1、挿し木
桜の挿し木の適月は3月と6月
3月(前年枝さし) 芽が膨らむ直前が良い。
前年に伸びた花芽の無い、少し太めの枝を使用
6月(緑枝さし) 今年のびた緑色の枝を使用
今年伸びた枝で成長が止まり、中ば固まった枝が良い。
1、さし穂 枝を10cm前後に鋏で切り、束ねる。
6月は 上部の葉を2枚残し、他の葉は切り落とす。
2、枝の水揚げ さし穂の下半身を約3時間、新鮮な水につける。
3、発根ホルモン さし穂の下部を鋭利なナイフで斜めに切り戻し、
切り口に発根ホルモンをつける
4、さし方 細竹でさし穴を作り、
さし穂を斜めにさす(深さ6センチ前後)
株元を指で押さえる。
さし穂は3~4センチの間隔でさす。
5、水を十分に与える
さし床
① 高さ10センチ位の植木鉢や木箱を用意する。
② 用土は底に2~3センチ位桐生砂を敷き
その上に鹿沼土(中粒)を5~6センチ位入れ
鉢の上部は1~2センチの空きを残す
鹿沼土(中粒)だけでも良い
発根ホルモン、発根促進剤
①住友化学園芸の「ムートン」15g 420円位
②バイエルンの「オキシベロン」1800円位が代表的な製品です。
大きな日曜大工センターの園芸売り場にもっと小分けにした製品があるとおもいます。
大島桜は一割位の割合で発芽した。
豆桜の系統は挿し木が可能で、
盆栽に多い「富士桜」系統
秋に咲く「十月桜」は挿し木した年に咲いた。
その他に「菊桜」や「ウコン桜」なども
挿し木の発根率が高いという。
春まだ早く、花屋さんで見かける「啓翁桜」は
花が終わって,直ぐに挿し木すれば発芽するそうだ。
2、取り木は
桜の取り木の適期は5月末~6月に掛けて、
少し古い、幹がひび割れをしているような桜の枝を
水を含ませた「水ごけ」をボール状に包み、
上から、黒い油紙か黒いビニールで包んで、
ひもで結び、水ごけの水が乾燥しないようにして、
次の年の6月まで置いておくと、
水ごけで包んだ枝に髭根が出てきている。
その枝を切り取って、土や鉢に植えれば
翌年から桜の花が咲きます。
3、種の撒き方
桜は自花不稔性(自家受粉しない、同一品種間では受精しない)ので、
種から育てた桜の木はすべて新種になる可能性があります。
種の撒き方
1 成熟果実(黒紫色になったもの)を採取
2 果皮や果肉を水洗いして良く取り除く。
種の周りの実の部分に発芽抑制剤があるので、
実の部分を良く洗って取っておいたほうが良い。
種の保存方法
1、湿った腐葉土の中で埋蔵するか
2、湿った紙に包み、0℃~3℃の冷蔵庫に貯蔵する。
桜の種は
①種を湿めらせて10度以下の温度に2ヶ月間曝し、
②種の発芽に適した温度が5~10度だという。
以上のような条件が揃わないと発芽しないという。
実生、種まき期
1、保存して置いた種を12月頃までに畑や庭に撒く。
2、鉢などに蒔く方法
①蒔き床は赤玉土7、川砂3の混合土を10~12㎝の深さにする。
②冷蔵庫に保存しておいた種を一昼夜、水に漬ける。
③一粒、2~3㎝間隔にばら撒く。
④1~1.5㎝の厚さに覆土する。
⑤その上に腐葉土を蒔き土が見え隠れするように敷く。
⑥以後、乾かない程度に潅水する。
⑦鉢は陽だまりのなるべく暖かい所に置く。
花が咲くのは早くて5年、10年以上掛かる場合もある。
桜守
1、挿し木
桜の挿し木の適月は3月と6月
3月(前年枝さし) 芽が膨らむ直前が良い。
前年に伸びた花芽の無い、少し太めの枝を使用
6月(緑枝さし) 今年のびた緑色の枝を使用
今年伸びた枝で成長が止まり、中ば固まった枝が良い。
1、さし穂 枝を10cm前後に鋏で切り、束ねる。
6月は 上部の葉を2枚残し、他の葉は切り落とす。
2、枝の水揚げ さし穂の下半身を約3時間、新鮮な水につける。
3、発根ホルモン さし穂の下部を鋭利なナイフで斜めに切り戻し、
切り口に発根ホルモンをつける
4、さし方 細竹でさし穴を作り、
さし穂を斜めにさす(深さ6センチ前後)
株元を指で押さえる。
さし穂は3~4センチの間隔でさす。
5、水を十分に与える
さし床
① 高さ10センチ位の植木鉢や木箱を用意する。
② 用土は底に2~3センチ位桐生砂を敷き
その上に鹿沼土(中粒)を5~6センチ位入れ
鉢の上部は1~2センチの空きを残す
鹿沼土(中粒)だけでも良い
発根ホルモン、発根促進剤
①住友化学園芸の「ムートン」15g 420円位
②バイエルンの「オキシベロン」1800円位が代表的な製品です。
大きな日曜大工センターの園芸売り場にもっと小分けにした製品があるとおもいます。
大島桜は一割位の割合で発芽した。
豆桜の系統は挿し木が可能で、
盆栽に多い「富士桜」系統
秋に咲く「十月桜」は挿し木した年に咲いた。
その他に「菊桜」や「ウコン桜」なども
挿し木の発根率が高いという。
春まだ早く、花屋さんで見かける「啓翁桜」は
花が終わって,直ぐに挿し木すれば発芽するそうだ。
2、取り木は
桜の取り木の適期は5月末~6月に掛けて、
少し古い、幹がひび割れをしているような桜の枝を
水を含ませた「水ごけ」をボール状に包み、
上から、黒い油紙か黒いビニールで包んで、
ひもで結び、水ごけの水が乾燥しないようにして、
次の年の6月まで置いておくと、
水ごけで包んだ枝に髭根が出てきている。
その枝を切り取って、土や鉢に植えれば
翌年から桜の花が咲きます。
3、種の撒き方
桜は自花不稔性(自家受粉しない、同一品種間では受精しない)ので、
種から育てた桜の木はすべて新種になる可能性があります。
種の撒き方
1 成熟果実(黒紫色になったもの)を採取
2 果皮や果肉を水洗いして良く取り除く。
種の周りの実の部分に発芽抑制剤があるので、
実の部分を良く洗って取っておいたほうが良い。
種の保存方法
1、湿った腐葉土の中で埋蔵するか
2、湿った紙に包み、0℃~3℃の冷蔵庫に貯蔵する。
桜の種は
①種を湿めらせて10度以下の温度に2ヶ月間曝し、
②種の発芽に適した温度が5~10度だという。
以上のような条件が揃わないと発芽しないという。
実生、種まき期
1、保存して置いた種を12月頃までに畑や庭に撒く。
2、鉢などに蒔く方法
①蒔き床は赤玉土7、川砂3の混合土を10~12㎝の深さにする。
②冷蔵庫に保存しておいた種を一昼夜、水に漬ける。
③一粒、2~3㎝間隔にばら撒く。
④1~1.5㎝の厚さに覆土する。
⑤その上に腐葉土を蒔き土が見え隠れするように敷く。
⑥以後、乾かない程度に潅水する。
⑦鉢は陽だまりのなるべく暖かい所に置く。
花が咲くのは早くて5年、10年以上掛かる場合もある。
桜守
樋口一葉の名前の由来と一葉桜
1、一葉のペンネームの由来
① 達磨大師がのる芦の葉
樋口一葉のペンネームは昔インドの達磨大師が、中国の揚子江を一葉の芦の葉に
乗って下ったという故事に因んだもので一葉は「達磨も私も、おあし(銭)がない」
からだと貧乏をしゃれのめして友人に答えたという。
「我こそはだるま大師に成にけれ
とぶらはんにもあしなしにして」 一葉の歌
明治27年4月、萩の舎の親友伊東夏子に送った手紙に次のような文章と歌がある。
「芦の一葉にのりて舟遊山をしたる達磨大師さへ御座候ものをや
行く水の浮き世は何か木の葉舟 流がる々ままにまかせてをみん
かくうたひたる時我は笑ひしか なきしか君こそ思ひやらせ給ふべけれ」
②一葉万里説
浮き世という荒海に「漂う舟」という表象したものという説
「なみ風のありもあらずも何かせむ
一葉(ひとは)のふねのうき世なりけり」 一葉の歌
この2説は一葉の名前がペンネームとして定着してからの文章である。
③西川佑子の説
大正11年(1921)山梨県塩山市慈雲寺に一葉の碑が建立された時、
式典に出席した半井桃水が寄書帖に
「一葉散りて秋知る文の林かな」と記している事と
萩の舎の親友伊東夏子から一葉にあてた手紙の一節に、
「武蔵野にもえ出し一葉比林の花も紅葉もしのぎて茂りゆかん事遠からず存候」とある。
この二つを受けて、桃水が発行する同人誌「武蔵野」に一葉の最初の小説「闇桜」
を掲載する時、桃水は「若い女が実名で小説を発表すれば、不便が生じるであろう」と言い、
ペンネームを「文の林に萌え出つる一葉はどうか」と薦めたのではないかと
いう説を述べている。
④杉山武子の説
一葉が萩の舎に入ったばかりの頃、
例会で先輩たちに鮨を配っていた皿に「前赤壁の賦」の一節が書いてあった。
姉弟子の田辺龍子が読んでいるのを聞いて一葉はすらすらと
その後のの一節を口ずさんだという有名な話がある。
杉山武子はこの話を受けて、「前赤壁の賦」の一節からではないかと言う。
『一葉は歌塾に入る前から蘇東坡の詩「前赤壁賦」を暗誦していましたが、
その中には「駕一葉之扁舟」の一節があり、
また小説習作の余白に「一葉舟士」の書き込みがあることや、
未完成作品に「棚なし小舟」があり、
他の作品や日記にも舟や浮き草のイメージを繰り返し描いています。』
http://www5a.biglobe.ne.jp/~takeko/mamechishiki.htm#mame24
中国の古典「一葉落ちて天下の秋を知る」や
坪内逍遥の「桐一葉」は明治29年の作なので関係はないようだ。
O・ヘンリーの短編「最後の一葉」とも関係ないと思われる。
2.「一葉」という名前の桜
山桜の名前は「江戸彼岸桜」「大島桜」「山桜」と最後に桜が付き、
里桜の名前は「染井吉野」「普賢象」と最後に桜が付かないのが原則。
この原則に従い、里桜の中に「一葉」という八重桜がある。
東京の公園ではよく見られる種類で、4月中旬
ソメイヨシノが散り終わった頃から咲き始める。
大きな特徴は
下半部が葉化した緑色の雌しべが普通一本突き出て咲くので
「一葉桜」と呼ばれている。よく見るとめしべが2本ある花もある。
オシベは退化して短い、垂れるように咲く。
花経が5センチ、花弁は20から25枚もある八重の大輪、
花の形は円形で色が咲き始めは淡紅色、
花びらの内側の弁が白いために満開時は白色に変化する。
若芽は少し褐色を帯びた黄緑色、
樹形は杯状形で直立して生育よく、
幹の皮が所々縦に裂けるので鑑別し易い品種。
樹勢強く栽培しやすい。
山桜の一種「大嶋桜系」の変種だという。
国立遺伝研究所のHPの一葉桜
http://www.genetics.or.jp/sakura/htmls/ichou.html
http://www.genetics.or.jp/sakura/PCD/PCD3832/pages/14.html
平成15年、東京都台東区では一葉が21歳の時10ヶ月ほど住み
小説「たけくらべ」の舞台になった所の近くの通りを
(台東区浅草5-11~浅草6-35)
「一葉桜 小松橋通り」と名前を代えて、
八重桜のイチヨウ(一葉)を道の両脇に130本植えた。
http://www.city.taito.tokyo.jp/taito-co/tosizukuri/kouen/ichiyouzakura/ichiyouzakura.htm
先日、一葉や荷風も母上のために買い行ったという、
向島の長命寺の桜餅を浅草から言問橋を渡って買いに行った。
ソメイヨシノは散り始めていたが、八重桜は咲き始めていた。
言問橋のたもとの公園には八重桜の「一葉」が沢山咲いてた。
この他に里桜でわかりやすいのは
八重の大輪で花びらが深紅色の「関山」(カンザンともセキヤマ)
http://otakara-souko.net/sakura/archives/05-0330-211144.php
子房が葉化した一本に雌しべが2本あって、
花びらの中から象が顔を出しているような「普賢象(フゲンゾウ)
http://homepage1.nifty.com/morino/sakura/data/fugenzo/02fugenzo.html
花の色が淡緑黄色の「ウコン」
http://www2.jyose.pref.okayama.jp/cec/kdss/13_jumoku-u/1_ukonzakura/idx0313165025.htm
御衣黄
花弁の数は13個,ごく淡い緑色の花の色で花の終わりに近づくと紅色の線が入る。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/gyoikou.html
以上
1、一葉のペンネームの由来
① 達磨大師がのる芦の葉
樋口一葉のペンネームは昔インドの達磨大師が、中国の揚子江を一葉の芦の葉に
乗って下ったという故事に因んだもので一葉は「達磨も私も、おあし(銭)がない」
からだと貧乏をしゃれのめして友人に答えたという。
「我こそはだるま大師に成にけれ
とぶらはんにもあしなしにして」 一葉の歌
明治27年4月、萩の舎の親友伊東夏子に送った手紙に次のような文章と歌がある。
「芦の一葉にのりて舟遊山をしたる達磨大師さへ御座候ものをや
行く水の浮き世は何か木の葉舟 流がる々ままにまかせてをみん
かくうたひたる時我は笑ひしか なきしか君こそ思ひやらせ給ふべけれ」
②一葉万里説
浮き世という荒海に「漂う舟」という表象したものという説
「なみ風のありもあらずも何かせむ
一葉(ひとは)のふねのうき世なりけり」 一葉の歌
この2説は一葉の名前がペンネームとして定着してからの文章である。
③西川佑子の説
大正11年(1921)山梨県塩山市慈雲寺に一葉の碑が建立された時、
式典に出席した半井桃水が寄書帖に
「一葉散りて秋知る文の林かな」と記している事と
萩の舎の親友伊東夏子から一葉にあてた手紙の一節に、
「武蔵野にもえ出し一葉比林の花も紅葉もしのぎて茂りゆかん事遠からず存候」とある。
この二つを受けて、桃水が発行する同人誌「武蔵野」に一葉の最初の小説「闇桜」
を掲載する時、桃水は「若い女が実名で小説を発表すれば、不便が生じるであろう」と言い、
ペンネームを「文の林に萌え出つる一葉はどうか」と薦めたのではないかと
いう説を述べている。
④杉山武子の説
一葉が萩の舎に入ったばかりの頃、
例会で先輩たちに鮨を配っていた皿に「前赤壁の賦」の一節が書いてあった。
姉弟子の田辺龍子が読んでいるのを聞いて一葉はすらすらと
その後のの一節を口ずさんだという有名な話がある。
杉山武子はこの話を受けて、「前赤壁の賦」の一節からではないかと言う。
『一葉は歌塾に入る前から蘇東坡の詩「前赤壁賦」を暗誦していましたが、
その中には「駕一葉之扁舟」の一節があり、
また小説習作の余白に「一葉舟士」の書き込みがあることや、
未完成作品に「棚なし小舟」があり、
他の作品や日記にも舟や浮き草のイメージを繰り返し描いています。』
http://www5a.biglobe.ne.jp/~takeko/mamechishiki.htm#mame24
中国の古典「一葉落ちて天下の秋を知る」や
坪内逍遥の「桐一葉」は明治29年の作なので関係はないようだ。
O・ヘンリーの短編「最後の一葉」とも関係ないと思われる。
2.「一葉」という名前の桜
山桜の名前は「江戸彼岸桜」「大島桜」「山桜」と最後に桜が付き、
里桜の名前は「染井吉野」「普賢象」と最後に桜が付かないのが原則。
この原則に従い、里桜の中に「一葉」という八重桜がある。
東京の公園ではよく見られる種類で、4月中旬
ソメイヨシノが散り終わった頃から咲き始める。
大きな特徴は
下半部が葉化した緑色の雌しべが普通一本突き出て咲くので
「一葉桜」と呼ばれている。よく見るとめしべが2本ある花もある。
オシベは退化して短い、垂れるように咲く。
花経が5センチ、花弁は20から25枚もある八重の大輪、
花の形は円形で色が咲き始めは淡紅色、
花びらの内側の弁が白いために満開時は白色に変化する。
若芽は少し褐色を帯びた黄緑色、
樹形は杯状形で直立して生育よく、
幹の皮が所々縦に裂けるので鑑別し易い品種。
樹勢強く栽培しやすい。
山桜の一種「大嶋桜系」の変種だという。
国立遺伝研究所のHPの一葉桜
http://www.genetics.or.jp/sakura/htmls/ichou.html
http://www.genetics.or.jp/sakura/PCD/PCD3832/pages/14.html
平成15年、東京都台東区では一葉が21歳の時10ヶ月ほど住み
小説「たけくらべ」の舞台になった所の近くの通りを
(台東区浅草5-11~浅草6-35)
「一葉桜 小松橋通り」と名前を代えて、
八重桜のイチヨウ(一葉)を道の両脇に130本植えた。
http://www.city.taito.tokyo.jp/taito-co/tosizukuri/kouen/ichiyouzakura/ichiyouzakura.htm
先日、一葉や荷風も母上のために買い行ったという、
向島の長命寺の桜餅を浅草から言問橋を渡って買いに行った。
ソメイヨシノは散り始めていたが、八重桜は咲き始めていた。
言問橋のたもとの公園には八重桜の「一葉」が沢山咲いてた。
この他に里桜でわかりやすいのは
八重の大輪で花びらが深紅色の「関山」(カンザンともセキヤマ)
http://otakara-souko.net/sakura/archives/05-0330-211144.php
子房が葉化した一本に雌しべが2本あって、
花びらの中から象が顔を出しているような「普賢象(フゲンゾウ)
http://homepage1.nifty.com/morino/sakura/data/fugenzo/02fugenzo.html
花の色が淡緑黄色の「ウコン」
http://www2.jyose.pref.okayama.jp/cec/kdss/13_jumoku-u/1_ukonzakura/idx0313165025.htm
御衣黄
花弁の数は13個,ごく淡い緑色の花の色で花の終わりに近づくと紅色の線が入る。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/gyoikou.html
以上