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華の会

日本文化を考える

シェイクスピア全作品の翻訳  松岡 和子氏の講演

2023年11月02日 | 文学
今月の古典芸能鑑賞講座「花の会」のお知らせ
シェイクスピア全作品の翻訳  松岡 和子氏の講演
1、 令和5年11月9日 木曜日 
午後2時開場 午後2時10分~4時10分
演題:「演題未定」
講師:東京医科歯科大学名誉教授
   翻訳家 シェイクスピア全作品の翻訳  松岡 和子氏 
会場:世田谷文学館 二階講義室
『花の会』は古典芸能大好きの主婦たちが昭和60年9月、
狂言師 善竹十郎さんに世阿弥『花伝書』の講義を
お願いして始まりました。
『日本の古典芸術をより身近なものとして理解し、
人生の糧とすべく共に学び共に楽しむ』をモットーに
38年間続いている古典芸能鑑賞講座です。
次回の予定
令和5年12月14日 木曜日
午後2時開場 午後2時10分~4時10分
演題:「今年の演劇界」
講師:日本芸術文化振興会(国立劇場)顧問  織田 紘二氏
会場:世田谷文学館 二階講義室
参加費 各回1000円  皆様お誘いあわせてご参加下さい。
コロナ状況悪化の場合には会場が閉鎖となりお休みします。
世田谷文学館案内 
世田谷文学館 - 文学を体験する空間 (setabun.or.jp)
所在地 〒157-0062 東京都世田谷区南烏山1-10-10
京王線「芦花公園(ろかこうえん)駅下車 南口を出て徒歩5分;
世田谷文学館 | 世田谷区ホームページ (setagaya.lg.jp);

大衆文学部門は黒板伸夫・永井路子編「黒板勝美の思い出と私たちの歴史探究」

2016年12月24日 | 文学
大衆文学部門は黒板伸夫・永井路子編「黒板勝美の思い出と私たちの歴史探究」
大衆文化部門 大館の小松さん受賞 著書「忠臣蔵映画と日本人」 /秋田
毎日新聞
大衆文学と大衆文化の2部門があり、小松さんは後者で受賞した。なお、今回の大衆文学部門は黒板伸夫・永井路子編「黒板勝美の思い出と私たちの歴史探究」( ...

大館市在住の映画評論家、小松宰さん(72)の著書「忠臣蔵映画と日本人」(森話社)が、優れた大衆文学の研究に与えられる「第27回尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞(早乙女貢基金)」の大衆文化部門に選ばれた。数々の忠臣蔵映画の中に、日本人固有の精神性や美意識を探った労作として高く評価された。小松さんは「師走といえば忠臣蔵。この時期の名誉ある賞に感激している」と話している。

 忠臣蔵は江戸時代から庶民に親しまれ、製作された映画は300本を上回るといわれる。小松さんは小学生の頃、家族で映画館に足を運び、忠臣蔵を楽しんだ経験がありそれ以来の大ファンだという。

 小松さんは北鹿新聞の元記者。本書(四六判、272ページ)は、2014年9月から10カ月間にわたって陸奥新報(弘前市)に連載した「忠臣蔵映画の深層心理」を再構成・改題し、15年11月に出版された。

 同賞は、作家や評論家らでつくる「大衆文学研究会」(縄田一男会長)が主宰。大衆文学と大衆文化の2部門があり、小松さんは後者で受賞した。なお、今回の大衆文学部門は黒板伸夫・永井路子編「黒板勝美の思い出と私たちの歴史探究」(吉川弘文館)が選ばれた。

 選考委員でもある縄田会長は「忠臣蔵の映画についてこれほど深い考察をした著作は類がない」と称賛。小松さんは「ずっと『忠臣蔵博士』を目指して研究を重ねてきました」と振り返る。

 授賞式は26日、東京都千代田区の「如水会館」で行われる。【田村彦志】

永井路子氏講演会中止のお知らせ

2011年03月21日 | 文学
古河市文学館のHPから

永井路子氏講演会中止のお知らせ
4月17日に開催を予定していた
「古河文学館テーマ展開催記念 永井路子氏講演会」は、
震災の影響により中止とさせていただきます。

永井路子旧宅臨時休館のお知らせ
3月11日に発生した東日本大震災の影響により、
しばらくの間、休館とさせていただきます。

http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/bungaku/index.html


鎌倉の講演会での永井路子さん

2010年10月22日 | 文学
鎌倉ケーブル放送のホームページから
2010年10月18日

建長寺親と子の土曜朗読会が300回を迎えました。
逗子市在住の女優牧三千子さんが朗読をし、鎌倉春秋社代表の伊藤玄二郎さんが作品を解説する恒例の朗読会。
記念行事では鎌倉市名誉市民の永井路子さんをはじめ作家の三木卓さんらが駆けつけ、その精力的な朗読活動を祝しました。

鎌倉ケーブルテレビのビデオです。永井さんの講演会での映像が始まって一分位の所で出てきます
http://www.kamakuratv.com/local_info/topics/detail/1233324_17549.html


永井路子さんは、「私の好きな1冊」をテーマに、小学生時代、担任の先生が「レ・ミゼラブル」を読んでくれた思い出を語りました。
また客席に座っていた作家西村滋氏を紹介されました。
この土曜朗読会で西村さんが戦争孤児となった少年時代の事を書いた「お菓子放浪記」を読んだ時の事を話されました。
「お菓子放浪記」の朗読を聞いて感激した少年が西村さんに感想文を送った事で老作家と少年の文通が始まったというお話をされました。

永井さんがプログラムに載せた文章をそのまま記載します。

 私が育った古河(茨城県)は、当時は小さい町でしたが、小学3年のとき、実践女学校(当時)を出たばかりの若い美しい先生が赴任して来られました。当時は師範学校を出ていない教師は代用教員と呼ばれていましたが、私たちにとってはどうでもいいことで、先生は憧れの的でした。
 冬の昼休みにはお手玉などをして遊んだものでしたが、ある時先生が、「いいお話を読んであげようかしら」とおっしゃいました。皆大賛成でした。
 その時聞いたお話の一つがビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」でした。そのころあまりなじみのなかったジャン・バルジャンやコゼットという名前に子供たちは目を丸くして聞きいりました。あの朗読を聞いたみんなは、今でも懐かしそうにその名前を語り合います。
 思えば半世紀以上前のことですが、しかし先生の声は、今もはっきりと覚えています。

 朗読、ー読みきかせとは、ほんとうに大切なことなのですね。






http://www.kamakuratv.com/local_info/topics/detail/1233324_17549.html

永井路子先生講演会「歴史を騒がせた女たち」

2010年04月21日 | 文学
永井路子先生講演会
 「歴史を騒がせた女たち」

主催 野田文化講演会 /(財)興風会
時 2010年5月15日土曜日 14時00分~15時30分
所 野田市興風会館 http://maskweb.jp/b_kofukaikan_1_1.html
  千葉県野田市野田250
※ 一時間の講演に30分のトークショー(上原作和が担当)。
『歴史を騒がせた女たち』文庫リニューアルに伴う演題だそうです。
定  員     500人(※無料/申し込み不要/先着順)
問い合せ     (財)興風会  (電)04-7122-2191
アクセス ・電車の場合
      東武野田線野田市駅下車徒歩15分または、愛宕駅下車徒歩15分
     ・バスの場合
     まめバス・茨急バス キッコーマン株式会社野田本社前下車徒歩1分

永井路子氏 茨城大学講演会のお知らせ

2009年06月24日 | 文学
図書館展示「茨城の富士山信仰-永井路子の家伝書から」と
 講演会を開催します(本館)

歴史小説家の永井路子氏の本家(茨城県古河市)に伝わる古文書を茨城大学に寄贈し
ていただきました。

古河市で幼少時代を過ごした直木賞作家の永井路子氏(84)が、茨城大学(水戸市文京)を訪れ、永井家に伝わる江戸時代の古文書を寄贈した。永井氏は「幕末の庶民が地域を越えてまとまり、時代の変革を求めていった様子がわかる」と話し、研究に役立つよう期待している。

 寄贈されたのは江戸時代後期に国学などの影響を受け、関東を中心に広がった富士山を信仰する山岳宗教「不二講」に関する書簡や書物、短冊など約100点。

 不二講は、努力の必要性を説く思想で、永井さんの祖先にあたる商人の初代・八郎治が、六代目教祖の弟子だった。八郎治は古河のリーダーとして地域で学問や思想を教えていたと伝えられ、当時の史料が永井家で代々保管されてきた。史料からは、地方商人の経済実態のほか、藩を越えた文化や学問の交流、庶民と朝廷との結びつきなどが忍ばれるという。

これを受け、茨城大学図書館では、図書館コーナー展示「茨城の
富士山信仰-永井路子の家伝書から」を開催します。また、永井路子氏をお招きし、
江戸時代後期に広がった富士山信仰である富士講(ふじこう)について講演会を開催
いたします。展示、講演会とも、一般の方もご自由にご覧いただけます。お気軽にご
来場ください。

展示
会期:7月10日(金)~27日(月)10:00~17:00(ただし7月20日
は休館)
会場:茨城大学図書館1階展示コーナー(入場無料)

講演会
期日:7月12日(日)13:30~
会場:茨城大学人文学部10番教室 入場無料・事前申込不要

「私の先祖八郎治」 永井 路子(歴史小説家、直木賞など多数受賞)
「江戸時代後期における農村荒廃の復興」 小野寺 淳(茨城大学教授)
「徳川時代の富士信仰と不二道」 梅澤 ふみ子(恵泉女学園大学教授)
会場で永井路子氏の著書を販売いたします。また、ご来場の方に図書館オリジナル
グッズをさしあげます。

参考:茨城大学の開催案内ポスターと交通案内
http://www.lib.ibaraki.ac.jp/news/2009/0623/fujiko090623.pdf




永井路子講演会のお知らせ「今、鎌倉をかえりみて」

2009年05月19日 | 文学
永井路子講演「今、鎌倉をかえりみて」
テーマ:文学
永井路子講演「今、鎌倉をかえりみて」

~衣張山のふもとの景観と釈迦堂口遺跡~

いざかまくらトラストと、大町6・7丁目自治会、
鎌倉世界遺産登録推進協議会の共催企画です。

大町6丁目で発掘調査中の釈迦堂口遺跡は、「北条氏名越亭跡」と推定され、中世の
面影が色濃いまほろばの地です。

永井路子さんは、NHK大河ドラマで人気を博した「草萌える」をこの場所で構想さ
れました。

思い出深いこの地が史跡指定されることを願って、永井さんに鎌倉の歴史文化につい
てお話しいただきます。

皆様のご参加をおまちしています。

とき/平成21年5月24日(日)14時~15時30分時(開場13時30分)

ところ/きらら鎌倉ホール(JR鎌倉駅東口徒歩1分)

定員/250名(先着順)  

TEL 0467-44-3863(越野)
FAX 0467-25-3443(佐藤)
メールアドレス kamatora8@yahoo.co.jp
参加費 参加費1000円(当日・前売り有、高校生以下無料)
備考 定員250名(先着順)

後援/鎌倉市教育委員会
鎌倉市教育委員会 教育総務部 学務課 学務担当
〒248-8686 鎌倉市御成町18番10号
TEL 0467(23)3000

ことば、作家 永井路子

2009年02月07日 | 文学
永井路子 作家  2009(平成21年)2月7日 朝日新聞朝刊

作家・永井路子さん(83)が歴史小説『岩倉具視 言葉の皮を剥(む)きながら』で
第50回毎日芸術賞を受賞。
1月27日、贈賞式に臨んだ。

 「もはや終末期高齢者。この本は遺言状のつもりで書きました。
では冥福を祈ってとの温かいお気持ちが受賞につながったかと思いますが、
にもかかわらず私は永らえております。」

 「この、にもかかわらずというのが歴史のキーワードでして。
岩倉は傑物ではない、小粒です。
にもかかわらず。
そういう普通の人間が、ぶつかり足をひっぱりあっていくなかで
19世紀半ば過ぎの歴史は動いたのだという視点を示したかった。」

 「40年間、岩倉を書こうとして書けなかった。
なまけてたのです。
成就したのは編集者の励ましあらばこそ。
出版産業にあっては、産業廃棄物に近い私をすくい上げてくださった。
感謝しています。」
         (河合 真帆)

永井路子さん、毎日芸術賞受賞

2009年02月01日 | 文学
第50回毎日芸術賞(08年度)の受賞者が決まりました。
贈呈式が1月27日、東京プリンスホテルで開かれた。

◇毎日芸術賞
永井路子さん=「岩倉具視――言葉の皮を剥きながら」(文芸春秋)
石内都さん=「石内都展 ひろしま Strings of Time」(広島市現代美術館)、
尾上菊五郎さん=「小町村芝居正月」「魚屋宗五郎」などの成果
舟越桂さん=「舟越桂 夏の邸宅」展(東京都庭園美術館)
吉増剛造さん=「表紙 omote-gami」(思潮社)

◇特別賞
渡辺貞夫さん=日本ブラジル交流年、ボサノバ音楽誕生50周年にちなんだ演奏会

◇千田是也賞
森新太郎さん=「田中さんの青空」「孤独から一番遠い場所」の演出

◇毎日書評賞
国際政治学者の五百旗頭真・防衛大学校長の「歴史としての現代日本」(千倉書房)

 朝比奈豊・毎日新聞社社長が賞状や賞金を手渡し、
永井さんが「85歳での受賞は歴代最高齢のようです」とあいさつ。
五百旗頭校長は「本物の知性に選んでいただいたことを光栄に思います」と語った。
会場には福田康夫前首相も駆けつけ、お祝いの言葉を贈った。

永井路子さんの喜びの声(1月29日毎日新聞夕刊)
今年で数え年85歳になります。
受賞時として最も高齢ではないでしょうか。
生涯現役とか、100歳まで書こうとは思っていません。
岩倉具視は『遺言』みたいなもの。
40年間書こうと思って書けませんでしたが、
出版社の方の温かい励ましで書くことができました。
読んだ方からの温かい言葉も受賞につながったと思っています。
厚くお礼を申し上げたいと思います。
                        以上



http://www.mainichi.co.jp/information/news/20090101-005952.html

永井路子「女帝の流れを受けついで」

2006年10月14日 | 文学
先日、永井路子さんの講演会に行って来ました。
永井さんのお話はラジオやテレビで何度も聞いているので、
その語り口は知っていましたが実際に聞いて見ると、
話は大変にうまく、内容もしっかりしています。
時々、冗談を話されるのでラジオやテレビとは違う親しみが感じられ、
永井さんの歴史文学とは違う面白さでありました。

演題「女帝の流れをうけついで」
10月10日(火) 新宿住友ビル7階 朝日カルチャーセンター

奈良時代、道鏡を愛した孝謙(称徳)女帝の死を最後に女帝は永い間消えてしまう。
江戸時代、二人の女帝が出現するが、彼女たちは歴史の主役にはなれなかった。
では女帝が消えてから、日本の女性は政治の場から遠ざけられたのか、
全く無力だったのかと言うと決してそうではない。
母系、双系社会から、平安時代に父系制社会が確立すると、
歴史の表舞台から、女性が姿を消したように考えるが、それは間違いである。
第一に天皇の母としての「国母(こくも)」が歴史に重要な役割を果たした
第二に幼い天皇の養育から成人後の政治・政略に預かる「乳母(めのと)」として、
歴史の表舞台に影響を与え、女の歴史はしっかりと続いていた。
①「国母」の例として、第64代円融天皇に嫁いだ
藤原兼家の娘 詮子(せんし)女御を取り上げた。
皇太后詮子は長兄の関白藤原道隆が死んだ時、
順当なら、道隆の息子伊周(これちか)が関白になるのに、
当代一条天皇の母として、息子に助言、次兄の藤原道長を推薦した。
道長が関白の位に就き、伊周は左遷された。
②第66代一条天皇のお后には藤原道隆の娘、定子と藤原道長の娘、彰子がいた。
皇后定子には清少納言、中宮彰子には紫式部・和泉式部が教育係として仕え、
平安文学が花開いた。
③紫式部は大変な教育ママで、夫藤原宣孝との間にもうけた一人娘を
最初、中宮彰子に仕えさせた。彰子の妹嬉子が親王を生むと乳母を務め、
高階成章と結婚した。25年後、親王が後冷泉天皇に即位すると、
夫高階成章は太宰大弐という大宰府の次官に就任した。
太宰大弐という役職はお金の儲かる職位で、大金持ちになって都に帰ってきた。
以上




三木アヤと桜の歌

2006年04月13日 | 文学
今日の桜の歌は別れの歌です。

『三木アヤ短歌の世界』を読みました。
三木さんの短歌集は下記のHPに載っています。
http://members.jcom.home.ne.jp/miki3/

三木アヤさんは大正8年 香川県生まれ、
短歌を北原白秋・宮柊二に師事。
昭和28年、宮柊二の『コスモス』創刊に参加。
又、教育者として、河合隼雄元京大教授に師事、
河合隼雄が日本に紹介したユング派の心理療法
「箱庭療法」を研究、実践、普及に努めました。

昭和60年、66歳の時 桜が散る病院で
お母様を看取られました。
その時に詠まれた歌を3首、紹介します。

 人代り病室変る花明り 
       仄めく窓に母はまぼろし

 雨もよひ昏るる夕べの花沈め 
       万朶の桜木(さくら)を巡らむ死者と

 水の面に散る花びらの鮮しさ 
       季(とき)還りきて桜は咲くを

『第三歌集』1986-(2)「母の呼気」から



白州正子の西行と桜

2006年03月31日 | 文学
西行の命日は旧暦の文治6年(1190)年2月16日で
新暦で数えると1190年の3月30日になる。

西行の事を多くの方が書いている。
私もいつか「私の西行」を書きたいと思っているのだが、
彼の歌の調べの優しさに比べて、彼の人間像は複雑で、
その実像が捉えられないまま、長い年月が過ぎてしまった。

西行の命日なので、私が一番印象に残っている、
白州正子さんの著書から、西行について書かれた文章を
取り上げて、西行の事を追ってみたい。

白州正子著 『花にもの思う春』 白州正子の新古今集 1985年
 第二部 新古今時代の歌人  西行から  241ページ

 これも後鳥羽院の御口伝にある言葉で、『どんな歌でもいと軽々と詠みくだした西
行は「生得の歌人」「不可説の上手」と呼ぶより他はなかったであろう。本歌取りや
『源氏物語』を思い浮べる前に、西行の詞は次から次へ生れて来て、歌の姿をなして
行った。心に思っていることが、そのまま歌の調べとなってあふれ出る、「生得の歌
人」とはそうしたものだろう。字あまりや、俗語に、一々かまっている暇などある筈
はない。
 おそらく西行は、俊成や定家の苦しみは知らなかった。彼の苦しみは、上手な歌を
詠むことにはなく、いかに生くべきか、その一事にかかっていた。西行の歌の新鮮さ
は、そこにある。人間にとって、常に新しく、そして古い問題だからである。』

白州さんが選んだ西行の桜の歌   同書246ページから

吉野山桜が枝に雪散りて 花遅げなる年にもあるかな

吉野山去年(こぞ)のしをりの道かへて まだ見ぬかたの花を尋ねん

ながむとて花にもいたくなれば 散るわかれこそ悲しかりけれ

春風の花をちらすと見る夢は 覚めても胸のさわぐなりけり

花みればそのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける

さきそむる花を一枝まづ折りて 昔の人のためと思はむ

仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば

ねがはくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃

『終りの歌は西行の辞世のようにいわれているが、そうではあるまい。が、人間は心
の底から念っていれば、そのとおりになるものらしい。文治6年(1190)2月16日、
奇しくも望月のその日に、西行は河内の広川寺において入滅した。お墓は広川寺の裏
山に、小さな円墳を築いて祀ってあり、毎年、新暦の4月16日には、里人が集まて供
養を行っている。
「仏には桜の花をたてまつれ」の詞を守って、住職は境内を桜で埋めることを念願と
され、お参りに行く度ごとに桜の樹がふえて、みごとな花を咲かせているのは有がた
いことである。』
                                以上



西行と桜

2006年03月22日 | 文学
この3月14日は満月でした。
夕方、まんまると東の空を昇る大きな月はきれいでした。
翌日の15日は旧暦の2月16日、西行の命日です。

 願わくば花のしたにて春死なん その如月の望月の頃

丁度、2月15日釈迦入滅の満月の頃、
桜の花の下で死にたいものだ、と西行は歌に詠みました。

西行の命日は自らの死を見事に予言するかのように、
文治6年(1190)2月16日であったといいます。
2月如月の望月の頃、桜の花の満開の下で、死にたいと願った通りに、
西行が往生したのを知った人々は感動し、深い感銘を受けたそうです。
この瞬間から、西行伝説が始まりました。

藤原俊成は西行の死に感じてつぎの歌を詠みました。

 願ひおきし花の本にて終りけり蓮(はちす)の上もたがはざらなむ

今年の3月15日の晩は、北海道では月がきれいだったそうですが、
東京の空は曇り空で十六夜の月を見る事は出来ませんでした。
そればかりか、早咲きの彼岸桜系の桜が咲いていましたが、
西行が見ていたであろう山桜は固い蕾のままで、
いつ咲くとは予測が付かないような状態でした。
何か、西行に騙されたような気がしてなりませんでした。

和歌山にお住まいの『かわうそさんの暦』のHPには
暦の事がいろいろ書いてあります。
旧暦から新暦に、反対に新暦を旧暦に計算してくれるページもあります。
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0726.htm

それによると西行の命日の文治6年(1190)2月16日を
新暦に直すと、1190年3月23日に当たるそうです。

http://www.saigyo.org/saigyo/html/nyujyaku.html
このHPでは西行の命日を3月30日と計算しています。

東京は昨日(21日)、気象庁から、東京の桜の開花宣言が出ました、
明日は満開の桜には少し早いですが桜の花は開いています。
西行の死んだ日も桜の花が咲いていた事でしょう。

桜を愛した西行には沢山の桜の歌があります。

 吉野山梢の花を見し日より 心は身にもそはず成にき

 おのづから来る人あらば諸共に眺めまほしき山桜かな

 花にそむ心のいかで残りけむ捨てはててきと思ふわが身に

 願わくば花のしたにて春死なん その如月の望月の頃
  
 仏には桜の花を奉れ 我が後の世を人とぶらはば

 木(こ)のもとに旅寝をすれば吉野山 花のふすまを着する春風

 風さそふ花の行方は知らねども惜しむ心は身にとまりけり
 
 花ざかり梢をさそふ風ならでのどかに散らむ春はあらばや


西行は月と桜の歌人と言われ、桜の歌を200首以上残しましたが
月の歌は600首以上だと云われています。
来年の御題は「月」なので、月の歌を作ろうと考えています。
それで、最近、「山家集」を読んでいるのですが。

以上


古今集の歌

2006年03月19日 | 文学
「万葉集」を纏め始めたのは奈良時代(759年)、
東大寺や唐招提寺が建立された頃で、
「梅」の歌118首、桜の歌は44首で梅の歌が多かったのに
平安時代(905年)紀貫之に選ばれた「古今和歌集」では
「梅」の歌が18首に対して、桜の歌は70首と桜の割合が増えた。
桜の花が春を歌う花の主役になった。
 
有名な「伊勢物語」の中で、文徳天皇の皇子の惟喬親王は
水無瀬(現在の大阪府三島郡島本町)の別荘に
度々、馬頭(馬を司る役所の長官)であった在原業平など、
気のあった仲間を誘って、鷹狩に出かけられた。
ある年の春、水無瀬の対岸の交野という所の桜が
見事に咲いていたので、一行は狩を中止して、馬をおり、
桜の木の下で、宴会を始めてしまった。
宴会の余興に誰だか名前を忘れたが一首を詠んだという。

 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
                           
この歌を古今和歌集では在原業平朝臣の歌としている。
この歌に答えて「他の人」が次の歌を詠んだ

 散ればこそいとど桜はめでたけれ、浮き世になにか久しかるべき

この歌を詠んだ「他の人」の名前は今でも、わからないが
古今和歌集には惟喬親王が僧正遍昭に贈った歌として
次の歌が載っている。

 桜花散らば散らなん散らずとて ふるさと人のきても見なくに

惟喬親王は後に出家して不遇の生涯を送ったといわれている。
親王と「男の友情」で結ばれていた業平も、晩年は不運であった。

太政大臣藤原基経が40歳を祝う席で業平が詠んだ歌に

 桜花散りかひくもれ 老いらくの来むといふなる道まがふがに
                           在原業平朝臣

古今集は桜の花が散ってゆく様を詠んだ歌が多い。
平安時代の中頃から、藤原氏全盛の時代になり、
菅原道真に代表されるように、藤原氏以外の貴族たちには
名門の出でも出世の道は閉ざされてしまうようになった。
そのような自分達の境遇を貴族たちは
散りゆく桜の花びらに託したのではないだろうか。

  
 久方のひかりのどけき春の日に しづ心なく花のちるらむ
                            紀 友則

 桜花ちりぬる風のなごりには 水なき空に浪ぞたちける
                             紀 貫之

 花の色はうつりにけりな 徒に 我が身世にふるながめせしまに
                             小野小町

これらの歌は日本語として、軽やかなリズムがあり、美しい、
咲いた桜の花の下で、どの歌でも、つぶやいて見てください。
隣にそっと、業平が、小町が訪ねてくるかもわかりません。
以上

永井路子氏の講演会のお知らせ

2005年11月11日 | 文学
永井路子さんの講演会のお知らせ
    Memorial Museum「 海音寺潮五郎記念館」主催

講師:作家 永井 路子 氏
演題:女性の日本史 ―そのプロフィールを覗く―
日時:11月26日(土)    
      午後1時30分   開場
      午後2時       開演 
        (午後4時  閉会) 

場所:東京品川区上大崎
         三州倶楽部 2階ホール

参加費: 無料(定員200名 先着順)

問合わせ先  (財) 海音寺潮五郎記念館
   住所  東京都世田谷区経堂2-12-9
   電話  03-3429-1338          
   FAX  03-3426-5145     
 詳しくは↓
http://www.geocities.jp/mayako_0684/nagaimichikokouennkai.htm