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華の会

日本文化を考える

一葉の誕生日

2005年05月02日 | 文学
5月2日は樋口一葉の133回目の誕生日です。
昨年、暮れから、一葉の日記を読み、
一葉の事を考えていたので
一葉さんが昔のクラスメートのような気がします。

4月17日のメールで私は下記のように書きました。

明治5年(1872)3月25日(新暦では5月2日)
    樋口一葉は東京府構内砲地の武家長屋で生まれた。
    現在の「千代田区内幸町 現日比谷シテイ辺り」
    (昔、NHK放送会館.三井物産があった辺り)
    父41歳、母37歳新緑の美しい頃で「なつ」と名付けられた。

この記述は間違いでした。
今年、旧暦で一葉の誕生日に当たる3月25日に
樋口一葉の生誕地である内幸町に記念碑が建てられました。
一葉の生誕地は東京府構内の武家長屋で
現在の千代田区内幸町1-5-2とあります。

http://www.city.chiyoda.tokyo.jp/news/release/20050325/0325_2.htm
http://www.city.chiyoda.tokyo.jp/tokusyu/chiiki/koujimachi/20050414/0414.htm
わたしの持っている多くの本が一葉の生誕地について、
日比谷公園の近く、日比谷シティあたりと書いてあります。
それで良く調べずに記述してしまいました。
まだ、実際に今年できた一葉の記念碑を見ていないのですが
内幸町1丁目5番地2は山の手線の新橋駅の近く、
第一ホテルと東京電力本社の間にある
T&Dファイナンシャル生命本社ビルのあたりのようです。

去年の秋、新5000円札は新渡戸稲造から一葉に変わりました。
5000円札の一葉の肖像を見た時、
普段見慣れている一葉の顔に比べて、
一葉の顔があまりにも痩せていてびっくりしました。
田中優子さんが去年出された本の題名のように、
「お金の肖像だけでも嫌なのに、私ではない いやだ」と
天国でさけんでいるような気がしました。

去年の秋、新5000円札が発行された時、
メールや雑誌で話題になったのは
第一は樋口一葉の肖像の事でした。
第二は一葉の男女関係でした。

①一葉の肖像については
半井桃水や一葉の家に遊びに行っていた「文学界」の仲間の人たちは
追悼文で一葉よりも、妹の邦子さんのほうがきれいだったと書いています。
皆様、家庭を持つ男の身ですから、何となく、わかりますが、
これでは一葉がかわいそうです。
一葉の写真は現在、10枚くらい残っています。
どれも、それほど不美人とは思えません。

医者で歌人の太田正雄(木下杢太郎)のお姉さん太田たけ子と一緒に撮った
おさげ髪に袴の女学生スタイルの一葉が一番現実の一葉に近いと思います。

新5000円札の肖像画は下記の写真3枚の合成のようです。
樋口一葉の肖像
http://fkoktts.hp.infoseek.co.jp/ichiyou_2photos.html

下村為山「一葉像 落花」明治30年
http://fkoktts.hp.infoseek.co.jp/10.html

今でも5000円札の一葉の肖像画になじめません。
私は下村為山が書いた「一葉像」を
そのまま、お札の肖像画にすればよかったと思います。

一万円札の福澤諭吉先生の肖像画は素敵なのですが
私にあまりいついてくれません。
先生にはどうも見捨てられたようです。

②一葉の男女関係について、
これについて、メールや雑誌でいろいろ書かれているのを読みました。
ひどいのは一葉が売春に近い事までしていたという記述もありました。
それまで読んでいた本でつぎのような意見があるのも知っていました。
1、多くの学者は男女の関係はなかった。
2、瀬戸内寂聴さんはあったという、
3、森まゆみさんはあつたかなかったかわからないがあったらよかったのに、
4、田中優子さんはそれが女性に対する偏見であり、女性蔑視、差別だ。
5、田辺聖子さんはそれには触れずにそこまでの過程を上品に詳しく書いています。

瀬戸内寂聴さんの本を読んだ時の印象は強烈でした。

前から一葉に感心があつたので
昨年、暮れから一葉の日記を読み始めました。
私の結論は男女関係はなかったように思います。、
一葉の日記を読んでいると男性や世間に対する評価が
あまりにも原則的できびしいように思うからです。
異性を愛する経験をすればもう少し心に余裕が生まれ
他人に優しくなるのではないかと思うからです。
以上