内宮の宇治橋は、何時ごろからそう呼ばれるようになったのだろうか。
宇治橋の別名は、御裳濯(みもすそ)橋。
五十鈴川だけど この辺りは、御裳濯川と呼ばれていたそうで、 倭姫が汚れた裾(すそ)を川で洗ったことからついた名前だそうだ。
だから
京都の宇治橋が宇治川の橋というように、御裳濯(みもすそ)橋になった。
裾が抜けてるんじゃないかとか濯が余分だというように
漢字がわかりにくく、言葉も、おぼえにくい名だ。
昔は橋の両側に宇治町の民家があった、つまり町の中の橋として宇治橋にしたのだろうけど、
今は神域と俗界を結ぶ橋だし、
いっそうのことわかりやすく、別名として五十鈴橋にしたらどうだろう。
ps
なお、倭姫ですが、参道の古市のとなりに「倭町」というところがあり、
その辺りが「隠ヶ丘」といわれている。
そこで、倭姫も、アマテラスのように、岩穴にお隠れになったそうだ。
ギリシャ神話に、外宮の豊受のように、豊穣(ほうじょう)の女神であるデメテールがいますが。
あるとき彼女は怒って洞窟に隠れ、そのため地上の作物や果物は枯れ、という話がある本で、紹介されてました。天の岩戸みたいだわ。
ps2
京都の宇治橋は、京都府 宇治市 宇治山田にあるんだそうだ。
もし宇治山田中学とかあったら、どう呼ばれてるのだろう?
伊勢市では、宇治山田高校、宇治山田商業の略称は、宇治高とはけっして言わす、山高、山商という。なお 戦国時代の当地は、常に宇治と山田で戦っていた。
伊勢市は、昭和30年(1955)までは、宇治山田市だった。伊勢とはもともと、国の名前で、たとえば、今でも伊勢木綿といえば津だし、歴史で言う伊勢商人というのは主に松阪商人だった。なお、JRの駅は伊勢駅とはいわず、伊勢市駅と市がつく。
宇治橋の別名は、御裳濯(みもすそ)橋。
五十鈴川だけど この辺りは、御裳濯川と呼ばれていたそうで、 倭姫が汚れた裾(すそ)を川で洗ったことからついた名前だそうだ。
だから
京都の宇治橋が宇治川の橋というように、御裳濯(みもすそ)橋になった。
裾が抜けてるんじゃないかとか濯が余分だというように
漢字がわかりにくく、言葉も、おぼえにくい名だ。
昔は橋の両側に宇治町の民家があった、つまり町の中の橋として宇治橋にしたのだろうけど、
今は神域と俗界を結ぶ橋だし、
いっそうのことわかりやすく、別名として五十鈴橋にしたらどうだろう。
ps
なお、倭姫ですが、参道の古市のとなりに「倭町」というところがあり、
その辺りが「隠ヶ丘」といわれている。
そこで、倭姫も、アマテラスのように、岩穴にお隠れになったそうだ。
ギリシャ神話に、外宮の豊受のように、豊穣(ほうじょう)の女神であるデメテールがいますが。
あるとき彼女は怒って洞窟に隠れ、そのため地上の作物や果物は枯れ、という話がある本で、紹介されてました。天の岩戸みたいだわ。
ps2
京都の宇治橋は、京都府 宇治市 宇治山田にあるんだそうだ。
もし宇治山田中学とかあったら、どう呼ばれてるのだろう?
伊勢市では、宇治山田高校、宇治山田商業の略称は、宇治高とはけっして言わす、山高、山商という。なお 戦国時代の当地は、常に宇治と山田で戦っていた。
伊勢市は、昭和30年(1955)までは、宇治山田市だった。伊勢とはもともと、国の名前で、たとえば、今でも伊勢木綿といえば津だし、歴史で言う伊勢商人というのは主に松阪商人だった。なお、JRの駅は伊勢駅とはいわず、伊勢市駅と市がつく。