オカリナ教室★蟹江町☆別所教室 四日市☆あさけプラザ(蟹江町はピアノ・歌レッスンあり)個人レッスン・カルチャー教室

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よい演奏とは

2018-02-16 10:40:19 | レッスン・演奏日記

前回の続きなのですが、間が空きすぎて書いた本人ですらどういった話だかちょっとわかんなくなっております(笑)

確認確認…と。

そうそう。
譜面どおりの間違いのない演奏=最もよい演奏
ではないのですよという話。


じゃあ何が大事なのでしょうか。

①やはりまずは「音」だと思います。
音楽として音を発する以上、よい音じゃないとその演奏の価値がないとは言わないけど、でもほとんどないのではないでしょうか。
ノーミスを思うがあまり、雑な音になっていませんか?
よい音か自信がなくても、自分が出せる一番の音で演奏できていますか?

よい音とは、となるとちょっと長くなるのでここでは省略。

②次に表現。
これもここで細かく書ききれませんけど、
よい楽曲を演奏したからといって、必ずしもよい楽曲にはならないのです。
ノーミスを思うがあまり、どのように奏でるかが無視になっていませんか?
ただ一字一句間違えのないよう、なぞっているだけになっていませんか?

やみくもに気持ちをいれればよいってものでもありません。
記号、拍子、時代、和声、ジャンル、フレーズ・・・色々なことを注視して判断しないといけません。



著名な演奏家でもたまには音を間違えます。
でも①②は常に桁外れに素晴らしいし、名演奏とはそういうもの。

私自身も、ノーミスでも音が荒れていれば自己評価としてはその演奏は出来ていない感覚です。
それを人前でしてしまった時はすごい恥ずかしい。
多少間違えても、音がよかった演奏には満足感があります。


もちろん間違えだらけでは聴き苦しいし、楽曲の中で是非とも外したくない音も存在する。
毎回同じところで間違えるのであれば技術的に問題があるでしょうから、立ち止まってよく見直さなけれなりませんが。

私の教室でもノーミスは求めません。そんなことで余計なエネルギーを使うより少しでももっと大切な①②に気をまわすべきですから。
娘も今は「間違いないのが一番すごい!」みたいな考えはなくなりました。



話は変わりますが、今日みた夢。
夢の中で私が中島みゆきの「糸」を演奏しようとしてるのだけど、譜面が見つからない。
「糸がない!」と騒いていたら、某生徒さんが出てきて「ここにあります!」と。
「ありがとう!」と受け取ったら楽譜ではなく本当の糸で、
さらに「念のため輪ゴムも持ってきましたわ!」って輪ゴムも差し出され、ズコー!みたいな流れ。


・・・平和ですわ(笑)

今日はこれからピアノとオカリナの個人レッスンです!