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さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

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私の好きな言葉~頑張る~

2011年11月12日 16時21分00秒 | 本・言葉・古文書/草書 

obiログ11月12日の記事参照にしてね→ 「頑張る」に込められた言葉

「頑張る」は「眼張る」からの転意、もともとは、
眼を付けてその場を見張る(転じて動かない)、
かっと眼を張る(転じて精一杯つとめる)という意味だったそうだ。

私は、頑張るという言葉が大好きだ。

しかし、ネットをしだしてから頑張るって言葉が嫌いな人が多いって知った。
この間の大阪マラソンで「頑張れ~!」の応援、声援が多くて物凄く力
になったと芸能人や一般の参加者たちが言っていたのを聞いた。
やっぱり眼を見開いて精一杯気張らなきゃあなんないときもあるさっ。

なにかしら想いを込めて一所懸命走るマラソンランナーに、
しかも一番しんどくなる後半なんかにゃあ、
「頑張らなくていい、努力しろ!」
「リラックスで行こうね~!」
なんて声援送れないもん。。。

「ファイト!」なんて英語だって私にとっては「頑張れ」っていう
意味で使ってる。頑張れっていう英語はないらしいけど・・
変わりに使える言葉だって習ったと思う。

私の頑張るって、命の根源、
細胞から全てのものにまで考えてるから、子供たちにも

「自分が頑張ってなくても、どんな時でも、寝ている時でさえ、
自分の身体の隅々の細胞たちが生きろ生きろって、
頭のてっぺんから爪先まで血を栄養を酸素を送ってくれてるんだよ。
だから、結局は頑張ってるってことになるんだよ。
それこそ、一生涯休みなく動いてくれてるのよ、凄いよね、
人間って、生物って、命って、ホント凄いね~!」

そんな言い方してた。
だからうちの家族はホンノちょっと気を張る時にでも
たとえば勉強する時、剣道の時にでも頑張ろうってよく使ってきた。
うちでは、ガンバルはほんのちょっとって言う意味が含まれている。
後は楽しむこと、楽しけりゃ頑張ってるって薄くなるもんね。

けど、ぜんぜ~ん頑張っていないなんて言わせない!
身体の細胞は動か(眼張ら)なくなったら死んじゃうからね。



 

だからさ、覚悟ができたというあなたにも

「今は、頑張るしかないね。
      後で後悔しないように闘うしかないよ。。。」

としか言えなかったんだ。
人には何とでも言える、それが本当にわかったって!
そうその通りだけど、ほかにかける言葉がみつからなかったのよ。

また痛みを伴ってるってきいたし、医者からさじを投げられたような
言い方だったから、ガンは友達と思えという言葉も使えなかった。

病気で闘ってる人に言える言葉かっていう人もいるだろうけど、
私の気持ちを痛いほど知ってるあなただから、
昔、「頑張るって言葉は平気。」といったあなただから、
「頑張って欲しい」って言っちゃったよ。

ただし、
病気の場合、特に今のあなたには楽しむではなくて、
希望を持つための頑張りにしてくださいね。
あなたの細胞たちの頑張りに少しづつ手を貸してあげてほしい。

あきらめないで!
あきらめないで、頑張ってね!

細胞たちが動いている限り
あなたも頑張ることができるんだから、
奇跡だって自分の頑張りが起こすものなのだから。。。

 

 

 

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「頑張る」に込められた言葉

2011年11月12日 15時25分00秒 | 本・言葉・古文書/草書 

☆『日本語源広辞典』  著:増井金典

   語源は、「眼+張る」です。頑張るは当て字。広辞苑は
   「我に張る」語源説ですが、これは語源俗解で、正しくはありません。
   「眼張る」は、かっと眼をむいて、能力一杯につとめる意です。
   「――張る」を語源とする言葉は、気張る、威張るなどがあり、
   庶民の生活の中から生まれた言葉のようです。 

参考【努力】・・・中国語で「努(つとめる)+力」が語源。
          力をつくす、骨おる、励む、意です。

☆『広辞苑』 第六版  岩波書房

 【眼張る】 
   目をつける。見張る。

 【頑張る】 
    (「頑張る」は)当て字。「我に張る」の転)
   ①我意を張り通す。
   ②どこまでも忍耐して努力する。ある場所を占めて動かない。

参考【努力】・・・目標実現のため、心身を労してつとめること。
          ほねをおること。
参考【ほねをおる】・・・精を出して働く。
              物事をなしとげるために苦労すること。

☆『古語大辞典』 小学館  編集:中田祝夫、和田利政、北原保雄

 【眼張る】
   眼をつける。見張る。注目する。
≪語誌≫
   江戸中期から幕末まで、数多く用いられている。
   字義通り、眼を付け、見張る意で、今日の「頑張る」はその転義。
   なお、これより以前に、我(が)を張る者の意で「我に張りもの」
   という語があったが、中期以後は現れない。
   〔参考文献〕
     ①穎原退蔵 ②江戸時代語の研究 ④穎原退蔵・著作集・第一六巻
     ⑤中央公論社 ⑥昭和55年1月
   

☆『語源大辞典』 東京堂出版  編集:堀井令以知

 ガンバル【頑張る】
   努力して遣り通す。ガンバルは、どのような困難にも打ち勝って努力
   する事であり、耐え忍んで物事をやりとおす意味で日常よく用いる。
   ガンバルは、「眼(がん)張る」からでたと考える説がある。
   「眼張る」は、もとは、目を付ける、見張る意味であった。それから、
   ガンバルは、一定の場所にじっとして動かない意味で使われた。
   どこまでも片意地を張って、主張を曲げないと「なかなか、がんばって
   ますな」と冷やかす人もいる。我(が)を張ることもガンバルである。
   そこで、「我張る」からガンバルになったという説も出てくる。

   東北では、ガンバルをケッパルという。気力がみなぎった状態を
   ギンバルというところもある。これらは「張る」を含む語構成で、精出して
   努力する意のキバルと結びつく語である。キバルは「気張る」からで、
   もとは息をつめてりきむことであった。
   東北で意地を張るをジョッパリというのも、「張る」を含む構成で、
   「情張り」から出ている。

 参考【努力】・・・中国語で「努(つとめる)+力」が語源。
          力をつくす、骨おる、励む、意。

 参考【チカラ〈力〉】
    ・・・外に現れる働き、作用。
      今言う力と正確に意味が一致していたかどうか。

      税は古代日本語ではチカラと言った。
      律令制の頃、税を司る主税寮は、チカラノツカサともいい、
      労役の代わりに納める米や布をチカラシロといった。
      かつては朝廷に納める米はオホチカラと呼んだ。
      チカラ(税)は常に物を供えられる側に力を与え、勢力を養い
      強めるものである。律令制時代、税として納める稲は
      チカラシネといった。稲など納める倉はチカラグラであった。
      税のチカラは、力持ちの力という語と同系に違いない。
      力餅は、食べると力がつくという餅のことで、この餅を食べると
      力が出ると言う。税のチカラも国の活動力になるべきものの意。


 

ここからは私が思うことなんだけれど、もともとは
「皆がちゃんと仕事をしてるかどうか、眼を張ってしっかり見張りをしろよ!」
なんて使い方をしていたのだろう。
仕事としてはそういうことが多かったからと思う。

お上は役人共を見張り、役人共は町人共を見張り、
農村では5人組の組長だけでなく全員がそれぞれを見張り
(ひとり抜けると自分にお咎めかかってくるから)、そんなことから、
ねぎらいの言葉として「お、ご苦労さん、しっかり眼張れよ!」
なあんて普通によく使われる言葉になったのだろう。

昔は、今のように当用漢字など決まりのない時代が続いていた。
なので古文書では、多くの当て字が見られるのも特徴だ。
同じページの中で同じ言葉なのに、よく違う漢字が使われることが多い。
間違いのときもあるが、相手(身分など)によって使う漢字が変わったり、
その人の好みその時の雰囲気で使うなんてこともあるようだ。

しかし、今は「頑張る」と当て字の方に軍配があがってしまった。
たぶん、お上からの重圧感、たとえば農村などでは、
「頑(かたく)なに何が何でも見逃すなよ!」的な意味を込めた?か、
或いは職人って妥協を許さない頑固な人が多いから、そんな意味をも
込めて、「頑」のほうがよく使われだしたのではないだろうか。


 

ちなみに「努」も「力」もチカラを含んでいる。
これはチカラをあらわすのだそうだ。
つまり一番の労力を必要とする辛い作業を含む農業をあらわすという。

米作りは昔は腰をずーっと曲げてする田植えが一番辛かった。
「努」には「女」を含む。女性は農家にとって絶対必要だった。
田植えには「早乙女」はなくてはならぬ存在(労力)だったのだ。
今は機械があるから随分楽にはなっているが、それ以外でも気が
遠くなるほどの作業がある。そういう労力のことをチカラというのだ。

だから、努力という文字はあまり好きじゃあないのよね。
とっても辛そうに感じちゃう。

それからもうひとつ、
だから、私は米作りをしている人を尊敬するのです。

 

 

 

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