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帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

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曽根崎心中の由来伝説

2011年11月23日 16時51分45秒 | 本・言葉・古文書/草書 

~教興寺縁結墓~  曽根崎心中の由来

「寺男の恋」

その頃の名代の作者、近松巣林子(そうりんし)は何か珍しいものを、
次の舞台にのせたいと思い、その構想を練るために河内高安にやってきた。
教興寺の浄厳和尚をたずねるためであった。和尚とは古くからの知り合い
だったので、巣林子はいつもこの静かな寺に泊まっては気兼ねなくのんびり
して、浄瑠璃の筋書きを考えるのだった。

「久しぶりにおいでになりましたな。またなにかよいものを書きなさる
おつもりかな」と和尚がにこやかに迎えた。
「お邪魔ではございましょうがまたよろしくお願い致しますよ」
それから二人は茶を飲みながら四方山(よもやま)の世間話をした。
話の合間に巣林子がふと庭を見ると見知らぬ男が落ち葉を掃いている。

「良い寺男が見つかりましたね」と何気なくいうと和尚が声をひそめ
「あの男もかわいそうな者でのう」という。
「それはどういう事情です、差し支えなければ聞かせていただけませんか」
巣林子が身を乗り出したので、話は寺男の身の上話に落ちていった。

「あの男は徳兵衛といい、大阪内本町の木綿屋平野屋久右衛門の手下
でしたが、いたって実直な男で主人に認められ、その家の娘タキの、養子
に迎えられることになっていた。

ところがあるとき、仲間の宴会で誘われて曽根崎の青楼(おちゃや)に行き、
そこのお初という女と馴染んだのが病み付きになり、遂に深い中になって
しまった。そのお初と言う女はこの教興寺の近くに住む宗次という百姓の娘
でしたが、つい先頃宗次が病気になり、これを機会に若い二人がこの里に
駆け落ちをしてきたのです。

しかし、まもなく楼主や平野屋に知れて、追っ手が来るやら二人が死んでも
帰らぬと泣くやらの大騒ぎだった。ようやく私が中に入って、徳兵衛は平野屋
に縁を切ってもらい、この寺で預かることにしました。

お初は前借が済むまで廓で勤めることになり、年季が明けたら夫婦にしてやると
いうことにして、四方八方まるく納めたというわけですが、・・・いや、はや、若い者
にはありがちな話ですわい。」

和尚は問わず語りに一部始終を話してくれた。
巣林子はこの話を聞いて良いタネができたと心中ひそかに喜んだ。
その夜から一室に籠り、この話をもとに、脚色して「曽根崎心中」の
一編を書き上げたという。                
 

※近松巣林子(そうりんし)=近松門左衛門

 

≪面白いサイト紹介≫

☆ネットミュージアム兵庫文学館→近松門左衛門
 ≪さあ、近松の世界へ!芝居の世界へ!≫
 バーチャル芝居小屋体験」などもあってかなり楽しめます。

☆「曽根崎心中」参考HP→近松つぁん「曽根崎心中」大当たり
  お初天神のお写真とともに浄瑠璃のことがよくわかります。

 

「江戸の心中の話」は過去のobiログ記事参照してね。
              ↓↓
『大江戸番付けづくし おしへ草 娘かゞみ』(2010.10.21)

 

 

伝説と稗史 上方篇(北河内・中河内・南河内)
伝説民話文学研究編 より

   

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コメント (4)
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