goo blog サービス終了のお知らせ 

大久保バプテスト教会 聖書の学び

大久保バプテスト教会で祈祷会に配信されるメルマガを掲載しています。
聖書の学びを御一緒に

メルマガ #57  使徒行伝16章25節~40節

2009-06-24 09:37:19 | 聖書
 みことば:「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」。16章31節 岩波訳

 前回、使徒パウロとシラスがピリピの町で捕えられたことを学びました。

捕えられた理由は、パウロが占いの霊に取り付かれた女奴隷からその霊を追い出したことによって、彼女の占いをビジネスとして大きな利益を得ていた主人たちが怒ったことでしたが、パウロとシラスは捕えられ、広場に引きずり出され、ピリピの政務官(長官)たちの前で訴えられます。

彼らは三つの訴えをします。

1)パウロたちはユダヤ人、

2)町の秩序を乱している、

3)ローマ人に悪い風習を宣伝し、悪影響を与えているというものでした。

ユダヤ人への偏見と不当な理由でしたが、主人たちの訴えと群衆の声を鵜呑みにした政務官たちは裁判にかけることなく、パウロたちを公然でむちで打ち、牢獄につないでしまいます。

 むち打たれた傷の痛みがあったはずのパウロたちですが、獄中で夜遅くまで神様に祈りと讃美をささげます。

たとえ投獄され、自由を奪われ、苦しみの中におかれても神様に祈ることと讃美することを止めません。

何故ならパウロたちには神様への信頼と希望があるからです。

彼らの祈りと讃美は、ほかに捕えられている囚人たちへの良き証しとなります。

私たちも試練の中に置かれることがありますが、そういう時にこそ、神様に祈ることと礼拝をささげることを忘れずに、また大切にしましょう。

主イエスを信じ、主の言葉に聴き、祈り、礼拝をささげることが、同じ試練、苦境の中にある人々への良き証しとなるのです。


 パウロたちが祈りと讃美をささげている時、とつぜん大地震が起こり、牢獄のすべての扉は開かれ、足につなげられていた鎖が解けて自由にされます。神様の救出の御業です。

しかし、今回の神様の救いの御業は、ただ単にパウロたちを救う御業ではなく、牢獄の看守長とその家族が救われるためになされた業なのです。


 大地震によって牢のすべての扉が開かれた状態を見、すべての囚人が脱走したと思い込んでしまった看守長は、責任をとって自害しようとします。

しかし、パウロが大声で叫びます。

「自害してはいけない。私たちは皆ここにいるのだから」と。

どんなことがあっても、自殺はしてはいけません。

どんなことがあってもです。

私たちの命は神様のものです。

神様のご意思を無視してはなりません。

神様は救いの道を備え、永遠の命へと導いてくださいます。


 誰も脱走しなかったことに畏れおののいた看守長は、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏し、

「救われるために何をすべきでしょうか」と尋ねます。

パウロたちの神によって救われるために何をすれば救われるのかと尋ねます。

パウロたちは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」とただ主イエス様を救い主と信じる信仰を求めます。

行いではなく、神様の恵みと憐れみによってのみ救われる。

神の愛の現れである御子イエス・キリストを救い主と信じるのです。

看守長の家族がつぎに登場し、看守長と共にバプテスマを受け、救いを家族と共に喜びます。

家長が、家族全体を代表して信じ、代理としてバプテスマを受けることはできないのです。

一人ひとりが、その心で神を信じ、イエス様を救い主として従ってゆくことの重要性が記されています。

それぞれの愛する家族の救いのために祈りましょう。

あなたが良き証し人として生かされる様に、私も心をこめて祈ります。


 週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。

 主に在りて

大久保教会 牧師 河野信一郎



メルマガ#55 使徒行伝16章11節~15節

2009-06-10 18:17:01 | 聖書
 みことば:「テュアティラ市(の出)の紫布の商人で、神を敬うリュディアという女が
聞いていたが、主は彼女の心を開いてパウロの話に耳を傾けさせた。」使徒16:14 岩波訳

 今夜と明朝の祈祷会は、使徒行伝16章11節~15節を学びます。先週、使徒パウロたちは、「聖霊」と「イエスの御霊」によって、2度旅行の方向転換を強いられたことを学びました。方向転換を強いられても信頼と祈りをもって前進してゆく使徒たちの信仰に感動を覚えました。「たとえ私の計画が阻まれても、主は私のために他にもっと素晴らしいご計画を備えてくださっている」という常に前向きの信仰を持たせていただきましょう。
 さて、今回はマケドニア地方のピリピという町が主の御業の舞台です。この町はローマの植民都市でした。使徒パウロたちはユダヤ人の集まるシナゴーグ(礼拝所)を伝道の足がかりにしてきましたが、このピリピにはそのコミュニティーがなかった様です。「安息日に町の門を出て、祈りの場があると思って、川のほとりに行った」とあり、そこに集まっていた女性たちに福音を語ったのです。キリストの福音はユダヤ人から異邦人、そして女性へと広がりをみせ、このピリピというヨーロッパの町で最初のクリスチャン、しかもが女性のクリスチャン誕生します。なんと素晴らしいニュースでしょう。ルデアという女性は、パウロの宣教を聞き、イエスを主と信じ、家族と共にバプテスマを受けました。

 この素晴らしい出来事から2つのことを心に留めましょう。第一に、「主が彼女の心を開い」たという主の御業です。私たちが主の御言を求める時、主イエス様が私たちの心を開いてくださり、祝福をもって神様の愛を注いでくださるのです。主を求める私(たち)の心が主の御旨と一致する時、主の恵みが豊かなに注ぎが注がれ始まるのです。
 第二に、ルデアは「テアテラ市の紫布の商人」であったとありますが、テアテラ市とは使徒パウロたちが最初に向かいたかったアジヤ地方の町なのです。神様は本当に不思議なことをなさいます。使徒パウロ達は、聖霊によって進むことを禁じられたアジヤ地方テアテラ市出身のルデアにヨーロッパ・マケドニアで出会ってゆくのです。聖霊による禁止を無視し、アジヤ地方に進んでいれば、パウロたちはルデアたちに出会う事もなく、聖霊の導きと助けがなかったので、まったく成果の上がらない旅をしていたことでしょう。アジヤ地方の人にマケドニアという外国で出会い、その人に福音を語る事が主のご計画の中にあったのです。主に信頼し、主の力強き導きに従って歩めば、私たちは必ず主の栄光を、主の御業を驚きと畏れをもって拝することができるのです。大久保教会が主の導きに従って行く事ができ、主がお与え下さる使命を果たす事がこれからもできるようにお祈りと協力をお願いします。私たちはチームです。

 週の後半も主が共にいてあなたを守り導いて下さるようにお祈り致します。
 主に在りて 大久保教会 牧師 河野信一郎

メルマガ # 使徒行伝16章6節~10節

2009-06-03 18:07:37 | 聖書
 みことば:「彼らは、アシア州で御言葉を語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤ地方を通った。」使徒16:6 岩波訳

 今夜と明朝の祈祷会は、使徒行伝16章6節~10節を学びます。

第二回目の伝道旅行は、シリヤ・キリキヤ地方を通って福音の種まきを進めます。使徒パウロたちはアジヤ地方へ旅行を進めたかったのですが、「聖霊によって禁じられ」、進路を変えてフルギヤ・ガラテヤ地方へ向かい、またムシヤからビデニヤに進もうとしたのですが、「イエスの御霊がこれを許さなかった」のです。パウロたちは、方向転換を再度してトロアスへ行くことにしました。

 皆さんは、今までの歩みの中で、進路が断たれたという経験や方向転換を余儀なくされた経験、または切望していた事が叶えられなかった事や頑張って立てた計画が現実に至らなかった経験などがあるでしょうか。私も先月、アメリカでの研修を受け、またテキサスの山中ファミリーを訪ねたかったのですが、新型インフルエンザのことを考慮して、行く事を断念しました。

 今回の箇所で、使徒パウロの伝道隊は「聖霊」と「イエスの御霊」によって進路を変えたと著者ルカは記します。「聖霊」も「イエスの御霊」も同一の神の霊ですが、それぞれ方向転換へと導いた手法が違っていたので、違う言葉を用いたとされています。その手法はたくさんあると思います。よく考えられるのは、健康問題です。社会情勢や経済的な問題、家族の諸事情、または季節や天候状態も考えられます。そういう理由で旅行プランを見直す事もよくあります。

 現在では、いじめ、受験失敗、転勤、失職、自己破産、離婚、中毒症、病気、戦争などがあります。それらによって人生計画がメチャクチャになったと思い込み、人や時代や生い立ちを恨んだり、自暴自棄に陥ることがあります。使徒パウロも病気を持った人、投獄や難破の経験が多くあった人です。しかし、それらすべてを「聖霊」、「イエスの御霊」による啓示、つまり神様のお導きと信じるのです。自分たちの思いや計画を最優先するのではなく、「神様には別のご計画がある」とすぐに切り替えができ、前進する信仰があったのです。

 大久保教会のこれからの歩みも、時に試練に立たされ、誘惑にあい、方向転換を余儀なくされることもあるでしょう。礼拝出席者の減少、教会員の転出、会計決算上の赤字、病気や事故、希薄な交わり、サタンの誘惑などは私たちの志気を弱め、心を痛めることです。しかし、最も大切なことから目を逸らしてはならないのです。それは、キリストの十字架と復活の証人として生かされているという神様の私たちへの御旨とご計画です。

主の御旨を求めて、共に聖書の御言葉に聞き、共に祈り、そして主の導きを信じて主に従ってゆきましょう。そうしたら、パウロが幻を与えられてマケドニヤへ導かれて行った様に、私たちにも幻が与えられ、聖霊によって福音伝達のために力強く導かれる、そのように心から信じます。共に祈りましょう。この箇所からルカが伝道隊に4人名目のメンバーとして加わり、文章が「かれら」から「わたしたち」に変わります。どうぞ大久保教会の働き人として積極的に加わってください。

 週の後半も主が共にいてあなたを守り導いて下さるようにお祈り致します。
 主に在りて 大久保教会 牧師 河野信一郎

メルマガ #53 使徒行伝16章1節~5節

2009-05-27 23:29:28 | 聖書
みことば:「彼(テモテ)は、リュストラとイコニオンの兄弟たちの間で、評判のよい人物であった。

パウロはこの者を一緒に(伝道旅行)に連れて行きたいと思った。」

使徒16:3 岩波訳

 今夜と明朝の祈祷会は、を学びます。ここから使徒パウロたちの第二回目の伝道旅行が始まります。

旅の目的は、第一回目の伝道旅行で訪れた町々を再訪し、力づけることでした。

バルナバはマルコを連れてクプロへ、パウロはシラスと共にデルベ、ルステラへと旅立ちます。

このルステラに、その町とイコニオムのクリスチャン・コミュニティーの中でとっても評判の良いテモテという若者がいました。

現在の情報社会とは当時はまったく違います。

ルステラとイコニオムという2つの町で評判が良かったというのは、非常に評判が良かったということです。

職場でも、教会でも、何処ででも、評判の良い人と働きたいですよね。

パウロはこの若者はきっと役に立つ将来有望な逸材だと思ったのでしょう。

テモテを旅に同伴させ、旅の中で彼を主に仕える働き人として訓練すれば、キリストの福音はもっと早く、広く、世界の隅々にまで伝えられると考えたのでしょう。

テモテを同伴させたいと思いました。

 しかし、テモテを同伴させる時に一つの問題がありました。

それはテモテが割礼を受けていなかったということです。

テモテは純粋なユダヤ人ではなく、ユダヤ人の母とギリシャ人の父をもつ者でした。

しかし、たとえ父親が異邦人であっても母親がユダヤ人であれば、ユダヤの律法によればテモテはユダヤ人であり、割礼を受けていなければならなかったのです。

ユダヤ社会において割礼を受けていないユダヤ人男性はありえず、そのような者は「背教者」と見なされたのです。

パウロは旅に出る前にテモテに割礼を受けさせました。

異邦人が救われてクリスチャンになるには割礼は必要ないと主張し続け、エルサレム教会にもそのような結論にいたらせたパウロが何故テモテには割礼を受けさせたのか。

言っていることと矛盾すると私たちは考えます。

しかし、パウロはこれが今後の伝道に必要だと考えたのです。

パウロたちの伝道は、ユダヤ人の会堂を手掛かりとしました。

テモテを同伴させるにあたって、伝道活動をする上でユダヤ人の躓きとならないようにしたのです。

テモテの割礼は、ユダヤ人にも伝道するためであったのです。

テモテが割礼を拒んだとは記されていません。

異邦人だけでなく、ユダヤ人にもキリストの福音を伝える為に、パウロの勧めに従ったクリスチャン、キリストの弟子テモテの信仰の姿勢が学びとれます。


 さて、教会の中で「評判の良い人」とは、どのような人でしょうか。

元気で笑顔が絶えない人? 優しい人? 愛をもって寄り添い励ます人? 気前の良い人? 誠実な人?人を愛し、人からも愛された人? 色々なことが言えます。

しかし、信仰をもって主と教会に忠実に仕える人ではないかと思うのです。

仕えるためには、御言葉に聞くことと祈ることが必要です。

イエス様は、自分の役割、地上で果たすべき使命をしっかり知っていた方でした。

神様から委ねられた使命に忠実に生きた方がイエス様です。

このお方を私たちは「主」と信じて従うのです。

私たちは、自分の地上での使命、役割を知っているでしょうか。

これが理解できないと、「仕える者」ではなく、神様を含めて、誰かを自分の為に「仕えさせる」者になるのです。

そんな自己中心的で傲慢な人が「評判の良い人」になりえるでしょうか。

「評判の良い人」とは、神様を愛し、神様に愛されている恵みに喜んで生きている人、喜びと感謝をもって主と教会に仕えている人ではないでしょうか。

私たちも、教会でも、地域でも、職場でも、何処ででも評判の良い人になりなさいと神様に求められていると示されます。


 週の後半も主が共にいてあなたを守り導いて下さるようにお祈り致します。

 主に在りて 大久保教会 牧師 河野信一郎

メルマガ#52  使徒行伝15章36節~40節

2009-05-20 18:15:00 | 聖書
 みことば:「パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みに委ねられて出発し、シリアとキリキアをめぐりながら、教会を力づけた。」使徒15:40 岩波訳


 今夜と明朝の祈祷会は、使徒行伝15章36節~40節を学びます。

ここは、使徒パウロたちの第二回目の伝道旅行の序章部分になります。

今回の伝道旅行の目的は、第一回目の伝道旅行で訪れた町々を再訪し、力づけることでした。

パウロの提案にバルナバも賛成したのですが、同行するスタッフの人選でトラブル発生!

 パウロとバルナバは、これまでのパートナーシップを解消し、それぞれの道を行くことになりました。

そもそもの原因は、第一回目の伝道旅行の途中のパンフリアで離脱したマルコと呼ばれるヨハネを再度同伴させようというバルナバの提案にパウロが異論を唱えたからです。

一回離脱し、「働きを共にしなかった者」は信用できない、使い物にならないとでも考えたのでしょうか。

理由は明記されていませんが、激論が起こり、バルナバはマルコ・ヨハネを連れて、パウロはシラスを連れて行くことになりました。

パウロとバルナバのコンビ解消の原因は、バルナバの従弟マルコ・ヨハネを同行させるか否かだけでなかったようです。

興味のある方は、ガラテヤ2:11から13を読んでください。

 私たちは、このコンビ解消を非常に残念なことと捉えやすいです。

伝道の力の減少、伝道旅行にマイナスになったのではと思いやすいですね。

しかし、これも神様の御手の中で起こった出来事です。決してマイナスにならないのです。

 伝道にプラスになったことを今回の出来事から学びましょう。

1)伝道隊が一つから二つになった(パウロのグループとバルナバのグループ)、

2)働き人が二人から四人になった(マルコ・ヨハネとシラスの加入)、

3)パウロが回れなかった町をバルナバが回った(クプロ)。

そして、それぞれの場所でクリスチャンたちが励まされ、力づけられた。

つまり、神様がパウロとバルナバにお与えになった目的は果たされたのです。

そしてこれからも果たされ続けるのです。

 バプテストは、セパレティスト(分離する者たち)とからかわれ半分、皮肉半分によく言われます。

互いの意見を持ち合い、時に激論になることもあります。

その結果、分離してきました。

私たちは、「激論」とか「分離」と聞くとマイナスのイメージを持ってしまいます。

しかし、私たちのイメージではなく、神様の御旨、ご計画を第一にしてゆきましょう。

教会のイメージを良くするために神様の御旨が蔑ろにされては本末転倒です。

神様が大久保教会を新宿の地に建てられているその目的を知り、神様のご意志を優先し、キリストのからだなる教会を建て上げて行く業に参与して行きましょう。

 週の後半も主が共にいて一人ひとりを守り導いて下さいますようにお祈り致します。


 主に在りて 大久保教会 牧師 河野信一郎