丘駄郎の笑いコミュニケーション工学

丘ちゃんの笑い人生哲学、現代の全ての問題は対話不全にある、を語る

拝啓お上様、やめて下さい、弱い者いじめ

2006-12-16 01:00:31 | Weblog

 この一年来、小泉-自公政治以来の弱いもの、老&障害-者、庶民、虐めのニュー
スばかりで頭にきます。年金への増税、70歳以上の医療費値上げ。障害者自立支援法とは名ばかりで、むしろ阻害法、と何人かの人から話を聞きました。
 最近は、難病患者に対する公費負担医療制度の適用範囲見直し(=縮小=医
療費自己負担増)、中国残留孤児国家賠償訴訟で国の責任を認めた神戸地裁判決を
不服として厚生労働省控訴。老いや障害は個人の責任では無いでしょう、ましてや戦争責任はおおやけに保障すべきだと思います。そこ迄切り詰めて、ブッシュのために、在日米軍基地のために、何千億と言う金を捻り出し、使うのはなぜですか?
 一方、6大銀行がここ数年以上法人税ゼロ(儲け3兆円近くなのに--うまく税制が出来てるらしい)、更に大企業上位数十社は、ナントカ景気とかで一頃より儲けが上がっていながら法人税率を下げろ、と言ってる由。それによる税収減を、消費税増(=庶民への増税)でお上はまかなおうとしてる由。同時に所得格差が広がってる=庶民はより貧乏になって、ワーキングプア急増、だそうではないですか。
 それだけならまだしも、お上は憲法9条を変えようとしてます。今、教育基本法「改正」のニュースも入りました。今なぜキナクサイ愛国なんですか?ブッシュについてってゴマすり戦争(人殺し)の手助けをしたいらしいけど、自公の議員さん、自己責任で自分でいってください。いずれ、被害にあうのは弱い者、庶民です。私に愚息に、教え子に、精神的物理的人殺しの手伝いをさせないでください。最低、この年寄りは我慢するとしても、若者の未来を殺人公認社会にしないでください。

なんで日本語教師になるための講座をうけたん?

2006-12-08 09:12:41 | Weblog
kkさん

 何で日本語(教師)講座受けたの?と聞かれると、面白いから、です。が、その面白さを言いたくなりました。しかし、うまく説明できないことが分かりました。それにいい訳になりますが、面白さは人により違うし、まして本を紹介しても、おもろくない、と言われたらどうしようかと思いました。やっぱ、人の好み、楽しさは10人10色だから、仕方ない。そのときはおもろくなーい、といってもらえば良い。で、私がこれにはまったキッカヶを言うことで勘弁して貰います。

1 勤めていた学校であの11人のいかれる子供達を生んだ原因は、私と子らの、コミュニケーションがうまく出来ない=対話不全にあると思いました。授業やホームルームや全てを含めて、これに問題あり、だった。授業に限っても、私の授業は面白かったのか、楽しかったのか、魅力的だったのか。ダウト。それとかれらの多くは私を信頼してなかった。偏見もあるかもしれないが、、、逆に私は?そんな時、笑い学会みちのく支部設立準備会が発足する、のニュースを見た。あ、これだ!小さいときから落語好きだから応用できるかも、と馳せ参じた。

2 落語は院生の頃、大分自己流でやりましたが、聴衆を相手の交流、対話だとの認識はおぼろげながらありました。支部に入会してから一時、洒落を言うのが対話と大きな誤解が自分にありました。そんな時にみたのが新生児微笑のTV番組です。微笑は愛してー、愛してるー、です。筋肉の痙攣だと言う人もいるが、そんな分析は気にしない。あの笑顔を見たらだれでも、愛してるよ、と笑顔で応答する。硬式テニスでは始めの0:0ではラブオールと言いますが、愛は対等である、対話の出発点なんですね。しかも、笑いの基礎には安心や信頼がある、かつ、平和がある。1での不全は笑い=コミュニケーション、で克服できると確信しました。もう一つ分かった事は、人は笑うDNAを持つ、人は皆笑える、と言う事です。よって、笑えない人は何か原因がある、だからそれを取り除けばよい。そうやれば人生の目的:自分を生かし、よりハッピーになれる、に近づけると思いました。

3 その後、笑い学会会員のAさんにボラ電話相談の研修やってみないかと誘われました。これも本質は対話です。しかし、文字とかパフォーマンスとかは使えない、色々な縛りがある中での、電話を通しての音、息遣いなど、の変化だけで気持ちの交流、共感という対話の実践練磨だと思いました。この研修は私の授業、講演、人間関係などの改善に凄く役立ちました。これは理屈ではなく、五感に基づいてよりハッピーな人間関係を、もっと大きくするためのものであると確信しています。
4 研修で気付いたのですが、言葉(のイメージ)も人によって、勿論、状況、経歴、時間、性年齢などにより違うことが分かりました。でも共通するものがあります。しかし、そういったものや、日本語や語の法則は母国語であるがゆえに無意識に、分からないで使っています。しかもそれらの多くは感覚の問題です。外国人に教えるにはそれを理屈できちんと教えないと駄目なことが分かりました。一方、日本人もそういった語の背景にあるものを知らないし、きちんと意識してうまく使えない、使わないためにコミュニケーション=生きる事、がスムースに行かなくなっている、傷つけなくても良いところでそうなっている、そうなっているのも分からない、特に最近多くの人はそうなのではないかと思います。言語は人生をハッピーにする為のもの、なのに。

あと、対話の重要な要素、サイレントランゲージは笑いのパフォーマンスで修行中です。別の機会に。日本語講座を受けたのはそんな理由からです。モチ、何より楽しかった、面白かったからですが。ではまた。