5月16~17日陸前高田から石巻まで忙しい視察をしてきた。同行者は、専門家ではないが、ほぼ同等の知識と行動をしている頼りになる仲間。
陸前高田では、震災語り部がガイドをしてくれる。追悼施設で待ち合わせ。目の前にある建物はかろうじて津波に耐えた。
近くのガソリンスタンドの看板、やはり津波の高さが印されている、近々かさ上げのため撤去
北上川 広田湾 写真上では左右から津波が襲い、激しくぶつかり合ってその高さは13m それが9回ぶつかった、中には13回見たという人もいるとか。ここは、広田湾が見渡せる見晴台、背中に「浦中」の名が入ったジャージを着ている中学生が入れ替わり、高いところに駆け上がってくる。「オイッ横須賀の浦中か?」連れが聞く「そうでーす」かけ去りながら答える。これは奇遇な。「校長も来ているのか?俺は00と言うんだ!校長に言っといてくれっ」かつて浦賀中学校でも講義したことがあるという。
およそ4時間案内されるまま運転し、説明された。話し合いに夢中になり、メモも取らず写真も撮影しないところがいくつもあった。
我々はこれから石巻へ向かう。2時間半位と言われる。それでは暗くなってしまう、急がなくては、その前に「奇跡の松」を
路地のような細い道を入るべきところ、通りすぎてしまった。大型ダンプが激しく行き交っている。今更Uターンなどできやしない、近くの空き地に車を止めて、ともかく写真は撮れた。
18時20分、ようやく目指す「石巻市立大川小学校」着。
「もう写真にならないから明日の朝出直そう」相方が進言。何のためのデジタルカメラ!「大丈夫十分撮れるから」と、撮影開始。
すべて大川小学校校舎 撮影場所を移動しながら様々な方向から。
こちらが問題の山、校舎はこの左側。「先生山に逃げれば」生徒の意見を無視。それはそうだ、元々大川小学校が避難場所に指定されていた。だから、学校近辺の人たちも避難のため集まってきていた、と言う。しかし、市の広報車が「北上川の松林が壊された!」と警告は出していたとも言う。ただ、明確な避難指示は出ていなかった?
民宿に入ったときはすでに真っ暗!周りの景色など何も見えない。朝、明るくなって外を見れば「ここの防潮堤も新しくしたか」と撮影。
民宿の女将が言うには「隣の二階は水が入って大変だった」左側に見える建物、こちらの敷地とほぼ同じ高さ。この宿は床下浸水ですんだという。道路から15mの高台に建っている。それから話が始まる、こんなことなら昨夜食事の時に聞いとけば良かった。
まず家がやられてしまった人たちの避難所になった。たまたま団体の予約が入っていて、材料は余計にあった。食べ物はすべてボランティアで出した。その人たちが公の避難所に移った後は工事現場の班場のようになった、と。もっと聞きたいのを振り切って出発。まずは女川町
高台から見れば、ほとんど造成中、一部かさ上げの終わったところには新築の家が見える。
湾口方向 ここから津波が押し寄せてきた。少し時間をかけすぎた!次は石巻に向かう
丸い屋根は「石ノ森記念館」震災の年、夏に来たときはがれきの山だった、上から見る限りがれきが片付いただけのよう、「下に降りてみよう」「いや電車の時間が・・・」数回同じ言葉を交わし、結局石巻駅に向かうことに仙石線で仙台へ。これはあの「野蒜駅」
東北新幹線に乗ってから買い求めた昼食。忙しい視察。次はもう少し北の方向をする。二泊にしようぜ!
お粗末な報告でした、最後まで見てくありがとうございました!