ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

お悔やみに行く

2023-09-02 | 
長々と書いた文章が自分の手違いで一瞬にして消えてしまい 思わず『ひえ~っ😱っと叫んでしまいました。む、無念です。


気を取り直して…

大変お世話になった義叔父の逝去に 弔電だけでは失礼なので 姉とお悔やみに行くことにしました。

長いこと会っていない いとこの兄妹とも再会できます。

小学生時代、夏休みに両親の田舎で遊んだ記憶がよみがえります。頭の中には バックにに井上陽水の『少年時代』の曲が流れています。


昔の思い出に酔うのは 歳をとった証拠です。川で泳ぎ、野山をかけ登り、魚釣りをし、トマトやトウモロコシをほおばり、乳牛から絞ったばかりの牛乳を飲み、何をしても楽しかった夏の思い出がよみがえります。

私、あの頃は細かったなぁ、可愛かったなぁ・・・(泣)


姉の運転する車で一路 熊本県阿蘇郡産山村へ。

別府からオートバイで、福岡から車で かけつけた いとこの二人となん十年ぶりの再会です。こんなことでしか会えないのが残念ですが、お悔やみも そこそこに昔話に花を咲かせます。

昼食は そばで いとこ(故人)の息子さんが経営する『山水亭』へ。いとこの奥さんが明るく迎えてくれました。

雨の平日なのに駐車場はいっぱいで商売繁盛です。店頭の予約ボードに名前と人数を記入し、少し待ちます。

回転率も早く すぐ呼ばれました。二人は名物のオムライス。ふわふわの卵に包まれたオムライスが優しい味のスープにうかんでいます。




後の二人は黄緑色のピリ辛のグリーンカレーなどを。




昔 産山村はタイから山村留学を受け入れた時期があり、その時に いとこがタイのグリーンカレーのメニューを作ったそうです。優しい黄緑色は近くで採れるチンゲン菜で作ります。

食べながらも会話がはずみ、お別れの時間となりました。亡き叔父が いとこ達との再会の場を設けてくれた気がします。

別れた後は 葬儀の連絡をくれた父の妹夫婦の家に寄ります。足の悪い叔母はディサービスで留守でしたが、88歳の叔父が留守番をしていました。

やはり足元が おぼつきませんが他は明瞭でラインも使えます。

近所には高齢の親戚が多く 産山からの電話には毎回 ヒヤッとします。義理や恩義は返さなくてはなりません。両親の教えです。

帰りは急ぎたいのですが、おじさんが『息子夫婦と孫が そばのトマトのビニールハウスにいるから寄ってくれ』と 即電話しているので寄らせていただきました。こちらのいとことも 会って話すのはなん十年か振りです。

ビニールハウスから三人が出てきて迎えてくれました。若い息子さんが社長で両親が従業員となり週休2日制だそうです。昔の農業とは違います。

いとこの奥様はかお完全防備で色白でマニュキュアもきれいに塗っていて ほぼノーメイクの私は恥ずかしい(///∇///)

ハウスの中で しばし おしゃべりをしましたが、実家の父が孫でもないのに、いとこの息子さんを たいそう可愛がっていた話を聞きました。『自分は娘二人だったので 男の子も欲しかったのかもしれないね』と姉と話しました。

お土産にトマトをいただき、帰りは農産物の無人販売所に寄りました。

無人ですが、たくさんの かかしが出迎えてくれます。




立派なパプリカは鍵付きのケースに入っています。300円は安いです。買ったものの 姉の車の中に置き忘れる失態(バカバカバカ)



いとこの家のトマトは完売でした。人気があるみたいです。




ここで 姉は旦那さんに 帰る予定時間をラインで早目に知らせていますが、私ときたら着く直前に電話です。荷物を車庫から家まで持ってもらおうという魂胆です。

ちゃんとガレージに迎えに来てくれてました。

毎日朝夕 シャッターを上げ下げするのが常ですが、私が帰るのを待っていてくれたのは うれしいです。


夏の終わりの 阿蘇へのお悔やみと再会の1日の旅でした。終わり。

消えた記事を 無事書き終えました。ふぅ😵💨