縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

人道的な兵器などあるのか?・・・対人地雷とクラスター爆弾

2021年08月06日 07時43分06秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画

「非人道的な核兵器」という言葉を聞くと、対人地雷やクラスター爆弾は人道的なのか?と言ってやりたくなる。

この世に人道的な兵器などあるのなら、教えて欲しい。
写真は観光ルートを外れたカンボジアの田舎道。
 
片足のない70歳くらいの老人は元兵士だったのか?
 
片足のない少女は不発弾を踏んだのか?
有事の際に海岸にばらまく戦術を採用していた自衛隊も、90年代までは両方とも保有していたが、もし使われていたら戦域は向こう数十年は海水浴も散歩もできない海岸線になっていたはず。
世界の金融機関の中で最もアメリカのクラスター爆弾製造メーカーに融資していたのは、三菱、住友、オリックス、第一生命などの日本の金融機関であったらしい。
 
イスラエル軍はレバノン侵攻で100万発のクラスター爆弾をばらまき、今もってその4割が不発弾として民間人の自由を阻害していて、それが本当の使用目的ではなかったか?
 
戦闘終結後にも足を吹き飛ばされる民間人・・・われわれが報道で目にするのは戦闘であって戦争ではない。戦争とは戦闘結果をもとに外交協議する場であり、戦闘と戦争は別次元なのだと教えてくれたのは、イラク戦争の取材時にバクダットで爆殺されたフリージャーナリストの橋田信介さんの著書。
余談だが、あの爆殺事件の前年、東南アジア旅行中の私は、橋田さんの親族からバンコクの橋田さんを訪ねれば意気投合して助手になるに違いないとバンコク行きを勧められていたのだが、マレーシアの海に魅了されてバンコク行きが叶わなかった。バンコクの橋田さんと会っていたら、私も運命を共にしていたかも知れない。
 
対人地雷やクラスター爆弾は、使用国が責任を持って不発弾を回収するべき。

 

 


木造ヨットEzuism号のクルーは、すばらしく大人な人々

2021年08月04日 07時15分03秒 | 田舎暮らし

Sail on !海へ!

メンテナンスを終えた木造ヨット、Dr.江塚のエズイズム号が今シーズン初の試運転。

私は20年振りのヨットなので、邪魔にならないようにと思っていたが、平均年齢74歳くらいのクルーは「あれ~?もやい結びってどうやるんだっけ?」「ジブセイルが上がらないのはなんでかな?」といった感じだったので、意外なほど活躍の場があった(笑)
 
機走で港外に出た直後、エンジンが止まるアクシデント発生・・・あわてず騒がず、微風の北風をつかまえて船足を確保し、安全な沖までフルセイル!
流石に横山晃が設計したサバニ船型のヨットは、よく走る。やっぱセーリングはいい。
 
沖に出てからタッキング(風上まわりの方向転換)したが、エンジン無しで入港するには進入コースの角度が浅く、風下側の防波堤に流されて座礁する危険が迫った。
 
防波堤手前で再びタッキングして、沖にでつつ風上に上った。
 
この時のジブ(前の三角帆)のトリムで、私がズブの初心者ではないと多少なりともアピールできたかな?・・・入港出航時はエンジンを使うクルーザーと違い、ウインドサーフィンは帆走だけなのでシビアなのですゾ。
 
防波堤の先端をかわしてから、一気に帆を降ろして船足を殺し、惰性で桟橋にピタリと横付け!
 
桟橋に飛び移り、もやい綱を投げる・・・懐かしいこの速度感と連携の妙・・・この感じが好きだ。
 
お盆に佐渡クルージングに出るのだが、試運転のお陰でエンジンの不具合を見つけられたし、新参者の私もクルーに溶け込めた。
 
 
ヨット乗りは多趣味で話題豊富、快活なリベラリストが多い。
Ezuism号もオーナーの江塚先生は、著名な脳外科にして、木工が得意なバロック音楽のフルート吹き。料理番の曽根さんは、洋菓子店「ラ・ソーネ」の店主にして、同じくフルート吹き。
 
(木管フルートを初めて聴いたが、詫びた優しい音色でした)
舵を持つスキッパー(艇長)の長谷川さんは、50年のヨット歴を持つ広告代理店社長。機関長の恩田さんは、自動車修理工場の社長にして、たいへんな読書家、しかも私と同じ半藤一利ファン。
 
他にも大の釣り好きの内科の女医さんもいたりして、上杉謙信の居城のあった春日山の麓にある「ラ・ソーネ」に集まっては酒宴を開くが、これがほどよく抑制が効いた大人の集いで気分がいい。
岩ガキが美味い。出てくる料理がすべて玄人はだし。
 
クルーは酒豪ぞろいだけども、人の話を聞かずに一人で大声を出して喋りまくる酔っ払いもいなけりゃ、前後不覚になるまで酩酊する人もいない。
 
最後まで普通の声で会話を楽しみ、満腹となり酔いと会話が満たされたところでアッサリとお開き。大人の落ち着いた酒宴デス。
 
「スマートで、目はしがきいて、几帳面 これぞ船乗り」
 
Ezuism号のクルーは、船乗りの矜持を表す格言通りの人々。
 
今年のお盆は能登航海に出たかったらしいが、メンテに手間取り過ぎたために佐渡航海となった。往復ともナイトクルーズの予定。
 
天の川や夜光虫を肴に、映画や文学、歴史を語り合う・・・想像しただけで楽しそうだ。
 
 
 

ヌナカワ姫には、信州の男神の夫がいた・・・悲劇のヌナカワ姫伝説

2021年08月01日 21時55分15秒 | ぬなかわ姫
神話の研究をしている、奈良在住のいやさか祥平さんの一家を「稚児ケ池」にご案内。
 
子供連れの奥さんの姿が、往時のヌナカワ姫とダブって見えた。
 
糸魚川に出雲の八千鉾神が来た時に、「ヌナカワ姫の夫神である松本の神が戦いを挑んだが、破れて首をはねられ葬られたのが将軍塚」というような口碑があり、その類型譚も幾つかある。
 
また黒姫山山頂に祀られているのが、ヌナカワ彦・黒姫・ヌナカワ姫の三座であり、黒姫はヌナカワ姫の母神、黒姫はヌナカワ姫ともあるので、ヌナカワ姫は女系社会の世襲制の族長ではなかったか?という自説を説明したが、糸魚川市史や青海町史を編纂した郷土史の大御所の青木重孝先生も同じ見解だったようだ。
生まれて初めてイヤリングをつけた祥平さん。共通の友人が多い。
 
かっての松本は深志と呼ばれていたので、松本の神というのは中世以降の追加と思われ、縄文以来、黒曜石とヒスイを交易していた信州方面の勢力との長年に渡る婚姻関係があったことを示唆しているのでは?
 
だからヌナカワ姫の子供は建御名方神のみならず、他にもいた可能性は大いにある・・・。
 
観光客誘致のために70年代から始まった、官民挙げてのヌナカワ姫と八千鉾神のラブロマンスに違和を感じ、本当はどうなのですか?とわざわざ県外から訪ねてくる人が増えているのは、喜ばしい限り。
 
 

#悲劇のヌナカワ姫伝説 #ヌナカワ姫には信州の男神の夫がいた