縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

糸魚川市民に知って欲しいお宝・・・相対道祖神施文深鉢

2015年10月06日 21時26分55秒 | 縄文

9月月末に「縄文シティサミットin糸魚川」というイベントがあったという事を知らない市民が多いようだ。

当日の私は上越市で講演を頼まれていたので行けなかったが、参加した人からホールがガラガラの状態で、内容もお粗末だったと聞いている。

勿体ない・・・糸魚川市には市民にあまり知られていない縄文時代の貴重なお宝があるのだぞ。

 

その一つが、私が勝手に「相対道祖神施文深鉢」と呼んでいる土器である。

半分以上が欠損しているが、他に類例が見当たらない程に非常に珍しい土器なのである。

出土地は、能生町にある現在の県立海洋高校の敷地の「井の上遺跡」で、ここは中期(五千~四千年前)のヒスイ加工遺跡でもある。

他に類例がない非常に珍しい土器とされる由縁は、一つの土器に粘土紐を張り付けた隆帯紋で、二人の男女が施文されている事。

 縄文時代の土器に施文された人物らしき文様は、通常は精霊っぽい女性像が多い。

それらは顔付きがモノノケ風でも、胸の膨らみや女性器を暗喩させる図像、または女性器そのものが描かれていたりするので、豊穣の地母神と推測されている。母胎たる土器から子供が生まれてくる瞬間の図像であったりとか・・・。

ところが、この土器には稚拙だけれども、男性器と女性器らしき特徴を持つ二人の人物像が描かれているのでR。

 

不思議というか、意味不明なのが、二人の人物が90度の角度で施文されている事。

この時代の信州の土器なら裏と表に施文するか、シンメトリックな図像にでもしそうなのに・・・。

土器の施文も朴訥で質素・・・というか子供が作ったのかと言う位に下手糞なので、珍しいとはいっても国宝にはならないのだろうねえ(笑)

人物を90度の位置にした意図も謎。

茶室における「撞木の座」のような深い意味が隠されているのか?

それとも三千年前に噴火した火山に「焼山」という安直なネーミングをする糸魚川人のご先祖だから、適当にデザインしちゃった?(笑)

しかし糸魚川市民なら是非ともご覧になって頂きたい。

長者ケ原遺跡考古館に展示されています。


バリ島が糸魚川にもあった・・・グランフォンド糸魚川

2015年10月04日 21時35分21秒 | 糸魚川自慢

今年で11回目の開催になる「グランフォンド糸魚川」は、海抜ゼロの海岸から500mの高低差のダウンヒルコースを120キロの距離で駆け抜けるサイクリングイベント。

毎年参加募集と同時に定員を超えてしまう人気イベントである。

 

事務局の小島さん(タツミサイクル社長)には、日本海縄文カヌープロジェクトの活動で色々お世話になっているので、私は恩返しのつもりでボランティア参加して4年目になる。

今年の私は、広報車に乗ってサイクリストに先駆けてコースを走りながら、大音量の音楽を鳴らしてクマ除けするという係(笑)

冗談抜きに人気のない山間地が大部分なのだ。

そこで観た風景・・・感動した。

地元の私でさえ初めて観る山間部の景観は、バリ島の棚田、雲南省の集落、ネパールの丘陵そのまま。写真だと迫力が半分も伝わらないのが残念。

標高500m近い所から日本海が見える。海だけが糸魚川の魅力じゃないぜ!と実感。

 

しかしそれ以上に、小雨が降る人気の無い山奥で、何時来るかも知れないサイクリスト達を立って待ち続ける道案内のボランティア達の姿に感動した。

手がかじかむほど寒かったが、3~4時間は立ち続けていたのではないだろうか。

自分達は雨に濡れて立っているのに、車に乗った私にでさえ、笑顔でご苦労様!と労ってくれた。

我が故郷の人々は、なんて素朴で実直な愛すべき人々なのだろう。

インドネシアにあってバリ島は日本人に人情や情緒が似ていると感じるのだが、糸魚川の人々だってバリニーズみたいに素朴で実直だと思った。

 

どこの市町村でも似たようなもんだろうが、糸魚川で開催されるイベントは、行政主催・主導だと税金の無駄遣いと批判されるようなショボイ内容が多い。

ところが民間主催だと、全国から人が集まる人気イベントが多いのだ。

この差はなんだろう?

いっその事、行政はヘタにイベントを主催するより、有意の民間人にその分の予算を使わせたほうが耐費用効果は上がるのじゃないだろうか?

と、何人かの人が言っていました!(笑)


ぬなかわ姫のお導き(2)

2015年10月02日 08時45分07秒 | ぬなかわヒスイ工房

さて、前回の続きで石笛の手直しでご縁ができた山形の女性が「ぬなかわヒスイ工房」にやって来た。

工房で自宅から出土したヒスイの勾玉などを見せた後に、約束していた稚児ケ池にご案内。

稚児ケ池は奴奈川姫入水の地と伝説のある場所で、ヒスイや糸魚川の歴史に興味を持っている人には必ず案内している。

稚児ケ池の存在は地元の糸魚川の人でも知る人が少なく、杉の植林に囲まれている糸魚川市街を見下ろす低い丘陵地帯にある。

案内看板もないので、誰かに案内して貰わないと辿り着けないような所にある人気の無い場所。

勘でしかないのだけど、人には稚児ケ池は私の自宅のほぼ真裏(真南)の直線距離で2キロ程度の位置と説明していたが、今回は彼女の自家用車のGPSでその事が確実になった。

考古学的には稚児ケ池付近は、奴奈川族の王族の墳墓地帯と推測されており、私の自宅付近も奴奈川族の人口密集地帯であったらしい。

稚児ケ池に到着すると、神主である彼女のご主人が作った御幣を池の端に立て、彼女は祈った後に愛用の龍笛を奏でた。

 龍笛は雅楽の竹笛で、彼女の龍笛は一本の竹を八割にして裏返して組み直してあるという本格的なもの。

よく神社で奏でられている雅楽のスタンダート曲の越天楽(えてんらく)が稚児ケ池に響き渡った。

 

佳い・・・その場にぴったり。

これまで案内した人々は、ギター、石笛、三環鈴など、各自のやり方で思い思いの楽器を奏でて奴奈川姫に礼を尽くした。

各地から奴奈川姫やヒスイに魅せられた人々が私の所に案内を乞うて来るが、最近は奴奈川族の道案内が私に与えられている役割だという気がしてきた。

私は奴奈川族の猿田彦(さるたひこ)なんですよ、と彼女に言うと意味がすぐ通る処も愉快で、古代や神々の話し、お互いの不思議な体験談が弾んで時を忘れたが、本格的に神道の修行をした女性のためか、途中でちょっと不思議な体験もした。

これだけ話題が噛み合うお客さんも珍しいが、ぬなかわネットワークが各地に広がっていく事が愉しい。

因みに猿田彦とは、天津神を道案内した国津神で、解り易くいうと天狗の親分である。

その後、彼女を長者ケ原遺跡やヒスイ峡、親不知を案内したが、「プロのガイドとしてお金を貰えますよ~。お金払っても惜しくないです!と嬉しい事を言ってくれる。

その内にガイド付き民宿でもやるか(笑)

 

 


ぬなかわ姫のお導き(1)

2015年10月01日 20時23分22秒 | ぬなかわヒスイ工房

山形の由緒ある神社に嫁いだ女性から、都内のミネラルショーで購入した石笛を手直しして欲しいとの相談メールがあった。

彼女自身も神主である夫の父親から雅楽を習い、竜笛を奏でているとの事。

写真を送って貰ったら、ペンダント仕様になっているので安易に私のデザインをパクった石笛らしいが、写真を観ただけで石笛として未完結・・・というか、作り手の石笛に対する真摯な姿勢が感じられず、依頼主には申し訳ないが、やっつけ仕事の石笛であると思った。

手直し依頼を受けた石笛・・・ヒスイ原石に孔をあけただけでバレル研磨機にぶち込んで研磨しただけ。私の石笛デザインをパクっている人の作品は概ねこんなもんだ。

 

勾玉もそうだが、上質なヒスイを使っていても「よい原石をお使いですな。」とか「お上手ですね。」としか感じられない作品を観るにつけ、やるせなくも哀しい気持ちになる。

例え技術が稚拙でも、良いヒスイを使っていなくても、作り手の何かが伝わってくる作品は「佳い」と思えるもの。

それは作り手の真摯な姿勢だと思うのだ。

手直し後の石笛・・・卵型に成形して、平面研磨機で仕上げたら、青系ヒスイの石笛として評価していいレベルになったと思う。

 

デザインはお任せだというので、石笛の手直しを受ける事にした。

手直しを終えて送り帰したら依頼主の女性から、まったく別物の石笛としてイノチが吹き込まれた、という評価。

もちろん、石笛としての吹き易さが改善されて、不愉快なビビリ音が消えてクリアーな音色になったし、音域も広くなった。

メールでやり取りする内に、依頼主の女性が古代史や神道について並々ならぬ見識と経験を持ち、ぬなかわ姫と不思議な縁を持っている事が解り、意気投合して糸魚川市に遊びに来ることになった。

以下次号!