18日間に及ぶ4,000キロの北海道バイクツーリングが終わって帰宅した。
旅の間、アイヌの方々に随分とお世話になり、武四郎の導きとしか思えないことが何度かあった・・・ハマナス。
雰囲気のよさそうな神社にバイクを止めて休憩していたら、私がタバコを吸っていた東屋の横に「武四郎宿営地」の看板があったり、別件で訪れた家の横にも「武四郎宿営地」の案内看板があったりなどなど。
もっと凄いのは、アイヌ文化を調べるために屈斜路湖のコタンに行った時。
北海道には漢字表記やカタカナ表記のコタンという地名が幾つかあるが、アイヌ語で村という意味で、古くから集落があったということだろう。
知り合ったアイヌ女性から、是非とも会わせたい人がいると紹介されたのが、たまたま当地を調査で訪れていた松阪市の「松浦武四郎記念館」の前館長の高瀬先生。
松浦武四郎記念館の前館長の高瀬先生はアイヌの古老のような立派な風貌の紳士で、毎年、北海道に調査に来ているのだそう。
高瀬先生には、武四郎が大首飾りを作った意図と、21世紀に大首飾りを作る意義について想う処を聞いて頂いた。
武四郎が明治期に大首飾りを作ったのは、生来の好事趣味だけで玉類を連ねたのではないのではないか?
江戸期に松前藩ならびに場所請合い商人から略奪・収奪・暴力・凌辱を受けていたアイヌの実情を命がけで世間に訴え、明治になってもその境遇は変わる事は無かったことへの憤り、無念、力になれなかったアイヌへの惜別と哀悼、鎮魂の想いから、アイヌ女性が儀礼の際に身に付けるタマサイ(首飾り)をイメージして作ったポロ・タマサイ(アイヌ語で大きな・首飾り)こそが、大首飾りの秘められた意図ではないか?
北海道の公共施設や観光施設では、武四郎の企画展のポスターが至る所に張られていた。北海道博物館にて
ヒスイ職人としての私の立場からすると、カタチと寸法をなぞって作るだけなら単なるコピーだが、それでは「のようなモノ」で終わってしまう。
武四郎生誕200周年は、折しもアイヌがアイヌモシリ(人の大地)と呼んでいた土地を、和人が蝦夷地から北海道と勝手に呼び変えてから150周年の節目でもあり、その記念式典の目玉企画として大首飾りの複製を依頼されたのだが、「のようなモノ」を作っては武四郎が泣く。
道制開始150周年を祝祭イベントで終わらせるのではなく、今一度、アイヌ民族への謝罪と哀悼の念を表明する機会として、「平成の大首飾り」はその象徴のポロ・タマサイとして作られてこそ、武四郎の望む処ではないか?
高瀬先生は、青臭い素人の私の訴えをじっと聞かれて、最後に力強くハグして賛同してくれた。
大型台風が本土を直撃していた頃、北海道は快晴続きで、私は屈斜路湖畔の無料露天風呂でノンビリ・・・申し訳ない
これでモヤモヤしていたものがスッキリした・・・私が作るべきは鎮魂のポロ・タマサイ!
高瀬先生にハグされて、旅の目的は半分果たせたようなもの。
近頃、武四郎に顔立ちが似てきたと人に言われるようになった・・・はやく帰って大首飾りの続きを再開したくなった。
クッシーもいた・・・。
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