「海のヒスイ・ロード」の旅の途中で仲間になった柏崎市の「umicafe DONA」さんは、原発の東2キロにある海を見下ろす素敵なカフェレストラン。
このカフェには面白い仲間が集まってくる。
その一人、長岡市の清野さん(せーちゃん)が発起人となって、11月2日~3日に原発の海の海水を煮詰めて塩を作るイベントを行った。
柏崎刈羽の原発再稼働の賛否に関わらず、例え廃炉となっても共存し続けなければいけない原発に対して、事故を起こさないで欲しいという願いを込めた祭りである。
海水は、上越地区、下越地区からも集めた。
上越地区は糸魚川のヒスイ海岸で皆既月食の日に汲んだ海水!
右端がせーちゃん。左端の男性が富田さん。
俺の担当は、薪割りと火起こし。
塩炊きの指導は、大阪で染めや鉄火味噌作りなどの工房を営む富田貴史さん。
祭壇を整える富田さん。彼は各地で塩炊きの指導をしているそうだ。
一睡もせずに塩炊きをし続けた富田さんの姿に感銘を受けた俺は、塩炊きの後に名刺を渡して挨拶をしたら、名刺代わりと自分の工房で作っている麻製の越中褌をプレゼントしてくれた。
俺の勝負下着に決定!
当日は祭りの始まりの祈りの儀式までは天候がもっていたものの、火起こしで釜に火を入れる直前に風速8mの暴風雨となり、準備していた縄文式発火法の道具が一瞬でびしょ濡れとなるアクシデント発生。
慌てず騒がず、何時も携帯しているファイアー・スターター(アウトドア用品の現代版火打石)で着火した。
薬缶で煮たてた海水を大鍋に移して灰汁やゴミを掬いながら沸騰させ、大釜に移してから煮詰めるという三段構えの体制。
瞬間最大風速10m超えと思われる暴風雨に、雨除けのタープが吹き飛ばされそうになる。誰ともなく自主的に骨組みにぶら下がって錘になってくれた。
俺も薪割りの合間にタープの補強や控えロープ増強に励んだ。
放浪の歌姫PHOKAちゃんと、歌うラーメン屋ゆっけが歌ってみんなを励ます。
踊り出す女たち、黙って薪を割る人、海水のゴミを掬いとる人、熱いお茶やコーヒーを淹れて振舞う人、ゆっけは夜食のラーメンを作ってくれた。
みんながそれぞれのやり方で塩炊きに参加していた。
一晩中、煙で目を真っ赤にしながら釜に薪をくべ続けた富田さん。
薪の寸法、種類を選び、薪の並べ方まで考えた緻密な火力の調整をしていた。
その集注感は整体指導者並みで、間違いなく今回の塩炊きは富田さんの集注感がみんなを引っ張っていく牽引力になっていた。とても立派な人だと思った。
朝3時くらいに暴風雨が峠を越して、風が風速5m前後に落ちてきた。
客観的にいって、風速10mもあればホームセンターで売っているようなタープは吹飛んだり、破れたりしてもおかしくはない。
みんなの想いが暴風雨からタープを守ったのだ。
俺も安心して仮眠したら4時間も爆睡・・・一晩中起きて塩炊きしていた人もいた。
DONAさん店内で、各自が好きな時に好きな場所で寝ていた。
朝7時から晴れ間を縫って薪割り指導。長岡在住の親子だったが、奇しくも母親は糸魚川市青海町の出身で、高校の後輩だった。
「わっしょい餅つき」。
左は上越市在住のアメリカ人のラッセルで、カナディアンカヌーに乗ってのツーリングキャンプが好きだという。ジョーク好きな気持ちのいい男で、家具職人だから意気投合してすぐに友達になった。
ラッセルもタープの補強を手伝ってくれたが、現場の即興対応力のあるヤツは好きだし、彼もよく研いだ刃物を常に持ち歩いているようだから実に気が合う。
明け方に塩が結晶化してきた・・・感動の場面。
大釜の底に溜まった塩の結晶を掬って木綿で濾し、遠心分離機で脱水。
できた塩はみんなで作った宝物。
スタッフ以外は特に役割分担を決めていなかったけど、参加者は人手が足りなさそうな所に自分の判断で手伝うという理想的な動きで塩が作られていった。
雨でずぶ濡れになったり、煙で燻されて目を真っ赤にしながら・・・みんないい顔してた。
新しい友達が沢山できた。
指導した富田さん、企画した清野さん、場所を提供して裏方で支え続けたDONAさん、そして参加者のみなさんに感謝!
かけがえのない仲間たちに幸あれ。
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