松浦武四郎の「大首飾り」に含まれる、古墳時代に作られた滑石製の二本の管玉レプリカ作りに、延べ三日、実質一日を費やした。
試行錯誤を繰り返して作った滑石製管玉。左;長さ25㎜×直径7㎜(孔直径3㎜)、右;長さ20㎜×直径6.5㎜(孔直径3㎜)
滑石(蝋石)は勾玉作り体験会で使う柔らかい石材だから舐めていたのだけど、小さい方で長さ20㎜で外径0.65㎜に孔直径0.3㎜という寸法だから途中で簡単に折れてしまうし、私の技術ではど真ん中に孔開けするのさえ難しい。
トランス導入前の仕事だったので、研磨機での成形は困難を極めた。
そこで筋砥石を作ってみたが、乾式だとすぐに目詰まりするので湿式だったことが推測できる。
墳時代の職人が当時の工法で結果的にそうなったモノと、現代人が近代工具で同じモノを作る行為は採算度外視もいいとこだが、なんという達成感と満足感。
やり遂げたという充実感。
完成直前で割れてしまったり、円筒が歪んでしまったり、ちょっとした油断で孔が偏芯してしまった未成品と記念撮影。
古代の管玉作りは最終研磨前に孔開けしていたらしいが、試行錯誤を繰り返した所感としては、滑石の場合は最初に孔開けしていたのではないだろうか。
また成形も筋砥石での水研ぎだったと思う。
この仕事は書道家にとっての臨書と同じだ。
古の名人上手の筆跡をなぞる事は、ヒトを学ぶということだろう・・・そんな実感がある。
完成して監修者に送った煙水晶のナツメ玉2点、青碧玉の管玉2点、赤瑪瑙の丸玉4点
現時点で「大首飾り」総計249個の内、10点完成。
そもそも模写ができるということは、すでに大変な技量があるということですね。
自我を消してこそ出現するモノへの挑戦なのか?
もどかしい想いをしながら色んな事を考えます。