ゴジラ映画の新作で、駆逐艦「雪風」と5代目艦長の寺内正道中佐がモデルらしい人物が活躍するらしい。観てないけどw
「雪風」のほかに「高雄」などの終戦まで残存した艦も武装解除した状態で活躍するとのこと。
激甚災害のたびに初動の遅れが指摘され、救助隊の出発式の報道を見るにつけ、そんな儀式は省いて一刻も早く現場に出してやって欲しいと感じて、寺内艦長を思い出す。
寺内艦長は栃木県出身の海軍中佐。戦後は専売公社に勤務して72歳で亡くなった。
「艦隊演習なんかやると、司令官が乗った旗艦が接岸するまで待つフネが多いなか、雪風はまっさきに帰港して「演習終わり!半舷上陸かかれ!」とやるから乗員は喜ぶんだ。だから士気はたかかった。司令官に遠慮してモタモタと待ってたフネはみんな沈んだな」この有名な談話は、若き日の半藤一利さんのインタビュー記事が広がったものであるらしい。
大会戦を前にした多くの指揮官は、「天佑神助を期して」や「皇国の興廃この一戦にあり/ 各員一層の奮励努力せよ」などの手垢のついた文言で長々と訓示したそうだが、寺内艦長に代表される獅子奮迅の活躍をした軍人ほど権威や形式ばったことを嫌い、手短に作戦概要を説明して「日ごろの訓練の通りにやればよい。以上!」と淡々とした訓示であったようだ。
熱血漢の寺内中佐は合理主義者でであったので、理不尽な上官には反抗したし、そんな上官と酒席を共にすると暴言や暴力もふるったので出世は遅かった。
かといって部下に対しては粗暴な人物などではなく、「部下の失敗は艦長のオレに一切の責任がある。お前は気にせず任務に励め」と慈愛に満ちた鷹揚な態度をとり、演習後は階級に分け隔てなく乗員と酒を酌み交わした。
戦艦「大和」の沖縄水上特攻として有名な「天一号作戦」の寺内艦長は、空を覆いつくす米軍機の空襲のさなかに鉄兜もかぶらず艦橋のハッチから頭をだし、雨あられと降り注ぐ弾丸・爆弾・魚雷を目視しつつ神がかった操艦で回避して生き残った。
空襲の合間に艦橋から頭を出したまま悠々とパイプをくゆらす寺内艦長を見上げた将兵たちは、「雪風の守護神」「艦長あるうちは雪風は沈まず」と信仰にちかい尊崇の念をもったという。
弾薬庫に被弾したロケット弾も不発、進路ドンピシャの魚雷は艦底をくぐるという運の良さは、「雪風」のものか、それとも寺内艦長と乗員が一体になった闘志に「鬼人もこれを避く」ものであったものか。資料によってまちまちだが、大戦中を通じた「雪風」乗員の戦死者は一桁であったようだ。
ちなみに連合艦隊の残存艦による水上特攻ということで、他艦では討死を覚悟で出陣した楠木正成にあやかって家紋の「菊水紋」が煙突に描かれたり、遺書が集められたりしたが、「雪風」だけは寺内艦長が「死ぬことを考えて戦ができるか!大和が沈んでも本艦は沖縄へ行く!」と禁止して、悲壮なムードを一掃した。
奇跡の幸運艦と称賛された「雪風」は、確かに運のいいフネではあったが、その運は平時に実効的な猛訓練をし、風通しのよい溌剌とした艦風をつくり上げていった歴代艦長の人材育成を抜きには語れず、特に負け戦が濃厚になった時点で豪傑肌の寺内艦長が指揮を執ったことで昇華したのだろう。
見栄や体裁、形式にこだわらず、部下の実力を最大限に発揮させた寺内艦長のような人物に、防災や災害支援の指揮を執ってほしいものだ。
それは20倍もの戦力差がありながら、終戦時のモンゴルでソ連の傍若無人から20万人の邦人を守り切り、早期に帰国させた陸軍の遠藤忠中将も同様。