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「大首飾り」は武四郎と飯炊き男が作った説?・・・令和の大首飾りプロジェクト

2022年02月06日 09時23分04秒 | ぬなかわヒスイ工房
現存する「大首飾り」と同じアングル写真。
でかいから全体を俯瞰撮影するのは大変だし、色とりどりでもあるから白系・黄色系・茶系の布地に変えて、各玉類が最もバランスよく見える背景色は?と二日がかりの撮影。
 
大森貝塚の発見で知られるモース博士が、「好事家として有名な松浦武四郎を訪ねて古代の遺物を見せてもらった時、武四郎は召使いに命じて鍵のかかった大きな木の箱を持ってこさせ、中から珠をたくさん繋げた大きな首飾りを出して、十字形の飾り台にかけて見せてくれた」と日記に書き残している。
 
来客があると特製の飾り台に「大首飾り」をかけて見せていたようだが、時には首にかけてあげたこともあったのではないだろうか。
そんなことを繰り返していたから、全体で3キロ前後もある「大首飾り」の自重に柔らかい滑石製の勾玉が耐えられず、紐孔が裂けかけていたのですな。
 
モースの日記には召使いとあるが、江戸・明治時代の職種でいえば、口入れ屋から派遣される飯炊き男ではないか。
 
養子が早世して妻にも先立たれて家族運には恵まれなかった武四郎は、身辺の面倒を飯炊き男にみてもらっていたようだから、晩年は経済的に豊かで、悠々自適の暮らしをしていたことがうかがえる。
 
なにやら主人と飯炊き男が主人公の古典落語「化け物つかい」「権助提灯」「試し酒」を連想してしまうが、実は武四郎宅の飯炊き男が器用な釣り好きな若い男で、武四郎は「大首飾り」製作の手伝いをさせていた・・・と、微笑ましい光景を空想をしている。
 
72歳で亡くなる直前まで険しい大台ヶ原を登山していたほどの武四郎といえども、年齢的には老眼であったことだろう。したがって細かい作業の「大首飾り」製作は武四郎だけでは流石に難しく、若くて手先の器用な製作助手がいたのでは?という疑問と、飯炊き男の存在からの空想ですわ。