喜劇王チャーリー・チャップリンが、共産主義者として50年間もFBIの監視下にあり、保守系キリスト教団体からも弾圧を受けていたというNHKのBSドキュメンタリー番組「チャップリン対FBI 赤狩りフーバーとの50年」を視聴。
ビートルズも同じ扱いを受けていたが、チャップリン映画から共産主義を感じとる感覚が理解に苦しむ。
チャップリン演じる「放浪紳士チャーリー」は、無国籍の放浪者である前提条件ゆえに国籍や民族、イデオロギーなどに帰属意識を持たない誇り高い自由人と私には感じられるのだが・・・。
彼が唯一帰属するとすれば、それはリベラリズムと社会的弱者に寄り添うヒューマニズムではないか?
チャップリンの言葉では「私は世界市民」なのだが、皮肉にも自由の国を標榜するアメリカ社会の半数と権力者たちは、ついに彼のリベラリズムを理解しえなかった。
語彙的にリベラルは保守の対義語ではないはずなのだが、真に自由な人に接すると拒絶反応を起こしてしまうのがアメリカの保守なのですねぇ・・・。
「イージーライダー」では、バイクに乗ったヒッピーを「気に食わねえ」というだけで市民が殺害してラストとなり、「ランボー」では道を歩いていただけのベトナム帰還兵を「気に食わねぇ」というだけで警官が逮捕拘留、そして暴力を振ることが話の発端となる。
チャップリンも「気に食わねぇ」とアメリカから追い出され、ついにはスイスに安住の地を見つけた。
極端な全体主義と異端を排除することを是とする社会は、共産主義、ナチズム、アメリカ式の保守主義も程度の差こそあれ、やることに変わりがなくなるのかねぇ。