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今日は母の「命日」である。
52歳3ヶ月で逝ってしまった。
その時の事があまり良く、覚えていない・・・
あまりに、喪失感が激しくて、記憶が途切れている感じだからである。
入院してからたった、4ヶ月の闘病だった。
手術をする事も出来なかった。(肝臓の大部分に転移していたので)
たくさんありすぎて、母への思い。
とにかく楽しかった。
母が太陽だった。
トンチンカンで、おっちょこちょいで、優しくて、公平で、聡明・・・だった。
ある意味母が亡くなった後の父は「余生」だったのではないかと。
一番先に行ってはいけない人が、逝ってしまった。
人生そんなものかも知れない。
奥さんでもっているような、コワモテの男に限って妻に先立たれる。
主人は私がいなくても、何とか生きて行くと思う。
むしろいなくても、大丈夫かも・・・
昨年暮れ父が突然亡くなり、父の長かった余生は終わった。
母がやっと迎えにきたのかも。
父の教え子でもある寺の住職が、先に逝った人が迎えに来て極楽浄土に導いてくれる、と言っていた。
だから、父も母がちゃんと迎えに来て待っているのだと。
安心した。
今年の命日は心安らかに迎えることが出来た。
昨日がお母様の祥月命日だったのですね。
52歳で逝かれてしまったなんて、早すぎますよね。
麗心、辛かったでしょうね。
私はすぐ親に頼ってしまう甘えん坊な娘なので 早くに母親に逝ってしまわれたら
もう毎日がブルーいやブラックな日になってふさぎ込んでしまっていたかもしれません。
昨年はお父様もお亡くなりになられて、
麗心さん、さみしいですね。
きっと、ご両親さまが麗心さんのことを何処かで見守っていると思いますよ。
ガンてコワイ病気ですよね。
私の父は肝臓ガンで本人は何の症状も出ない初期だったのですが
手術して2年後に脊髄に転移してしまい可哀相な最後でした。
あの時のことを思い出すと今でも涙が出てきます。
今年のご命日は安らかにお迎えできて良かったですね・・・・・・合掌
私も末っ子の甘えん坊だったので、母が亡くなった時は自分も一緒に消えてなくなりそうな気分でした。
私も母も肝臓病・・69歳でしたが、10年以上病気に苦しんで・・・父が支えていましたねぇ。
父と母は戦友みたいに見えるときがありました。
父が亡くなった時は、母と一緒に手を取り合って三途の川を渡っていく姿を頭の中で描いていましたっけ
生きてる人が思い出してあげる・・・って言うのが一番の供養になるような気がします。
麗心さんは、すごく優しい
いつかは親を送らなくてはいけないのですが、母の時はまだ私も若かったので、寂しさとかを通り越してポッカリと穴があいてしまった・・という感じでしたね。
でも、母が途中まで迎えに来てくれて、一緒に歩いて行ったと思います。
来年が私その歳、考えられない
本当に優しくて、明るいお母さんだったんですね、いつも麗心さんがお母さんの事にふれるたび思います
お母さんお父さんが麗心さん家族を見守っていてくれているんですね
麗心さんお母さんの分まで長生きできますよ
お母さんとお父さんが色々と応援してくれてるでしょうね
まだまだ若い私達
本当に、そうなんです。
父が亡くなった時、とても信じられなくてなんか、ボーっとしてました。
でも住職が母が途中までちゃんと迎えにきているから、
道を間違える事がなく極楽にいけるのだと。
私も父と母が仲良く歩いて行く後ろ姿を思い描いていました。
そして前にブログにザ・フォーク・クルセダースの「感謝」という曲を紹介しましたが、父と母がたくさんの人に感謝しつつ二人で「向こう」に歩いていく姿が見えるようでした。
娘達もいつも、心に思いながら写真を見ていると前に言っていました。
52歳は来年ということは、麗心より1歳若いのでしたね
私は今月23日がその52歳です。
人間は生かされているそうですから、その時までは生きようと思います(当たり前ですが)
さしてやりたいこともありませんが、毎日楽しく過ごしていますから「良し」としましょう
これからは、母が生きた歳を越してしまいます。
何事もあるがままに受け入れる事が平常心
数字が 麗心さんとご縁があって
母は6月23日に亡くなりました
2月16日入院 4ヶ月 肝臓癌でした
79才でしたが、まだまだ生きたいと思っていた母でした
私の母は祖母が迎えにきました
祖母は看病した私をいたわるようにして
母を連れ行きました
その時の様子を今もはっきり覚えています
その日の夜、母は私の手を握って逝きました
いつも見守ってくれてることを実感します
今回も毎朝、母に娘の安産を 早く歩けるようになることを
日々お願いしました
娘も少しずつ回復しています
麗心さん 生かされてもらってるって
感謝 感謝なんですよね
お久しぶりです
お忙しい中おいでくださって、感激です。
なぜか、とっても懐かしい気さえしますよ
本当になぜか、数字に「ご縁」がありますね。
6/23はびっくりしました。
こんなことってあるんですね。きっと私もrokoさんのお母様をここで巡り合った縁を感謝する日になると思います。そして52歳はrokoさんがお母様を亡くされた歳でしたよね。
守られていると本当に思いますね。
なんの心配もなく暮らしているというのは有り得ませんが
それでもよりどころとなる、「思い」に守られていると感じています。
両親も感謝して逝き、私達も両親に感謝して・・・
私は父がなくなった年に近づいています。なんだか不思議な気分ですよね。
母がずっと独り身でなぜ再婚しないのか?と尋ねたら「お父さんが一人ぽっちになっちゃったら可哀想だからだよ」と言っていたのを思い出します。
住職さんのお話を読んでジーンとしちゃいました。母はまだまだ長生きすると思いますが、いつかは父が母をちゃんと導いてくれるのですね。この世では短い夫婦生活だったのであの世では末長く幸せになって欲しいと思っています。
人はいつ死を迎えるか分からないですし、一日一日を大事に過ごさないとなぁといつも思います。残された方はつらいでしょうが、お父様お母様きっとあの世で幸せに暮らしてますよ!
私も今のうちに母親孝行たくさんしてあげたいです
そうでしたね。chae-pさんはもっともっと若くしてお父様を亡くされたんでしたね。
どんなにか、心残りだったでしょうね。
母は私がお産の時には絶対元気でいなくてはいけない、っていうのが口癖でした。
それは自分が私を産む時、実母がすでに亡くなっていたのでいろんな面で心細かったのでしょう。
こればっかりは、お義母さんにはわがまま言えませんものね。
長女、次女を産んで役目を果たしたかのように、亡くなってしまいました。そしてその52歳になろうとして母が
どんな思いだったのかと自分を見つめ、そこを乗り越えなくてはと思ってブログを書き始めました。
お父様はきっと、お母様が健康で長生きするように、守ってくれますよ、きっと。