By The Way 母の容態

2007-11-17 | 母のこと


 昨日はRed Hot Chili Peppersのアルバム“By The  Way”を何度か繰り返し聴いていました。

 昨日は宿直明けに早番という勤務で、二人ペアで主に入所者の水分補給等を担当する業務でした。
 ペアの先輩Oさんと雑談する時間もあり、お互いの家族の近況のことにも話は及びました。
 私の母は約2年の入院生活を送っていますが、Oさんのお父様も現在入院中で、その容態が思わしくなく、近々手術の必要があるとのことでした。
 私もOさんも休みの日はそれぞれの親に面会に行くこともあり、雑談の中ではそれぞれの親の話が出ることがあります。

 現在、私たちの職場は、介護職員が実質的に1名欠員という状態で、一人当たりの労働負担が重くなってきています。私も宿直明けや夜勤明けに母の面会に行くことが、正直なところ負担に感じていました。実際、最近は休日だけ面会に行っていました。
 ですが一昨日まで、昨日は宿直明けでも面会に行く気でいました。当日になってみて「やっぱり明日の休みの日に行こうか」と迷いも出てきたのですが、Oさんとの雑談がきっかけで、母のことが少し心配になり、最初の予定通り15時半の退勤後に病院へ向かいました。

 病室に入って驚いたのは、母が酸素吸入器を付けていたことです。こんな事態は入院以来初めてのことだったので、ナース・ステーションに行き、何があったのか看護師さんに尋ねました。
 看護師さんによると、母は一昨日に顔面が蒼白な状態になり、血中酸素濃度が低下したため酸素吸入を行っているとのことでした。体温も38度台で推移しているとのことです。
 今まで高熱が続いたことはあっても、酸素吸入まで行ったことはありませんでした。詳しい内容は担当のN医師に聞くように看護師さんに言われ、次はN先生を尋ねました。
 担当のN先生はとてもお忙しい方で、院内で先生を捕まえることがとても難しいのですが、幸い別のナース・ステーションにいらっしゃるのを見つけ、時間を割いていただき、お話を伺うことができました。
 「急変というか...こういう事態はいつ起こっても不思議ではなかったんだよ」
 「お母さんが発症してから2年...がんばっているんだよ」
 先生の説明は、危険な状態ではあるけれど、母の生命力をまだ信じている...そんな感じを受けました。

 クロイツフェルト・ヤコブ病の生存率というのは、発症から1年以上経つと20%を割るそうです。母はこの病気の平均値をはるかに上回る期間を生きています。先生も私も母の力を信じています。

 今にして思えば、やっぱり昨日の段階で面会に行けて、母の容態変化を早めに知ることができたのは幸いでした。Oさんとの会話が無ければ今日の面会になっていたかもしれません。Oさんには感謝です。

 病院への行きに車の中でかけた“ByThe Way”は帰りの車の中でも流しっぱなしでした。タイトル曲は1曲めですが何度か繰り返しました。
 以前、同僚Kさんが「レッチリの歌詞ってくだらないっすよね」と言っていました。彼女は、映画“デス・ノート”の主題歌にレッチリの曲が使われたことから主題歌2曲の歌詞の内容まで知っていたそうです。
 確かにKさんの言うとおり、くだらない、というか下品といった方が良いような歌詞が多いと思います。
 でも、彼等の楽曲を聴いていると、何故か落ち込んでいく気持ちが抑えられるような気がしてきます。前にも書きましたが、彼等の演奏、楽曲からは、生命力のようなものを感じるからでしょうか。
 帰りの車の中では、来年の施設のライブでアルバム・タイトル曲“By The Way”を採り上げる計画を考えていました。
 

Comments (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伯父の戦記_58_カタツムリの... | TOP | メトロノーム »
最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
お母様のことが気にかかりますね (ルイママ)
2007-11-18 10:55:30
仕事をしながら、休日や早番の時は病院へ・・・
私も経験があります。
正直言って・・・心配もありながら、自分が疲れているときは、つい、病院をサボりたくなったりしていました。決して、心配じゃないわけじゃないんですよね
毎日、付きっ切りで看病は不可能だし・・・。
私は、自分の父親が入院しているときに、父親は
腎臓が悪く、週に三回の人工透析が必要でした。
入院前は、自分で病院へ通っていましたし、そこの病院は、ベットにテレビとか?があったみたいで、割と自由のきいた病院で、入院した病院は・・・凄く厳しく、今まで自由がまかり通っていた父親は、言うことを聞かない患者だったみたいで
私が、パートを半日終えて、原チャリで府中まで必死に通い、付くや否や・・・看護士さまより
ガミガミ・・・・泣きたくなりました。
なんでこんな怒られるために・・・・って
父親を怒鳴ったりしたときもあります。精神的に、参っているのに・・・そこの病院は・・・。少し配慮が欠けていたようにおもう。
入院するときから、そこの病院って・・・あまり感じの良くない雰囲気でした。でも、救急病院ら転院を余儀なくされたので、何件かの病院を回り府中の病院へと。
本当は、立川よりにしたかったのだけど、小金井の親戚が「遠いといかれない」というので泣く泣く・・・
現状は、父の兄嫁さん以外は、五ヶ月間の入院生活中
一度もお見舞いに来なかったのだけれど。

病人を抱えているのは大変だと思います。
これからも、お母様の生きるという力を信じて
大変だけれど、お母様に逢いにいって上げてくださいね。
音楽~は良くわからないけど、ノンさんを励ましてくれているんですよね。



返信する
ルイママ様へ (non_B)
2007-11-19 10:42:08
お仕事もされて、家事もなさって、その上でお父様の看病というのは大変なことだったでしょう。
お疲れさまでした。

病院によっては、看護への姿勢や方針がずいぶんと違いますね。職員の資質の問題もあるかもしれません。
私の母は、2ヶ所の病院で入院生活を送っていますが、いずれも暖かく接してくださっています。それは家族にとっても感謝しなければいけないと思います。
患者やその家族に厳しくあたる病院というのは、ちょっと前時代的な印象を受けてしまいますね。

病院への行き来の車の中でレッチリの曲を流していなかったら、相当メゲていたかもしれません。
励まされるというか、母の面会が普通に過ごせるように気を紛らわしてくれているような感じです
返信する

post a comment

Recent Entries | 母のこと