昨年のお彼岸明けの頃の母は、急速に痴呆症状が進行していました。この頃はまだ普通に歩行できる等、身体能力は通常どおりだったのですが、金銭の計算ができなくなったり、昼夜の感覚がずれてきたり、感情が不安定になって不安を訴えたりといった状態が現れていました。
針式の掛け時計をじっと見つめる母が「時計の見方が判らない」と訴えることもありました。ただ、携帯電話が表示するデジタル表示の時刻は判るようで、この頃からしばらくは母が携帯電話を手放さなくなりました。ただ時刻を知るためだけに...そして母は折りたたみ式の携帯電話を数分毎にパカパカと開閉するようになりました。それは時間が判らないことに強烈な焦りを感じている様子でした。
10月に入ってからは、私が不在になる時などに、私の従姉が来訪して母を見守ってくれることもありました。母とその従姉は仲が良く、一緒に出かけたり、母は自分で作ったお味噌や梅干しなどを従姉にあげたりしていました。
仲の良い従姉と過ごしていた母は気持ちが落ち着けたと思います。一緒に散歩に連れだしてくれたり、ご飯を作ってくれたり、とてもよく母の面倒をみてくれました。
従姉も居ないとき、ホームヘルパーの方に母の見守りをお願いしたのもこの頃です。まだこの頃は感情が不安定になりがちだった母も、暴れたり、大声をあげたりという行動は見られなかったので、ホームヘルパーの方へのお願いも正に「見守る」だけに止まっていました。
ホームヘルパーさんを派遣してくださった介護センターの責任者の方から、母は「鬱病」かもしれないと言われたのはこの頃でした。
その方のお母様が鬱病に罹り、快方に向かったお話を伺いました。私の母の状態がお母様の症状と似ていたことからお身内の例をあげて、私の母も鬱病なら必ず治るから、と励ましてくださいました。
在宅介護をしながら通院を繰り返しており、かかりつけのクリニックの紹介を得て、ある病院で初めて脳のMRI検査を受けたのもこの頃でした。検査結果をかかりつけの医師からそのデータをもとに説明を受けましたが、その先生は脳神経科の専門医ではなかったので、地域の脳神経科がある総合病院を紹介されることになりました。
MRIの検査結果は大きなフィルム状が数枚にわたるものでした。検査の担当者の方がデータに添えて「ヤコブ病の可能性がある」とコメントされていました。もちろんMRIのデータだけで判断すべき病気ではありませんから、これ以後も別の病院を転々と受診することになりました。
MRIの検査を受けたのは東京・西東京市にある「佐々病院」でした。発症例が非常に稀で、まだ発症間もない母の症状からこの病気の可能性を見逃さなかった検査担当の方はとても優秀な方だと思います。
この検査結果を伺って、私は「ヤコブ病」のことを調べ始めました。調べてみると、絶望的なことばかりが書かれています。ヤコブ病のことが気がかりになりながらも、母が「鬱病」か、高齢者特有の病気であって欲しいと願っていた頃でした。
画像は本文とは関係ありません。「幸せが逃げていきそうな色の」アンプ()と古いタイプのストラトキャスターを一緒にしてクラッシックな楽器の雰囲気を出そうと思ったら、愛犬が「僕も撮って...」とばかりに写りこんできたところです
ま、音が良ければ問題無いんですけど。
とりあえず、やたらと機材が充実していて羨ましいです。
介護の専門職とはいえ、ご自身のお身内となるとさぞ大変であったとお察しいたします。
ごく普通にオートモードで撮っただけでっす。
ちょっと焦点が合っていなかったみたいだけど
でも、ホント音はこのクラスでは優秀なものだと思いますよ。
サイズはギターと比べてもらうと分かりやすいでしょう。
機材の充実ったって、長く続けているうちに増えてしまったものがほとんどだよ。一番古いのは、四半世紀前のものだもんね
生理的な問題や道徳的な問題から、母が発病するまでは、介護職である自分が、親の介護は、しずらい、できないだろうと漠然と思っていました。
母が発病してからは、日々変化する母の容態に追われ、そんな躊躇する気持ちは無くなっていました。
母の在宅介護に関しては、あと数回書く予定でいます。重たい話が続いてしまいますが、おつきあいいただければ幸いです。