母を在宅介護していた頃 5

2006-10-01 | 母のこと


 昨年の10月の初旬に地域の総合病院で受診した帰り、昼食を食べるためにファミレスのデニーズに行きました。母には既に痴呆症状が現れており、自分が何を食べたいのか判断がつかなくなっていました。
 私が母に魚料理の和定食を勧めて、お膳に載せられたその和定食がテーブルに運ばれてきたのですが、母はなかなか手をつけようとしませんでした。箸を右手で持って、お椀を左手で持つ、というような基本的な動作に戸惑っている様子でした。私が見本を見せてみるのですが箸を上手に持てません。仕方なく店員さんにスプーンを持ってきてもらい、和定食をスプーンで食べました。
 気力・体力が衰えて食欲がわかないということもあったと思いますが、食事作法がわからなくなってしまったことから、母の食事摂取量はこのころから大きく減っていきました。
 母と外食をしたのは、このデニーズが最後だったと思います。

 10月以降、家での食事も工夫が必要になりました。最初のうちはごく普通の献立でしたが、食欲・食思が進まない母のために、なるべく消化がよく、食べやすいものを考える必要が出てきました。そして自力での摂取が難しくなり、介助が必要となりましたが、その介助にも抵抗することも増えていきました。
 抵抗していた理由は私たちには伺いしれませんが、食事時以外でも部屋にあるものを散乱させたり、意味不明な言葉を発したりといった不穏な行動をとることが多かったのもこの時期です。

 調理方法も食材を普通のものより小さく刻んだり、ご飯をお粥にしたり、という段階を経ていったのですが、中旬になると固形物を咀嚼することが難しくなっていました。お粥とスープといった献立から、さらには液体状のものしか飲み込めなくなるまで衰え、26日に入院する時点では、母が私の介助で口にできたのは飲料の「カロリーメイト」だけでした。

 この頃、母の知人の方たちもお見舞いに来てくださったのですが、その方たちから、「ちゃんと食事しているのかしら?」、「これじゃ可愛そうよ」といった言葉を聞くのが辛かったです。

 衰弱が進む母といくつもの病院を受診して回って、やっと都立神経病院に入院することができたとき、入院した日から鼻腔を経て栄養剤を摂ることになりましたが、やっと身体に必要な栄養を摂ることができる環境に移れたことから本当に救われた気がしました。
 以前の稿でも書きましたが、診察してくださったI先生が入院を即断してくださったことに心から感謝しています。

 画像は本文とは関係ありません。古いものを整理していたら、1979年にVAN HALENが来日公演を行った際のパンフレットが出てきました。その中の見開き写真を撮ってみました
 右端に写っているEddie Van Halenは白地にランダムな黒のラインが入った初代(?)「フランケン・ギター」を手にして、子供のような表情で弾いています

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2 Comments

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こんいちは!! (わややドン)
2006-10-01 13:43:11
始めまして!!

ブログ村ランキングINおめでとうございます!!同じくブログ村からご挨拶に伺いました!!

面白そうなブログですね!!また遊びに来ますね!!今日はこの辺で!!

ジャンルは違いますが、よかったら遊びに来てくださいね!!

ではポチッとして帰ります!!
返信する
わややドン様 (non_B)
2006-10-02 00:26:11
初めまして。

コメントありがとうございます。

わややドン様のブログも拝見しました。

「為替ブログ」のジャンルですね



ポチっとしていただこうにもバナーを貼らなかったので、押していただけなかったかもしれません。

わややドン様の方へはポチっとしておきました
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