こころ煌くとき[CARPE DIEM」

日々心の煌く時,写真を通して公開していきます。

もっと高みへと心は動く・・・アコンカグア

2019年11月18日 19時26分22秒 | 山旅










何も食べないまま黙々と下りていたのだろう、2000m位で猿と目が合った。自然界をなめるなと感じた。気が付くと三角屋根のゲートが見える。終点だと思った。最終ゲートまでの樹林帯を見ながらアフリカを脳裏に刻むべく歩いていると、樹林帯から突然現れた幼い少女が10円玉を差し出した。何故日本円を持っているのか、未熟者の私にはその時解らなかった。マラングゲートに到着するとメンバーは誰もいなかった。ガイドも・・・近くの売店でキリマンジャロビールを飲み干すうちにメンバーが着く。登頂記録をセレモニーで受けとってホテルに向かう。何か空気が抜けたタイヤの様。夕食も乾杯をよそに自室へと。やはり高山病の影響は肝臓を含め内臓に来ていると感じた。その後国立公園を見て回り映画ハタリの場所に訪れるも上の空、高峰へ向けてどうすべきかを考え続けていた。そしてカラパタール、エベレスト街道へと・・



長い道のり・・・試練のキリマンジャロ

2019年11月17日 20時03分35秒 | 山旅








約束の石を写真に収め、山頂にそっと置いてくることを誓って写真に自らを写し込む。
そこに見えたと思った道のりは長く黙々と歩み続けた。
所々に登山者が寝そべっている。
下山してくる人たちの中に見たことのあるアジア人だと目を向けると
ホロンボハットで日本人ということで会話をした親子、その会話の中で2回目だと言った。
息子は20歳前後、流暢に英語で欧州人と話していたのが印象的だった。
早朝に出発した親子は登れず引き返したとのことだった。
一瞬、不安がよぎる。更に彼方から西部劇を思わせる砂ぼこりを巻き上げながら近づいてくる一団に出くわす。
日本でいう大八車には人が寝かされていた。かとおもうと20歳くらいの単独行と思われる白人女性が嘔吐している。
標高は4000mを超えていた。そんなことに驚きながら4700m程のギボハットに到着。
高所順応をするべく5100m程まで空身で登る。
緊張していたのかあまり身体に感じるものはなかった。
軽い食事をして深夜の出発に備える。
メンバーは歓談していたが、一人外に出る。
寒い・・・夕日が沈むころ気温が下がり始めた。でもご褒美は5000mを超えるマウェッジ峰の雄姿。
深夜1時に出発した。ギルマンズポイントが午前7時頃、この時身体の異変を感じる。しかし約束の石をウフルまで、との思いで只ひたすら登った。
山頂近くで吹雪となり眼鏡に雪が張り付く。
サミットで写真に納まったことは覚えている。嬉しさのあまり駆け出してしまった。ギルマンズポイントからの下りで足が止まってしまった。
ギボハットまで現地ガイドリーダーが付き添ってくれた。良く下りられたものだと今でも信じられない。
ハットでは持っている衣類すべて着込んでシュラフに潜り込み只ひたすら寒さに耐えた。
数時間後先発のメンバーに心配をかけながら富士山の標高まで歩いたらしい。
ホロンボハットではそのまま倒れ込み、翌朝声を掛けられるまで眠っていたようだ。
これが高山病の恐ろしさだと帰国後知る。

眠れない感動の夜空・・・言葉なく心かようガイドとの時間

2019年11月15日 20時10分43秒 | 山旅










富士山に近い標高に来て、こんなに広い空間があるのだと思った。
そしてこれからは未だ味わったことがない世界。
ハットは京都からのグループと一緒だった。
夕食もそこそこにアフリカの大地を見たくて外に出る。キリマンジャロが大きすぎるのかジャイアントセネシオが目に付く光景。
明日に備えて寝床に着く。
目が覚める。扉を開けるとライトなしでよく見える。空には満天の星。あまりの明るさに夜が明けるまで岩に腰かけて見惚れていた。雲海に朝日が昇る光景に思わず歓声。
そばにガイドが居ることも知らずに、心配でそばにいたことを日本人ガイドから聞かされる。
明るくなってポーターが食事の準備に忙しく動き回っているのを見ていたが心を揺さぶる光景に酔いしれていたように思う。
この日は高度順応を兼ねて4300m程の所までのトレッキング。
そこはゼブラポイント。キリマンジャロがその大きさと広がりを見せる場所。
知人との破れない約束。それはこの小石と一緒の写真を・・とのことだった。その小石には名前と絵が描かれていて理由を聞くこともなくスーツケースに。
帰国後あっという間に天国へと旅立った。
写真を四つ切にして手渡した時の笑顔は忘れることが出来ない。


樹林帯を越えた先には

2019年11月14日 19時52分48秒 | 山旅














マンダラハットの一夜はあまり記憶がない。薄暗い長いテーブルで朝食をとる。
樹林帯に囲まれた空間から早く壮大な景色を求めていたのだろう。
所々で樹林帯越しに見える岩峰に心を取られていた。
樹林帯を抜けると景色は一変、一気にアフリカの赤い大地を踏みしめる。その広がりに息をのむ。
このコースの概略はゲートからマンダラハットのまでが8キロ程
標高は
マラングゲートが故郷の神さんの山に近い1970m程
最初の宿泊地マンダラハットの2700m程を経て次のホロンボハット3720mを目指す。
12キロ程の行程だけれど右に5000mを超える岩峰を見ながら遥か彼方に雪をかぶるキリマンジャロを見ながらの時間はあっという間に過ぎ去っていった。
突然黒い三角屋根の小屋が現れる。
ホロンボハット。


キリマンジャロ 期待と不安を胸に

2019年11月11日 20時00分24秒 | 山旅

朝食もそこそこに、期待と不安を胸にマラング村へ・・・
谷あいの木に包まれた静かな村だった。未舗装の道を速度を落として走っていると子供たちがモンキーバナナのような小さなバナナを手にもって近寄ってきた。愛くるしい目に見惚れながらやり過ごす。後日下山後に知ることとなる。











暫く車の揺れに身を任せていると車は止まった。降りてしばらく歩くと日本でもよく見る三角屋根。下山後もここに来るわけだけれど、登ることに気持ちが向いているのか国立公園への入山手続きが長いことに苛立ちを感じたことを覚えている。独立峰としては世界一の標高を誇る山だけに最初は樹林帯の中を只ひたすら・・・登るよりも歩く。この時に至る所で休んでいる歩荷の人々を見た。この人たちの顔は挨拶をするには暗すぎると感じた。



樹林帯の隙間から見えていた霞の様な山容に身震いしながら最初のハットに着く。周りは木を刈り込んでいるが視界は無く。多くの登山者が思い思いに寛いでいた。


キリマンジャロ 初めての海外登山 タンザニアに向けて

2019年11月09日 20時20分53秒 | 山旅




思い起こせば
40代で登山を始めて10年程が経った頃
20代初めにヨーロッパ一人旅を思い立った心境と似ているな
と今振り返って思う。
大手ツアー会社に電話してカタログを送ってもらった。
宮仕えの身で年末年始と有給休暇を合わせても11日間が精一杯だった。
2005年、年末、関空で京都からの参加者と合流
東京からの参加者更にガイドと合流すべくオランダ、スキポール空港に向け飛び立つ。
スキポールは小雪の舞う氷点下2度の世界だった。
東京からの便が遅れていることから宿泊予定のホテルで待つことに・・・
熟睡できない一夜が明けて
翌日、キリマンジャロ国際空港に向け飛び立つ
途中、アルプスの白銀の山々を見ながら
一人旅の時にシャモニーからロープウェイで登ったモンブランを探してみたものの無理だと悟った。
太陽が西に傾きかけた時、眼下に砂漠が広がっていることに驚き
窓から食入る様に眺めた風景は
大河が遥か彼方まで地球のひび割れのように続いていることだった。
ナイルだと今も信じてやまない
夢中で写真に収めたと思ったがピンボケで全滅。
暗くなり始めたので、うとうとしていると機体が大きく揺れ、目が覚める。
眼下には少しだけ明かりが見え機体が高度を下げ始めて空港だと思った。
しかし風の影響からか数回着陸を試みた後、
揺れながら着陸した時は頭が真っ白
生きた心地はしなかった。
出迎えの車に乗り込み明かりの全くない道路を只ひたすら2時間、所々に微かな明かりにたむろしている人影以外漆黒の世界が広がっていた。
数時間の浅い眠りから覚め、写真のホテルの風景と子供に会うことが出来た。

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