我が母校は 「化成小学校」 2014年06月27日 16時41分56秒 | 街角から 日暮らし通信 街角から■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■東村山市立化成小学校母校の門前にて● 写真の上でクリックしてご覧ください ●昨日は私の通院日だった。 終わった後は駅前のスーパーで買い物の予定だが、懐かしい場所を見たくなって道を迂回して訪れてみた。 その場所とは 「東村山市立化成小学校」 、私の母校だ。 まず目に入ったのは広い北側の校庭。丁度休み時間なのか多くの後輩が思い思いの動きをしていた。 だが昔は校庭の北側には二階建の校舎があったが、今は無く広々としている。 それとこの学校のシンボルのような存在だったのがその校舎と本校舎を繋いだ50メートルもあったと思われる通称 「長廊下(ながろうか)」 があったのだが今はそれもない。 また本校舎がある場所より校庭は低い場所にあったので階段とスロープ状の坂があったが、今はその高低差はあまり感じられない。 その後正門前でこの写真を撮ったが、もう昔の面影は全く無い。 当時は正門から入ると、目の前は広い校庭があり、左側には講堂、着き当たりには職員室、右側には本校舎があった。 今は正門から右側の近い距離に校舎、着き当たりにあるのは体育館だろうか? 当時は門扉などは無かったが、今は突発的な事故に備えて鉄の扉が閉まっているのは寂しいような正門の姿だった。 この 「化成小学校」 が開校したのは明治8年 (1875年) 1月、多摩地区では最も古い学校らしい。 私が卒業したのが昭和27年 (1952年) 3月だから77期生になるだろうか? 在校中の想い出はたくさんあるのだが、今でも忘れないのは講堂で行われた寒い日での卒業式のこと。 司会の先生から私の名前を呼ばれて直立不動の姿勢で立っているこの私、小学校の時は意外と成績が良かったのです。 「成績優秀者」 として貰ったのは当時誰も持っていなかった長めの算盤(そろばん)でした。 想い出すと懐かしい。あの頃は先生には威厳があって怖かったけど、優しさを生徒に分かち合う気遣いも忘れてはいなかった。 特に忘れられないのは5、6年時の担任の先生、本が好きでよくシェークスピアの 「ハムレット」 などを読んで聞かせてくれた。 その先生の影響で私も読書が趣味になりました。 私が小学生の頃は物質的に貧しい時代でしたが、振り返るといい時代でした。 食べる物が無くても人々の温もりが感じられた時代でしたから。 久しぶりに母校の門前に立つと、昭和と言う時代はそれなりに価値のある時代だった、と私は想った #暮らし « 朝刊の 「人生案内」 に思う | トップ | 妻が見つけた花一輪 »
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