日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

昨夜も夢を見ました

2014年12月18日 15時19分05秒 | ひこうき雲


写真説明: 着陸寸前のボーイング767型機 (全日空)
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毎夜、必ず夢を見るが、目が醒めるとどんな夢だったか? は殆どは憶えていない

好きな航空機の夢もたまには見るが、いつも現実ではありえない事ばかりだ

例えば4発エンジンの航空機が空中で停止して動かず、乗っている私が凄く心配して外へ飛び出そうと慌てている夢などもあった

昨夜もまた不思議な夢を見た

それは空港で 「マーシャラー」 と私が大きな航空機を誘導している夢だった

 「マーシャラー」 とは航空機を駐機スポットに誘導し、停止線と呼ばれる位置に停止させる業務をする人の名称

その夢では地上でマーシャラーと私が並んで前方に見える航空機を誘導しているのだが、さっぱりその航空機がこちらに進んでこない

私が ”どうしたんだあ~” と叫んだ途端に夢が終わった

もう少し続きが見たかったのに、と少し残念な夢だった

現実にはマーシャラーの誘導技は凄いらしいです

それとビルの10階ほどの高さからその誘導に従って機体をコントロールする機長の腕もたいしたものです

以前撮った写真からその技をちょっとだけご紹介しましょう




写真説明: マーシャラーが機長に信号を送っています
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全日空のボーイング767型機 (機体記号: JA8971) が羽田空港C滑走路に着陸しました

これからはマーシャラーが駐機場の停止線へと誘導します

このマーシャラー、後姿や髪の毛の束ね方からして、どうも女性のようですが、今では空港の現場で働く女性の数も増えてきました

両手に持ったパドルで機長と機体の位置の微調整を行います

 ”格好いいですね!!!”



写真説明: 停止位置までもう少しです
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停止線にだいぶ近付いてきました

よく判りませんが、マーシャラーは右側にいる整備士さんからのシグナルも見ているようです

この整備士さんも女性のようです

200トンもある機体、機長はだいぶ高い位置から操作しながらよく進めるものです

もう縦方向はしっかりと線上に載ってきました




写真説明: 機体が停止しました
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機体がマーシャラーが望んだ位置で停止しました

見てください、素晴らしい停め方ですね

 ”お見事!!!” と、声を掛けたくなりました

このマーシャラーは裏方の仕事ではあるが、航空機の離発着には必要でとても大事な仕事です

航空機の着陸後、約1分間で航空機を停止線に完全に止める必要があるため、冷静な判断力が要求される職業と言えます

また出発直前の飛行機に、エンジン始動の合図を送っているのもマーシャラーのミッションとのことです

でもマーシャラーになるにはかなりハードな関門があるようです

でも私、あまりマーシャラーのことを知っている訳ではありません

もっと知りたい方はネットで ”マーシャラーとは” と入力して検索してください

この四枚の写真は平成20年11月26日、羽田空港・第二ターミナル展望デッキから撮影したものです

この日は快晴。ここまで来た甲斐があって、たくさんの航空機の写真を撮り満足しました




信じられない事が起きた

2014年12月14日 07時09分02秒 | ひこうき雲

世の中では ”信じられない事” や ”とんでもない事” が起こるが、それも世の常なのであろうか?

だが実際にそんな事が現実にアメリカ・ケネディ空港で起きた。その内容は?

某国の某航空会社の機内で、乗客としてファーストクラスに搭乗していた同社の女性副社長が、客室乗務員のサービスに不満を抱き、離陸のため滑走路に移動していた旅客機を一旦搭乗口に戻し、責任者を機内から降ろしていたことが判明した

旅客機は遅れて離陸、約250人の乗客には遅延の説明がなかった

との内容だが、離陸直前の航空機が搭乗口に引き返すのは極めて異例のことだ

機体・エンジンのトラブル、または急病人のためならまだしも、個人の感情に左右されての引き返しだったら、極めて問題でこの女性副社長はどうもこの旅客機を自家用機と間違えていたのだろうか?

しかし航空法では機長が乗務員の監督権限を持っているはず、副社長という役員の立場を利用した 「越権行為ではないか」 と批判が起こるのは当然のことであろう

またこの空港の管制官も何故、離陸行為を中止して搭乗口に戻すことを認めたのであろうか?





さ~て、こんな行為、日本人から見たら ”くらだない行為” だと思う人が多いかも知れませんね

こんな馬鹿げた行為、日本人だったら絶対にしません、と私も思います

でもこの女性副社長にとって幸いだったのは、その席がファーストクラスだったことです

実は私も妻とあのジャンボ機のファーストクラスの席でフライトを経験しています

もう超豪華なレイアウトです

同じスペースですが左右の二席だけで、後は空間です

そんな席模様ですから、もしその時、他のクラスの席だったら、副社長と客室乗務員とのやり取りが聞こえたから、もっと激しいパッシングがあったとことでしょう





私がどうしても興味を持てないのがこの某国

先日、テレビ放映で東京のホテル業者の苦言を聞きました

それはホテルの部屋に常備してあるケトルでラーメンを作って食べる人がいるそうです

そんな行為も日本人だったら、まず考えますよね

ホテル側でも掃除するそうですが、その臭いが取れないので廃棄するしかないようです

そんなことする人の国の名前はやはり某国でした

平成4年、妻とその某国へツアー旅行でバスに乗りました

スピードが出ているので、どの位か? と、運転席の速度メーターを見たら ”ビックリ仰天” なんと針はゼロを差していました

速度計が故障しているようでした

この国の交通機関の安全管理はどうなっているのか? と、もう某国は危険そのもの、絶対に行きたくなりました




その女性副社長は全ての役職を辞したようだが、当たり前の話しだ

だが某国では容疑者は晒し物、多くの報道陣に囲まれ、野次馬からは激しい罵声の連呼

また、日本人と比較したくなった

そんな時、日本人はやはり違うはず、そんなにいじめはしないだろう

やはり日本人に生まれてよかったと実感した




   写真説明: テイクオフするB747型機 (大韓航空)
   撮影場所: 第二ターミナル展望デッキにて(羽田空港 H201029 撮影)



飛べ ”ブルーインパルス”

2014年11月03日 13時49分15秒 | ひこうき雲

今日は 「航空自衛隊・入間基地航空祭 2014」 が開かれましたが、首都圏で開催されるものとしては最大規模の航空祭で、飛行機ファンにとっては待ちに待ったエベントです

今日の天気は曇ったり、晴れたりで、少し雲が低いように見えました

私もかつてはこの航空ショーには欠かさず行ったのですが、今はあの凄い人数 (昨年は約32万人が訪れたとか?) の雰囲気に体のセンサーが対応せず、行くのは止めています

このショーの目玉は何と言っても航空自衛隊の誇る 「ブルーインパルス」 のアクロバット飛行ではないでしょうか

 「ブルーインパルス」 については山ほどの話題があるのですが、今日は 「日暮らし通信・航空ショー実行委員会」 主催の 「紙上航空ショー」 をご覧ください


























 「ブルーインパルス」 が使用している機体は、航空自衛隊・中等練習機T-4です

この機体には二基のターボファンエンジン (F3-IHI-30) が搭載されていますが、私は在職中にこのエンジンとは開発段階から携わってきました

飛行機好きな人でも写真のようにエンジンだけを見るのはあまりチャンスがありませんが、このような航空祭だと身近で見ることができます




 写真説明: 入間基地航空祭
 撮影場所: 航空自衛隊・入間基地 (H201103 撮影)




私の初飛行

2014年09月27日 16時11分52秒 | ひこうき雲



いつも園内を歩きながら必ずこのC46輸送機を見て、そしてまた歩く

病後の妻のリハビリを兼ねて散歩する場所を
この公園に決めたのはいろいろと理由もあるが
歩きながら必ず好きな飛行機が見えることが私の気に入ったことは確かだ

中学生の頃、飛行機の虜になった

それから今日まで、飛行機に憧れ、大空に夢羽ばたいた気持ちを持ち続け
時が過ぎた今でも中学生のままのようにその憧れは変わることはない





このC46輸送機を見ていると、ふと始めて飛行機に乗ったことが想い出される

憧れた飛行機だったが昭和30年代にはまだ乗るチャンスなど思いもよらなかった

そこで会社の先輩に 「飛行機に乗りたい」 と話してみると
航空機整備会社に勤める友人の整備士に相談してくれた

すると整備後の試験飛行でよければ乗ることができるとのことで、私の願いも叶うことになった

飛行機であれば試験飛行でも遊覧飛行でもどちらでもいいですと
安易に考えていたのだが後に少し悔むことになる





さて、当日の客室内搭乗者は先輩、同僚、ご婦人とそのご子息、そして私の五人だけだった

搭乗機は全日空の 「コンベア440メトロポリタン」
この機体は当時の旅客機としてはもっとも高性能なレシプロ機で
客室与圧装置が装備され 「離着陸時に耳が痛くならない」 と評判となった

今まで飛行機は見るだけだったが、案内された客室を見てその立派さにびっくりした

羽田を離陸、遠ざかる地面を眺めながら
東京湾の波間がどんどんと離れて小さくなっていく様は圧巻だった

もう感激しながらルンルン気分で空の旅を楽しむつもりだった





そんな気分の私たちの思惑など関係無く、ある高度に達すると
機は決められた試験項目を実行し始めた

機は上下、左右に機首を振り
時には機体後部を振る、いわゆる ”ダッチロール” などに姿勢を変え
時にはスピードを上げたり、下げたりとあらゆる変化を機体に与えて
整備後の機体に異常が無いかチェックするのだ

こうなると飛行機に始めてのお客さんに影響が無いはずがない
窓に顔を押しつけるように外を見ていた人もシートに身を預けてだんまりとなり
中には気持ちが悪くなった人もいたようで顔は真っ青になってしまった
勿論CAなど居ないから、自らそれを我慢するしかない

機体はそんなお客にお構いなく ”ミッション続行中” で
いつ終わるか判らないそのミッションの終了を願うしかなく
始めて経験した ”飛行機酔い” の悪夢に翻弄されていた

まだまだエピソードもあるのだが、これくらいにしておこう

でもやっと羽田に着陸した時は皆さん、すっかりと ”普通の地球人” になっていました

 ”飛行機酔い” も地球に帰ればすぐ直ります、安心しました





ここで少し説明が必要なのですが
 ”飛行機酔い” になったのは四人で、私は別に何とも無かったのです
初飛行を楽しんだのは私だけのようでした

飛行前に ”私の住んでいる所まで飛んでください” とリクエストしましたが
その願い通り、パイロットは霞ケ浦から多摩湖上空まで飛行したのです

この初飛行、私はそれなりに感銘し、ますます飛行機への関心が高まりました

今から想えばその当時は良い時代でした
整備後の飛行で機体に(おもり)代わりに私たちを乗せてくれるなんて
今では考えられることではありません

この私の初飛行、いつのことだか定かではありませんが
全日空が 「コンベア440メトロポリタン」 を運航したのは
昭和34年10月から39年11月の間だから
この初飛行もそんな時代であることは確かです

そんな昔に私も飛行機に乗ると言う、生涯忘れられない想い出を貰いました
私にとっては素晴らしい初飛行でしたが
私の体は ”飛行機酔いしない” ことが実証されてその後に大いに参考になりました





公園でこのC46輸送機を見る度に
 ”飛行機はいいなあ~” と思いながら
歳を重ねても気持ちはいつも大空に向って飛び立っている


    写真説明: C46輸送機を撮る
    撮影場所: 所沢航空記念公園 (H260927 撮影)




 「とかち帯広空港」 へ

2014年09月01日 15時14分33秒 | ひこうき雲


かつて毎年、秋になると必ず妻と道東 (北海道) を訪れていた
目的はあるイベントに参加することだったが
何と言っても私の楽しみは飛行機に乗れることだった

しかし妻が病気してからは遠出はできなくなった
最後の道東行きから9年が過ぎたが
アルバムを(めく)るたびにその当時が懐かしく想い出される
その九年前撮ったスナップを整理してみよう

その日の乗機はエアバスA300 (JAS JA8473) で
行き先は 「とかち帯広空港」 へ 

A300にはGE社製のCF6エンジンが二基搭載されているが
当時、このエンジンは私が勤めていた会社でオーバーホールされていた




  写真説明: エアバスA300 (JAS JA8473)
  撮影場所: 第二ターミナル展望デッキ (羽田空港)


朝の羽田空港はラッシュ気味

タキシング中の機内から見ると後続機がぞくそくと繋がっている




  写真説明: 朝の駐機場
  撮影場所: タクシング中の機内から>


離陸して間もなくするとベルトサインが消えた

機はレベルフライトに入った

機体右側から見ると
日の丸と機体登録番号 (JA8374) が見える




  写真説明: 機体右翼を見る
  撮影場所: 飛行中の機内から


機は着陸モードに入り、グングンと高度を下げている

眼下には襟裳岬が見える




  写真説明: 襟裳岬を見る
  撮影場所: 飛行中の機内から


無事に 「とかち帯広空港」 へ着きました



  写真説明: 駐機整備中の機体
  撮影場所: 空港ロビーにて


こんな珍しいことも見ました
整備士さんがコクピットの窓ガラスを拭いています

ローカル空港での長閑のどかな整備風景です




  写真説明: 只今、機体整備中です
  撮影場所: 空港ロビーにて


無事、羽田に帰ってきました

時間は夜の8時前ですが
空港内は煌々こうこうと照らされてまだまだ活き付いています




  写真説明: 夜の駐機場 (羽田空港)
  撮影場所: タクシング中の機内から


あれから29年 (日航ジャンボ機墜落)

2014年08月12日 11時57分48秒 | ひこうき雲
日暮らし通信

■□ 写真タイトルと撮影場所 □■

着陸するボーイング747 (JAL)

第二ターミナル展望デッキにて

(羽田空港)



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●




昭和60年8月12日、日本航空123便 (ボーイング747-100型機 JA8119) が、羽田空港を18時に離陸、その12分後から32分間の迷走飛行の末、群馬県多野郡上野村の山中に墜落、搭乗員524名中520名が死亡した

旅客機の単独事故としては、世界でも最大の犠牲者数を出した事故であった

私にはこの事故が人生の中でも忘れられない想い出となっている

そのニュースを最初、何処で聞いたか?
私は隔離された病室のベッドの上で、10インチくらいのソニー・テレビでそのニュースを知った

私は6月過ぎから総合病院で療養中であった
4月、会社の定期健康検診で病状が判り、即入院することを余儀なくされた
 「入院しなさい」 との宣告は私には ”死” と同じように打ちのめされた冷たい言葉だった

この入院は私だけで止まらず、家族にも大きな負担を掛けることになった
特に妻はそれなりに見えない苦労を一身に引き受けて良く対処してくれた
今でもそれを忘れたことはない

特効薬のお陰で病状も良くなった頃だったので、このニュースは衝撃的だった
翌日、墜落のニュースが更新される度に私の気持ちは揺れ動いた
あのジャンボ機が墜落するなんて? とても信じられないことだった

今日はあの日から29年目、犠牲者のご家族には簡単に時の流れを許せたであろうか?
 「あの事故がなければ?」 と誰もがこの永かった日時を涙したに違いない

航空関係者は 「日航ジャンボ機墜落」 の言葉を想い出す度に520名の死を無駄にしてはならない

幸いにも私はその年の11月末に退院した
だが私の人生史には 「入院」 と 「ジャンボ機墜落」 の出来事がはっきりと刻まれている

多くの犠牲者に心から哀悼の誠を捧げます   合掌





7 の不思議

2014年07月27日 13時37分28秒 | ひこうき雲




   写真説明: テイクオフする Boeing 777 (JAL JA773J)
   撮影場所: 第二ターミナル展望デッキにて (羽田空港)

今年は航空機事故が多発、整理してみると

3月8日 マレーシア航空370便 (ボーイング777型) がタイランド上空で消息を絶ち、行方不明

7月17日 マレーシア航空17便 (ボーイング777型) がウクライナ東部のドネスクで墜落 (撃墜?)

7月23日 台湾の高雄発復興航空機 (ATR72型プロペラ機 機体番号:B-17008) が澎湖島の空港付近に墜落

7月24日 アルジェリア航空機5017便 (MD83型機) が消息を絶って行方不明

と立て続けに事故が起きている

ところで上記4件の事故で日付以外の内容を見ていると、私は妙に引っかかることがある

それは私の勝手な推理だがどの内容にも ”7” の数字が含まれていることだ

単なる偶然の重なりあいであろうが、私は不思議なことだと思っている

それにしても多くの方々が亡くなられ、それを取り巻くご家族の悲しみは頂点に達している

その悲しみに対して、心から哀悼の意を捧げます



なぜこんな悲劇が

2014年07月20日 20時58分17秒 | ひこうき雲



写真説明; JA757A (ANA B777 通称トリプルセブン)
撮影場所: 第二ターミナル展望デッキから (羽田空港)

この文章は私の深い悲しみと憤りの中で文字を綴った、しかし怒りは納まっていない

マレーシア航空機 (写真と同型機) がウクライナ東部上空で撃墜された
なぜ民間航空機が撃墜されたのだろうか?
だが原因は明らかだ
誰かが、または何処かの組織がミサイルを撃って撃墜した
でもそのミサイルはそう簡単に操作出来る訳ではない
ある高度の訓練を受けた者が操作した可能性があるから大国の援護が垣間見える
テレビニュースで見る墜落現場の様子は悲惨そのものだ

その現場で明らかに残っているのはエンジン部品だ
今の機体外板は軽いから簡単に悲惨する
だがエンジン部品は強固だ
熱に強い合金を使用しているから簡単には飛び散らない
テレビの画面にはエンジン部品であるタービンやファンブレードが映っていた

この写真と同型機が1万六百メートル上空で撃墜された
おそらくは乗員乗客は瞬時に自らの意思を失ったことだろう
またこの機体には多くの幼子が同乗していた
そんな(むご)いことをした加害者が許される筈が無い

ただただ犠牲者の皆さまに哀悼の意を捧げます   合掌


F4ファントムの想い出 (其の三)

2014年07月09日 17時07分10秒 | ひこうき雲


好きな飛行機のことを発信します



  写真説明 : 展示中の F-4JE
  
  撮影場所 : 航空自衛隊入間基地
  


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F4は昭和43年、航空自衛隊の迎撃戦闘機 (F-4JE) として選定され、その搭載エンジンである J79-IHI-17 が国産化されることになり、45年10月には1号機が防衛庁に納入された。

私は41年3月からは自衛隊の F-104J の搭載エンジンである J79-IHI-11A の運転部門でテストに従事していたが、この J79-IHI-17 も初号機からテストに参加した。

私が出会った最初の欧米系エンジンが J79-IHI-11A だったが、それまでにテストした国産の J3 エンジンとは違って、当時最新鋭のアフターバーナー付きターボジェットエンジンだった。

J79-IHI-11A と J79-IHI-17 との違いは多々あるのだが、この両者からは多くを学ぶことができた。

だが数えきれないほどのエンジンをテストしたが、その時は緊張の連続だった。

ある上司からは安全に仕事するには 「いつも緩やかな緊張を持て」 とアドバイスされたが、その通りの 「緩やかな緊張」 だったのかもしれない。

しかし、もうどれもこれも遠い昔の想い出の中に活き続けている話しである。





F4ファントムの想い出 (其の二)

2014年07月09日 11時50分38秒 | ひこうき雲


好きな飛行機のことを発信します



  写真説明 : タキシング中のF4Dファントム
  
  撮影場所 : 横田基地 (1967年頃撮影)
  


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ベトナム戦争中、横田基地には二つの戦闘飛行隊が配備されていたが、一飛行隊は12機編成だから24機のファントムが常駐していた。

そのお陰でこの基地ではお馴染みさんのように毎日F4ファントムを見ることができた。

ある時、この基地だけの小規模なエアショ―を行ったことがあった。

基地内を見ていたら次から次へとファントムが現れ、テイクオフするため数珠つなぎのようにタキシングするのは見事な光景だった。

それを数えたら何と23機、このような多くの戦闘機を一堂に見たのは後にも先にもこの時だけだった。

その後は四機づつでテイクオフして編隊飛行があり、青空を縦横に飛び交っていたのは素晴らしい眺めだった。

でも24機のはずだが、あと一機はどうしたのだろうか? 

だが良い話ばかりではない。

ある時、テイクオフ後エンジン不調で基地北側の小高い丘に墜落したファントムがあった。

昼休み、私はその事故現場を見に行ったが、MPに 「野次馬は駄目!!」 と言わんばかりに追い返された。

 「私はファントムファンです。パイロットのご冥福をお祈りに来ました」 とでも懇願すれば見せて貰えたかもしれないが、それを英語で話せないので諦めました。

当時の横田基地には所謂(いわゆる) 「センチュリーシリーズ」 と呼ばれるF100 (スーパーセイバー),F101 (ヴードゥー)、F102 (デルタダガー)、そしてF105 (サンダーチーフ)などの機体もやって来ましたが、今、想うと飛行機ファンにとっては夢のような機体ばかりでした。

この写真は保管状態が悪かったので不鮮明だが、写真からスキャニングした画像です。






F4ファントムの想い出 (其の一)

2014年07月08日 20時28分36秒 | ひこうき雲


好きな飛行機のことを発信します



  写真説明 : テイクオフするアメリカ空軍のF4Dファントム
  
  撮影場所 : 横田基地北側 (1967年頃撮影)
  


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最近写真を整理していたらこの写真を見つけた。

実は転居する際、大失敗があって多量のネガ、写真などを紛失してしまったので、この写真は貴重品だ。

私は昭和41年3月、横田基地に隣接する工場へ転勤となったが、嬉しかったのは飛行機の写真が間近で撮れることだった。

当時終業は16時、まだ日が高いので一仕事できそうな早じまいだった。

仕事が終わるとソレッとばかり、望遠レンズ抱えて基地の北側へ直行 (その頃、私はスバル360に乗っていたのです)、そこは飛行機を撮るには絶好の場所、ランディングするパイロットの顔が見えるほどの近さだった。

当時はベトナム戦争の真っただ中、横田基地には2戦闘飛行隊 (24機編成) のF4ファントムが常駐していた。

この写真は1967年 (昭和42年) 頃、横田基地北側で撮影したものです。

その頃は当然白黒写真、高感度フィルムは市販では買えず、私は知人に頼んで Tri X と言うASA400のフイルムを切り売りで買っていました。今では考えられないフィルム事情でした。

航空自衛隊でもF4を採用しましたが、その機体には J79-IHI-17 と言うアフターバーナ付きターボジェットエンジンが二基されています。

昭和40年代、私はそのエンジンを毎日のようにテストしていました。

テストで圧巻なのはアフターバーナの作動チェック、アフターバーナ・レンジにスロットルレバーを進めると排気ダクト後方にに見事なダイアモンドコーンが発生、その炎の幻想的な色合いにいつも感動していました。

航空自衛隊では一部のF4がまだ現役で活躍していますが、私がテストしたエンジンが今だに使われているなんて夢のようです。

お詫び:
昨日、同じ内容で投稿しましたが、一部タグの表記に誤りがありましたので訂正して再投稿しました。






T4中等練習機とエンジン

2014年06月22日 20時12分52秒 | ひこうき雲

日暮らし通信
■□ 撮影場所 □■

航空自衛隊入間基地にて



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T4中等練習機


T4に搭載されているエンジン




飛行機好きな人でも搭載されているエンジンのことに興味はあまり湧かないだろう。

逆に私は機体を見るとまず 「どんなエンジンが搭載されているのか?」 とあくまでもエンジン優先の飛行機好きである。

それは私が永年ジェットエンジン関連の仕事をしてきたので当然のことかもしれない。

空港で見る機体でのエンジンはカウリングと呼ばれる外板で覆われているから中身を見ることはまずないことであり、辛うじて見えるのはエンジン入口のファンブレードくらいであろう。

実際に裸のエンジンを見る機会は少なくて、航空会社の整備部門を見学するか、自衛隊などの航空ショウなどで展示される以外にはお目にかかれないのが実情でもある。

ここで私がかつて 「航空自衛隊入間基地航空祭」 で撮った資料を参考に機体とエンジンを見比べてみましょう。

写真左はジャッキアップ中のT4中等練習機、中央日の丸左側の空洞のような部分がエンジンインテークになります。

この機体には写真右と同様のエンジン (F3-IHI-3) が二基搭載されています。

あのブルーインパルスの機体もT4中等練習機と同じですから、航空祭で人々を圧巻する曲技飛行の数々もこのエンジンパワーによって成り立っています。

でも私はこのエンジンには開発初期から携わったことがありますから懐かしさが募ります。

エンジンと機体は一心同体です。その二つがいつも仲良くフルパワーを出して飛んでいる姿は最高です。

そんな姿を見ると私はやっぱり飛行機が大好きです。





逆推力装置 (スラストリバーサー)

2014年06月10日 20時44分49秒 | ひこうき雲

日暮らし通信
■□ 撮影場所 □■

第二ターミナル展望デッキ (羽田空港)


● 写真の上でクリックしてご覧ください ●



  着陸前


  着陸後




飛行機の話になると時々質問されることがある。

機体の専門家ではないが、少し答えさせてもらおう。

それは 「機体が着陸した直後、背中がシートに押し付けられるような感じになって機体が急減速するのは何故か?」 との質問だった。

その状態がいわゆる急ブレーキで、この機能を ”逆推力” とか ”スラストリバーサー” と言っている。

飛行中ターボファンエンジンは後方に加速された空気を排出し、その反動で推進力を得ている。

 ”逆推力” はその理論に逆らって後方に排出する空気をエンジンに前方方向に排出してしまう装置である。

飛行中 (下写真左側) に示すようにエンジンは白いカウリングで覆われている。

着陸時、パイロットがあるタイミングでスロットルレバーを逆推力位置に引くとそれに連動してカウリングの真ん中辺り (下写真右側の中央・黒い部分) のドアーが開き、後方に流れていた空気を外側に排出して出力を減ずるようになっている。

この装置が作動すると瞬間的に出力が減じて機体にとっては急ブレーキとなる。

この写真は私が羽田空港・C滑走路で撮影したANA・B747型機です。

でも私の答えは完全ではありません。

ターボファンエンジンには 「低バイパスエンジン」 と 「高バイパスエンジン」 があって、それぞれ ”逆推力装置” が根本的に異なります。

飛行機好きな人だったらかつてのDC8型機やB707機を想い出してください。

その両機、今の航空機と比べるとエンジン直径が細いことに気付いたはずですが、逆推力装置もこの写真とは全然違います。

私はたくさんのターボファンエンジンのテストを経験しましたが、エンジン工場ではエンジン出力として逆推力の確認はしますが ”逆推力装置” は機体部品なのでテストは行いません。

それと逆推力付きのエンジンは ”アイドル位置” から手前にスロットルレバーを引くと逆推力レンジに入ります。

でもこれでは納得できる答えではなかったかもしれませんね。

でも皆さん、今度飛行機に乗った時、着陸時は私のブログを想い出してください。




飛行試験の想い出

2014年05月29日 21時23分58秒 | ひこうき雲
日暮らし通信

■□ 写真タイトルと撮影場所 □■

エンジン飛行試験

日本海上空にて



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妻と所沢航空記念公園を散歩していると上空にジェット音が聞こえてきた。

間もなく青空を横切るように航空自衛隊のC-1輸送機が見え始めた。

迷彩塗装を施したC-1輸送機が大きくターンして遠ざかっていく、入間基地へランディングするのであろう。

C-1輸送機には忘れられない想い出があるが、その証拠が写真のC-1輸送機1号機。

これは開発中の 「大型ターボファンエンジン」 (写真では左側のエンジン) の空中性能確認をするための飛行試験で、日本海上空でのスナップである (1984年2月飛行)。

この機体内にはデータ取得のため多くの計測器などがセットされ、十数名の計測員が同乗していたが私もその中の一員だった。

その時の写真をベースに作ったのが私の 「アマチュア無線用のQSLカード」 で、下側左が私のコールサイン、右が妻のコールサインです。

今、振り返るとこの飛行試験は楽しかった。好きな飛行機で、飛行しながら仕事をするなんて毎日が夢のようでした。