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最近写真を整理していたらこの写真を見つけた。
実は転居する際、大失敗があって多量のネガ、写真などを紛失してしまったので、この写真は貴重品だ。
私は昭和41年3月、横田基地に隣接する工場へ転勤となったが、嬉しかったのは飛行機の写真が間近で撮れることだった。
当時終業は16時、まだ日が高いので一仕事できそうな早じまいだった。
仕事が終わるとソレッとばかり、望遠レンズ抱えて基地の北側へ直行 (その頃、私はスバル360に乗っていたのです)、そこは飛行機を撮るには絶好の場所、ランディングするパイロットの顔が見えるほどの近さだった。
当時はベトナム戦争の真っただ中、横田基地には2戦闘飛行隊 (24機編成) のF4ファントムが常駐していた。
この写真は1967年 (昭和42年) 頃、横田基地北側で撮影したものです。
その頃は当然白黒写真、高感度フィルムは市販では買えず、私は知人に頼んで Tri X と言うASA400のフイルムを切り売りで買っていました。今では考えられないフィルム事情でした。
航空自衛隊でもF4を採用しましたが、その機体には J79-IHI-17 と言うアフターバーナ付きターボジェットエンジンが二基されています。
昭和40年代、私はそのエンジンを毎日のようにテストしていました。
テストで圧巻なのはアフターバーナの作動チェック、アフターバーナ・レンジにスロットルレバーを進めると排気ダクト後方にに見事なダイアモンドコーンが発生、その炎の幻想的な色合いにいつも感動していました。
航空自衛隊では一部のF4がまだ現役で活躍していますが、私がテストしたエンジンが今だに使われているなんて夢のようです。
お詫び:
昨日、同じ内容で投稿しましたが、一部タグの表記に誤りがありましたので訂正して再投稿しました。
ミノルタSR1 私が初めて手にしたフィルム
一眼・・それが今の趣味になっていると思います
当時のものはASA100でたまに結婚式などの
写真家係を引き受けるときだけ400を・・
高いフィルムと現像に・・いつも慎重に撮っていた
当時が懐かしく思い出されます
その頃は一眼レフカメラを持っている人は珍しく、多くはレンズシャッターカメラでした。
私はあの電球のストロボが大好きでした。使った球を捨てると子供が拾っていましたが、私も小さい頃は拾いながら「いつかは俺もあのようなストロボで」と、夢見ていました。
当時は安月給なのによくも写真に熱中したと想い出します。
フィルム代、現像代、プリント代と結構お金が出ていきました。
今はデジカメに転向しましたが、昔と違って一度に何百枚もとれますから世の中も変わったものです。
それとパソコン、こんな便利な道具が出てきたなんて、これまた夢のようです。
ところで台風8号は関東地方に影響がありそうで、金曜日ころが要注意みたいです。