古寺巡礼日記

有名無名な古寺・名刹めぐりの貴重なる記録

「近江西国三十三観音霊場」を結願しました

2012-12-26 10:58:09 | 日記

琵琶湖を取り囲んだ近江路に広がる観音霊場。一千有余年の歴史を今に伝える近江西国
三十三観音霊場は、豊かな自然に抱かれて建つ古刹ばかりで、霊場の中でも貴重で人気
のある霊場です。
今年発願し、あと3ヶ寺を残していましたが、師走押し迫るこの時期に「何とか年内に」との
思いから、ついに結願に至りました。西国三十三観音霊場と一部重なっていますが、この
日近江西国3ヶ寺を含め計5ヶ寺を巡拝し、年内の巡礼はこれが最終となりました。
多くの人に支えられ、無事に今年も終えることが出来る幸せに感謝しつつ、巡礼の旅を終え
ました。今後も古寺に関する、①信仰、②仏像、③寺院建築物、④庭園、⑤寺院文化財など
の情報、話題などを採りあげ、自分なりの感覚でブログを仕上げたいと思っております。
ブログを始め約半年の初心者ですが、今後ともご支援ご教示の程宜しくお願い致します。
今回のうち3ヶ寺について記録します。





  < 第3番札所 石光山 石山寺 / 上・山門、下・源氏の間 >

聖武天皇の天平19年(747)の創建。本尊は如意輪観世音菩薩で、秘仏の為33年に一度
の御開帳。本堂は滋賀県最古の木造建築で、平安時代の内陣に桃山時代の外陣を増築し
たもの(国宝)。
風光明媚な石山寺は王朝貴族に愛され、平安時代には石山詣でが流行し、紫式部がここで
「源氏物語」を構想したとされ、今も「源氏の間」が残されている(今の建物は後世のもの)。



      < 第4番札所 三井寺別所 近松寺 / 本堂 >

創建は古く平安時代、三井寺の開祖智証大師の教法を慕い、三井の悲寂を愛した五大院
安然和尚が練行、入寂された地と伝えられ、のち延喜4年(904)に「近松寺」となる(近松
寺は三井寺五別所の一つ)。
浄瑠璃、歌舞伎作者として著名な近松門左衛門もこの寺で修業し、寺名から名前をとった
とされる。



< 第6番札所 比叡山 生源寺 / 山門 >

この寺は比叡山を開いた伝教大師が生まれた所で、後に寺が建てられ生源寺と名付けら
れる。ご本尊は十一面観世音菩薩で慈覚大師作と伝えられる。
境内には伝教大師の「産湯の井戸」や、伝教大師の高弟であった別當大師光定を祀った
「別當大師堂」などがある。


 

 


師走の京都・古寺に詣る その2

2012-12-23 16:41:06 | 日記

今回の京都古寺参拝の主たる目的は、「洛陽三十三観音霊場の今年の満願」のほか、今
一つには「建仁寺参拝」にありました。一か月前の賑わいは何処へやら、嘘のような静寂さ
の中で、自分独り占めの誠に落ち着いた参拝が出来ました。同時に建仁寺が持つ多くの仏
教文化に触れることが出来、充実の時間を持つことが出来ました。
ちなみに、「東山 建仁寺」は臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師で鎌倉時代の建
仁2年(1202)の開創。
建仁寺の見どころを数か所記録します。



             < 東山 建仁寺 / 法堂 >

明和2年(1765)上棟の法堂は、仏殿兼用の「拈華堂(ねんげどう)」で、禅宗様仏殿建築
の代表的なもの。天井には平成14年(2002)創建800年を記念して「小泉淳作画伯」筆
の双龍が描かれている。双龍図は迫力があり見もの。



     < 東山 建仁寺 / 庭園・潮音庭(ちょうおんてい) >

建仁寺本坊中庭にある潮音庭は、中央に三尊石、その東に座禅石、廻りに紅葉を配した枯
淡な四方正面の禅庭になっている(現代の庭師北山安夫氏の作)。堂内に居ながらにして、
四季の風情を感じ取ることが出来る。



      < 東山 建仁寺 / 玄関の衝立・「大哉心乎」 >

玄関の衝立の句「大哉心乎」は、建仁寺開山の栄西禅師「興禅護国論の序」の句で、「大い
なるかな 心や」と読み、「ここにいるだけで こころ静かに自らと向き合える」との意味で、他
に「人の心は 本来自由で大らかである」とも解釈されている。実にいい言葉である。



         < 東山 建仁寺 / 「平成の茶苑」 >

開山栄西禅師は禅宗臨済宗の宗祖と知られているが、同時に中国から茶種を持ち帰り日本
での栽培を奨励し、喫茶の法を普及した「茶祖」としても知られている。
写真は創建800年を記念して植樹栽培した、平成の覆い下茶園と「茶碑」。

 


師走の京都・古寺に詣る

2012-12-22 10:25:41 | 日記

今年の暮れも押し迫るこのとき、本年最後の京都古寺参拝に出掛けました。今年も何度京
都を訪れたことか、数えきれません。京都古寺のうち、洛陽三十三観音霊場については、こ
こ数年毎年1回は必ず結願するのですが、何故か今年は33ヶ寺のうち5ヶ寺が残ってしま
い、何としてもとの思いで出掛けました。
同霊場5ヶ寺の他、建仁寺、八坂神社を参拝し、今年の京都を終了しました。日本の平和と
発展、お世話になっている多くの方々、それに家族の幸せを祈っての参拝でした。感謝。
洛陽観音5ヶ寺のうち2ヶ寺について記録します。



 < 第28番札所 壬生寺中院 / 上・壬生寺山門、下・千本仏塔 >

壬生寺は正歴2年(991)、快賢僧都の創建であるが、札所となっている中院は、寛永年間
(1624~1643)に本良律師によって創建される(中院は壬生寺の塔頭)。壬生寺と言えば
新撰組ゆかりの寺としても知られているが、他に厄除け開運に聞くと言われる「壬生狂言炮
烙割」は有名である。
寺の隣地に新撰組屯所跡があり見学できる他、その地には「屯所餅」で有名な和菓子の「京
都鶴屋」さんがあり、訪れる人は多い。「屯所餅」が日本茶に合う。



     < 第17番札所 蓮華王院(三十三間堂) / 本堂 >

長寛2年(1164)、平清盛が後白河法皇のために院政庁である法住寺殿の一角に蓮華王
院を建立した。蓮華王院の長大な本堂には、千体の千手観音像が居並び、その中央に「中
尊」と呼ばれる千手観音坐像(国宝)が鎮座している。
120mに及ぶ本堂もそうであるが、一千体の金色の観音像がほの暗い堂内を埋め尽くす光
景の荘厳さは誠に見事であり、小生にとって、京都における名刹の中でも、特にお気に入り
の一つである。中でも「中尊」、二十八部衆像、風神・雷神像が素晴らしい。


 


「近江西国三十三観音霊場」・第5回の巡礼

2012-12-19 17:30:23 | 日記

滋賀県下にある近江西国三十三観音霊場のうち、今回は甲賀、湖南地区へ第5回の巡拝
をして来ました。4年前に、旧東海道を東京・日本橋から、京都・三条までウオーキングで踏
破した折、この地区を通過し多くの名所旧跡と出会いましたが、今回大変懐かしく、再びこ
の地区の文化に触れることが出来、誠に満足なる旅となりました。
今回は8ヶ寺をお参りし、累計30ヶ寺。残るは3ヶ寺のみとなりました。
印象的な3ヶ寺について触れておきます。



   < 第29番札所 福生山 櫟野寺 / 山門から本堂を望む >

天台宗総本山延暦寺の末寺で、かっては甲賀六大寺の筆頭と言われた寺院。創建は延暦
11年(792)、本尊は十一面観世音菩薩。坂上田村麻呂が祈願に訪れたことでも知られ、
「いちいの観音」として親しまれている。
門前の石造千体観音像、山門左の推定樹齢千年の櫟木、それに坂上田村麻呂が奉納し始
まったとされる、奉納相撲の相撲場など見所多く、寺全体としても重厚感と威厳を感ずる。



        < 第31番札所 寿亀山 正福寺 / 本堂 >

寺史によれば、用明天皇の代(585~587)に聖徳太子が建立。もとは天台宗であったが、
室町末期に兵火で焼失し、寛文6年(1666)僧実堂が現在地に再建して臨済宗に属する。
俗に「北向き観音」と称するが、本当に北を向いていた(数少ない)。
段上に形良い仁王門を構え、本堂は入母屋造り、屋根は銅板葺きと、庭園を含め境内が
整然とした構えになっており、実に落ち着いた雰囲気を醸し出している。



       < 第33番札所 雲照山 妙感寺 / 庭園 >

妙感寺は南北朝時代、大本山妙心寺第二世微妙大師(授翁宗弼)によって創建(臨済宗妙
心寺派)。元亀元年(1570)に織田信長の焼き討ちにあったが、万治年間(1660頃)に愚
堂国師によって再興される。
方丈庭園が美しく、青々とした竹林を背景に静寂とした佇まいの枯山水庭園で、左奥にある
不老の滝も見どころの一つ。
住職からご親切に、色々とご説明をいただいた。感謝、感謝。

 

 


「遠州三山」へ待ち望んだ参拝

2012-12-17 14:33:52 | 日記

1000年余の歴史を誇る静岡県「遠州三山(①可睡斎、②法多山、③油山寺)」に、今一度
自分を見つめ直す機会と捉え参拝して来ました。
遠州三山は、①心と体の健康、②災害を防ぐ祈りの場、と言われていますが、四季ごとに彩
を映す三つの古刹の歴史と文化に触れ、忘れかけていた自分の何かを求めて来ました。
可睡斎で納経の折、住職より直々に有難いお説教を賜り、「禅宗、特に臨済宗と曹洞宗それ
ぞれの求める仏の道」など、多くの質問にも親切に教示いただき感激の思いでありました。


          < 秋葉総本殿 可睡斎 / 本堂 >

可睡斎は600年前の応永8年(室町時代初期)に、如仲天禅師によって開創した曹洞宗
屈指の名刹。東海道の禅の大道場として、また我が国唯一の火防守護、秋葉信仰の総本山
として知られている。
十一代住職・仙麟等膳和尚と、浜松城主徳川家康との「可睡斎の由来」にまつわるエピソー
ドは、余にも有名である。
住職自らのご朱印は、余りにも達筆でかつ美しく、100倍、1000倍の価値あり。

           < 法多山 尊永寺 / 本堂 >

法多山は奈良時代に聖武天皇の勅命により、行基上人が聖観世音菩薩を安置したのが始
まり。高野山真言宗に属し、由緒ある「厄除け観音」として知られる。
法多山名物「厄除だんご」が有名で、13代将軍家定の頃、江戸登城の土産に添えられたと
伝えられている。
お腹の空き加減もあったが、とても美味しかった。当然ながら土産も忘れない。

 < 医王山 油山寺 / 三重塔・慶長16年(1611)・重要文化財 >

大宝元年(701)に行基が創建し、油が湧き出したことから「油山寺」の名がつく。その後、
特に目の守護、眼病平癒のお寺として信仰を集めている。真言密教の古刹で、本尊は薬
師如来。境内は国指定重要文化財の山門や三重塔など、数多くの文化財がある。

遠州三山で唯一の三重塔であるが、盛観で凛とした姿は、古風な薬師本堂に対比し目に
映える。「桃山の三名塔」の一つと言われるが、これを見ただけでも訪れた価値があった。

 


可児市の古刹を巡るウオーキング

2012-12-15 09:51:36 | 日記

岐阜県可児市の兼山地区には、歴史上かかわりの深い寺院が幾多あり、今回はウオーキ
ングを兼ね4ヶ寺を訪ねました。
当地は木曽川、飛騨川沿いの風光明媚な地区で、過ぎし日の歴史を馳せながら、参拝に、
ウオーキングに多いに楽しむ事が出来ました。
ちなみに、JR古井駅をスタート、同じくJRの可児駅ゴールのコースをとり、歩行距離約13
Km、歩行数24千歩(ドアー・ツー・ドアー)。
2ヶ寺についてご紹介しておきます。

 < 仁慈山 小山寺(小山観音) / 上・遠景、下・川中の寺に通ずる架橋 >

美濃西国三十三観音霊場第29番札所で、臨済宗妙心寺派に属する。
木曽義仲が、生母の若茗御前を弔うため、飛騨川を小舟で渡ろうとした時、龍神が馬頭観
音に化身して風波を鎮めた。そこで義仲が中洲に祠を建てて祀ったのが始まりとされる。

飛騨川が木曽川に合流する辺りのこの地区は、国定公園に指定された県下有数の景勝地
で、川中に浮かぶ小山観音の姿は実に美しい。

           < 大龍山 可成禅寺 / 山門 >

臨済宗妙心寺派(岐阜県美濃地方から飛騨地方、南信州にかけては臨済宗が多い)。
織田信長の宿将として数々の武勲を立て、元亀2年(1571)に宇佐山(大津市)で戦死し
た金山城主・森三左衛門尉可成公菩提のため、その子二代城主長可公が父の名「可成」
をそのまま寺号とし、栄巌和尚を迎えて金山城東の寺が峰に創建した。
後、慶応5年(1600)に寺は現在地に移転され今に至っている。

この寺には、初代可成公、二代長成公の墓石ほか、歴史上有名な蘭丸はじめ、坊丸、力
丸三公の供養塔も安置され、訪れる人も多いと聞く。ただこの日は、人影もなく誠に静かで
あり、過ぎし日を偲ぶには誠に最良の日であった。

 

 


桑名市・海蔵寺の「薩摩義士墓所」を訪ねる

2012-12-12 12:48:52 | 日記

今回、三重県桑名市の海蔵寺にある「薩摩義士墓所」を訪ね、江戸時代の難工事で知られ
る、木曽・長良・揖斐三大河川工事にまつわる悲劇の事件を偲んで来ました。
さらに足を延ばし、桑名の名所となっている七里の渡跡、桑名城跡、そして文化財「六華苑」
を見学し、見どころ多い桑名を探索して来ました。



            < 法性山 海蔵寺 / 山門 >



           < 海蔵寺境内にある薩摩義士墓所 >

薩摩義士とは、当地方に度々水害をもたらした木曽・長良・揖斐三大河川の治水工事によ
る薩摩藩士85名の犠牲者の事で、これらの藩士と薩摩藩の犠牲の上で、油島(岐阜県海
津市)の堤防には数千本の松が植えられ、現在も千本松原と呼ばれ偉大な功績跡を残す。
海蔵寺には工事終了後、大幅な予算超過と多数の藩士を失った責任を負い、切腹した奉
行・平田靱負の墓碑を中心に24義士の墓がある。

理不尽な幕府の命令、少ない予算、過酷な労働条件など、さぞ悲惨で苦難であったかと想
像するに、時代は違えど大いなる同情を禁じ得ない思いであります。無念。
(参考図書として、「孤愁の岸」・杉本苑子・講談社文庫 / とても苦しくて辛い本です。)



             < 六華苑 / 洋館と和館 >

「六華苑」は、山林王と呼ばれた桑名の実業家、二代目諸戸清六の邸宅として大正2年に
竣工。一万八千㎡余の広大な敷地に、洋館と和館、蔵などの建物群と、「池泉回遊式庭園」
で構成された、創建時の姿をほぼ残している貴重な遺構。平成5年に「六華苑」と言う名称
で一般公開、平成13年に国の名勝に指定される。

建物も洋館、和館それぞれ特徴的な存在感を持ち、庭園も建物に合わせ、趣の違う景観が
楽しめる。実にスケールの大きい、実に落ち着いた、素晴らしい邸宅跡である。
(偶然ながら、右端に魅力的な和服姿あり。)

 

 

 


京都、「嵐山・嵯峨野の名刹」を訪ねる・その3

2012-12-10 14:31:50 | 日記

今回の京都巡拝は、主たる目的である高尾「神護寺」を参拝後、東海自然歩道となっている

清滝川の渓谷・「錦雲渓」を歩き(7km)、嵯峨野に入り同地区の名刹を訪ねました。

風は冷たく顔を刺激しましたが、体は熱く、汗をかきながら心地よいウオーキングを楽しむ事

ができました。気持ちを統一した後の名刹巡拝は、誠に清々しい思いが致し、充実の時間を

過ごすことが出来ました。

ちなみに神護寺は、右京区高尾にある高野山真言宗の寺院で、山号を高野山と号する。又

開基は和気清麻呂、本尊は薬師如来。弘法大師(空海)が唐より帰朝して、14年間住持し、

後の東寺や高野山金剛峰寺と並ぶ霊刹とされる。

 

 < 高野山神護寺 ・ 金堂 / 昭和10年、山口玄洞居士の寄進 >

紅葉で余りにも有名なこの寺も、今では金堂付近も面影なし。

 

        < 多宝塔 / 昭和10年・金堂に同じ >

撮影場所が限られるとともに、雑木多く不本意な写真となる。

 

    < 仏塔古寺十八尊霊場のご朱印 / 同七番札所 >

同霊場めぐりは、これで11ヶ寺が済み、残り7ヶ寺となる。

 

 


京都、「嵐山・嵯峨野の名刹」を訪ねる・その2

2012-12-09 20:06:12 | 日記

京都の初冬を、嵐山・嵯峨野に訪ねる旅・その2。今回は紅葉のシーズンが終わった直後の

事もあり、何時も通過するばかりの天龍寺にも足を向けました。目的は①何と言っても「名勝

庭園」、②法堂の「雲龍図」、③庫裡玄関にある「達磨図の衝立」であり、このうち雲龍図の天

井絵は新しく加山又造画伯によって完成(平成12年?)されており、躍動する見事な龍を確

認できました(残念ながら撮影不可で目に焼き付けるのみ)。

ちなみに天龍寺は、臨済宗天龍寺派大本山で、正式名は雲亀山天龍資聖禅寺と称し、京都

五山の第1位の寺格を誇っている。

 

             < 名勝庭園 ・曹源池 >

夢窓国師による庭園は、国の史跡・特別名勝第1号に指定。

 

                 < 庫裡・玄関前 >

 

            < 達磨図の衝立 / 庫裡玄関 >

(残念ながら、反射がどうしても入ってしまいました)

それに致しましても、誠に魅力的で見入ります。また引き付けられます。


京都、「嵐山・嵯峨野の名刹」を訪ねて・その1

2012-12-08 16:27:42 | 日記

京都の紅葉で欠かせないのが、やっぱり嵐山・嵯峨野地区。毎年欠かさず訪れていますが、

今年は例年に比べ一週間も遅くなり、すっかりタイミングを逸してしまいました。しかし、名刹

は何処も小生の訪れを待っていてくれ、随所にその艶やかさを残していてくれました。

初冬の「散紅葉」を数か所記しておきます。

 

             < 高松山 祇王寺 / 庭園 >

元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至るが、平清盛の寵

愛を失った祇王が余生を送ったと言う、悲哀の寺として知られる(真言宗大覚寺派)。

竹とカエデに囲まれる庭は苔に覆われ、特に散紅葉のシーズンは苔とモミジとのコントラス

トが美しい(訪れた時は、残念ながら既に、落ちモミジの色が少し変色していた)。

 

            < 如意山 厭離庵 / 庭園 >

鎌倉時代初期の公家・藤原定家の山荘跡と伝えられ、江戸時代に入り、定家の子孫であ

る公家冷泉家が再興して寺とする(臨済宗天竜寺派)。

藤原定家が百人一首を編纂した小倉山荘跡で、秋の紅葉シーズンのみ公開(11/1~

12/7)。嵯峨野地区ではモミジが最も赤いとされ、知る人ぞのみ訪れる穴場スッポット。

今年の公開最終日に滑り込みセーフ、赤く染まった境内に感嘆ひとしきり。

 

       < 嵯峨野 竹林の道 >

嵐山の北東、嵯峨野は平安時代から貴族の別荘や庵が開かれた土地で、かって貴族が

愛したこの場所は、1000年を経た今日も人々に愛されている。竹林の中で最も有名なの

が、野宮神社から大河内山荘に至る道で(写真)、自然に溶け込む心地よさを味わうこと

ができる場所です。