古寺巡礼日記

有名無名な古寺・名刹めぐりの貴重なる記録

大垣市の「明星輪寺・彼岸花」

2013-09-29 20:47:08 | 日記

所用の帰路、折角のことゆえ予て気になっていました、岐阜県大垣市の明星輪寺へ彼岸花の観賞を
兼ね、参拝に立ち寄りしました。
明星輪寺は、東海地区、特に岐阜県にあっては彼岸花で有名で、山の上に位置する境内一帯に彼
岸花が咲き誇り、誠に鮮やかな光景を見せ、多くの観光客や参拝客で賑わっていました。
今回は、この明星輪寺の彼岸花についてきろくします。


     

     

       

            < 金生山 明星輪寺 / 写真は境内の彼岸花の風景 >

明星輪寺は、岐阜県大垣市にある真言宗の寺院で、本尊は虚空蔵菩薩。寺伝によれば、朱鳥元年
(686)持統天皇の勅命により役小角が開山。一時廃れるが、平安時代の延暦20年(801)、空海が
再興し、真言宗に改宗。桓武天皇により保護を受けたとのこと。
地元では「虚空蔵さん」と呼び、日本三大虚空蔵の一つとして信仰が深いようです。歴史、本尊の謂
れ、場所柄、それに「彼岸花」と特色があり、数多い寺院の中でも参拝者に支えられている寺院です。


愛知県西尾市の「茶どころ」を散策

2013-09-26 08:48:55 | 日記

今回は、小生が運営する講座の受講生さんによる、「野外研修会兼親睦会」に同行し、愛知県西尾市
の「抹茶の町・茶どころ」を案内し、散策して来ました。
稲荷山茶園公園→(株)葵製茶(抹茶工場見学・抹茶体験)→昼食・「魚寅」/ 碾茶めしセット→西尾市
歴史公園→尚古荘→みそパークまでのコースを、親睦を図りながら楽しくウオークしました。
日本茶の文化に触れることが主な目的ですが、十分にその目的を果たすとともに、会員相互の親睦が
さらに深まり、誠に充実の意義深い一日となりました。
今回は、この西尾市における研修会兼親睦会について記録します。


     

     

           

           < 写真 上・稲荷山茶園公園、中・抹茶工場、下・街中の風景 >

名産である西尾の抹茶は、禅宗の実相寺の僧が文永8年(1271)頃に栽培したと伝えられています
が、産業としての茶栽培は明治期に宇治より茶種を導入したことに始まるとされます。深い緑、上品な
香り、まろやかな味が特色で、抹茶の原料となる碾茶は現在日本一であります。  


半田市矢勝川の「彼岸花」を観賞

2013-09-22 15:28:59 | 日記

腰痛の再発から、少し運動療法のペースアップを図ることとし、最近はウオーキングに積極的に取り組
んでいます。今日は友人と共に、私鉄主催のウオーキングに参加し、愛知県半田市の矢勝川堤の「彼
岸花」を観賞して来ました。
JR半田駅スタート、雁宿公園→新実南吉記念館→矢勝川堤→半田赤レンガ建物→酒の文化館→JR
半田駅ゴールの9.3kmのコースでした。
今回は、この「矢勝川堤・彼岸花」を観賞するウオーキングについて記録します。


     

     

       

        < 矢勝川堤の彼岸花 / 写真は何れも矢勝川堤にて 2013.9.22 >

矢勝川堤の「彼岸花」は、新実南吉と同じ半田市に生まれ育った「小栗大造」さんと言う方が、壮大な
計画を思い立ち、自身の手植えで始めたものです。その後ボランティアの協力もあり、現在は約200
万本までに至りました。
そもそも小栗さんは、先の大戦、ビルマ・インパール大作戦で、多くの戦友や部下を亡くし、その弔い
で一つ一つ球根を植え、今日までに育てたと聞きます。美しい花の影に、今日の日本の繁栄の犠牲
となった方々を想うと、大変心を痛めるものがあります。

     


美濃加茂市山之上の「杉田農園・彼岸花」

2013-09-20 19:48:21 | 日記

所用で、岐阜県美濃加茂市に出掛け帰路に、毎年お世話になっている「杉田農園」に立ち寄り、秋の
味覚の代表とも言うべき「梨」を分けていただきました。
目的はその他に、杉田農園さんの梨農園に咲く「彼岸花」を観賞することにあり、その美しい光景に、
また今年も引かれたのでした。
今回は、この「杉田農園・彼岸花」について記録します。


     

     

       

       < 杉田農園 / 上と中・梨農園の彼岸花、下左・販売用梨、下右・店舗 >

*ご参考   杉田農園
            岐阜県美濃加茂市山之上町2660の50
                (山之上果樹農協の斜向かい)
            TEL 0574-25-3769
            販売果樹   梨   (幸水→豊水→二十世紀→新高)
                     ぶどう (巨砲)  


飛騨三十三観音霊場めぐり・第2回

2013-09-18 16:50:30 | 日記

先日、岐阜県高山市を訪れ、同市内の「飛騨三十三観音霊場」7ヶ寺と、名刹として有名な「大雄寺」
を参拝して来ました。「飛騨三十三観音霊場」は、四季折々の美景と飛騨の伝統と文化に触れる、言
わば安らぎある山間部の霊場めぐりですが、京都・奈良や濃尾地区とも異なり、大自然の木々の間を
吹き抜ける爽やかな風と、歴史の薫りを感じ取ることの出来る総走250kmの空間です。
かって「円空」が歩いたであろう歴史漂う飛騨の道を、第2回として巡って来ました。


       

       < 飛騨観音霊場第3番札所 ・ 海蔵山 雲龍寺 / 左・山門、右・本堂 >

雲龍寺は、奈良時代の養老4年(720)に泰澄大師が白山社を創建して別当とした妙観寺が元。又
高山城主・金森長近公の長子忠次郎長則の菩提寺で、宗派は曹洞宗、本尊は十一面観音菩薩。
ここの鐘楼門は、高山城二の丸にあった黄雲閣という建物が下附されたもので、その姿は高山祭
の屋台を彷彿とさせるもので魅力ある山門です。


       

       < 飛騨観音霊場第6番札所 ・ 真龍山 宗猷寺 / 左・山門、右・本堂 >

宗猷寺は、寛永9年(1632)金森氏三代の重頼と重勝の兄弟が、父出雲守可重の菩提のために建立
したもの。宗派は臨済宗妙心寺派で、本尊は釈迦如来。
この寺には、宝暦8年(1758)に臨済宗中興の祖と言われる白隠禅師が訪れたと言う記録があり、「碧
厳録」を講じて僧尼300人も集まったとの記録があるようです。ちなみに白隠禅師は、小生が歴史上の
人物の中で最も興味深い人物の一人です。


     

                 < 東林山 大雄寺 / 境内で鐘楼を望む >

大雄寺は、正式名が「東林山香荘厳院大雄寺」で、西山派祖膳恵房証上人の開祖。もと吉城郡上
広瀬村にありましたが、天正14年(1586)高山城主金森兵部郷法印長近公によって今の地に移築
されました。のち浄土宗に改宗され、飛騨地方における念仏門最初の寺となったようです。
この寺は、小京都と呼ばれる高山の東山の地にあり、小規模ながら総本山知恩院の伽藍を模してい
るとされ、風格を備えた魅力ある寺院です(この寺は飛騨観音霊場ではありません)。


 


笠松町での「伊勢型紙作品展」を観賞

2013-09-16 09:58:17 | 日記

知人の主宰する「伊勢型紙作品展」を観賞するため、岐阜県笠松町の笠松町歴史民俗資料館を訪ね
ました。伊勢型紙については、何の知識もなく、また体験もありませんが、伊勢型紙が持つ繊細で優雅
な芸術性は素晴らしいものがあり、絵画、書、写真などとは違った魅力があり、少なからず関心を持っ
ていました。
知人は岐阜県を中心にご活躍中で、同分野では極めて著名な方で、多くの教室、講座や同好会を主
宰、指導され、その人柄とともに、その崇高なる存在は広く知られるところです。
今回は、この「伊勢型紙作品展」について記録します。


        

           

          

            < 伊勢型紙作品展 / 展示室内の様子 2013.9.15 >

  ◎ ご参考までに、作品展について記しておきます  
     ・主宰者   今井厚子氏
     ・期 間   10月14日(日・祝)まで
             (月曜日休館、祝日の場合はその翌日が休み)
     ・場 所   岐阜県笠松町「笠松町歴史民俗資料館」
     ・その他   入場無料、駐車場あり(裏側)


京都・洛陽三十三観音霊場の参拝

2013-09-14 17:23:56 | 日記

今年の夏はとりわけ暑さが厳しかったこともあり、先日実に一か月半ぶりの京都古寺巡礼となりまし
た。今回の旅は、①洛陽三十三観音霊場めぐり・7ヶ寺と、②和菓子本舗・3ヶ店の市場調査が目的
でしたが、お蔭さまで洛陽観音霊場については、今回で5巡目の結願となりました。
今回のブログは、この京都への旅について記録します。


     

            < 第24番札所 長圓寺 / 左・山門、右・本堂と観音堂 >

長圓寺には平安時代からの聖観音が祀られていますが、疾病除けの霊験あらたかな観音様として、
今日まで京都の人々に親しまれています。ここのお庫裡さんは、岐阜県多治見市出身とのことで、小
生と出身地が近いこともあり、ご親切に対応していただいております。お人柄がとても良いことが、
札所の魅力ともなり、洛陽めぐりの一つの楽しみになるかも知れません。


     

            < 第28番札所 壬生寺(中院) / 左・山門、右・本堂 >

壬生寺は正歴2年(991)快賢僧都によって創建された寺で、宗派は律宗、本尊は十一面観音菩薩。
壬生寺と言えば「壬生狂言(炮烙割)」、と「新撰組ゆかりの地」としても知られています。前回は壬生
狂言の日に参拝しましたが、今回は普段の静けさを取り戻しており、小生が独り占めしてこの名刹を
楽しませてもらいました。


     

            < 和菓子本舗 / 左・鶴屋鶴寿庵、右・長五郎餅本舗 >

ボランティアの仕事関係で、京都へ出かけた折は必ずと言っていいほど、市場調査と商品チェックの
ため和菓子屋本舗に立ち寄り、「京菓子」の品定めをしています。今回も歴史と特色ある和菓子本舗
の3ヶ所に立ち寄りしました。
気に入った京菓子類は、仕事のセミナーで使用するのですが、受講生さんに如何に喜んでもらうかを
考えますと、この様な事前調査がいかに重要かと思われます。たてまえの他に、自分が食すると言う
楽しみの本音の方が大きいかも知れません。
     おすすめ  ① 鶴屋鶴寿庵   /   「屯所餅」、「壬生炮烙」
             ② 長五郎餅本舗  /  「長五郎餅」、「黒糖わらび餅」


    


「坂折棚田」・稲刈り前の景観を楽しむ

2013-09-12 20:16:43 | 日記

長く厳しい残暑が続いただけに、秋の訪れは実に清々しいものがありますが、すでに山間部では稲刈
りも始まり、爽やかな秋の訪れを一層感じ取ることも出来ます。そんな中、稲刈り開始に遅れまいと、
仕事と用事の合間をぬって、岐阜県恵那市の「坂折棚田」を訪れました。
棚田は、①田植え後の6月頃か、②稲刈り前の9月が見ごろと言われますが、黄金色に染まりまぶし
いくらいのこの時期の景観は、日頃の雑事で疲れた気分を充分に振り払ってくれるものがあります。
今回は、この「坂折棚田」について記録しました。


        

        

        

                < 坂折棚田 / 広さ14.2ha、 田数360枚 >

坂折棚田は岐阜県恵那市中野方町にある「日本の棚田百選」に認定されている棚田の一つ。今から
約400年ほど前から築かれ、明治時代初期には現在の形になったと言われています。
田植え後の景観が美しいか、稲刈り前の景観が素晴らしいかは、見る人の目によって受け止め方に
違いはありますが、なぜか小生には毎年両方の時期になるとお呼びがかかって来るのです。知る人
ぞ知る一押しの景観です(残念ながら彼岸花はまだでした)。


再び京都駅にて「ドクターイエロー」に出会う

2013-09-10 19:28:13 | 日記

今日(9/10)京都からの帰途、JR京都駅新幹線ホームで再び偶然にも「ドクターイエロー」に出会い
ました。今回はこの偶然の出来事を記録します。
4ヶ月前の前回(5/8、ブログ記事は5/9)と同様、乳幼児を連れた若いママが向かいのホーム(大阪
方面行き)先頭付近で20組程度待機しており、前回のこともあり、すぐ「ドクターイエロー」と判断でき
ましたが、直後入線し、再び「偶然の産物」を写真に収めることが出来ました(今回は向かいホーム外
側のため、カメラポジションとしては不良)。
小生も年齢を重ね、最近は中期高齢者の仲間入りをし、医者通いが増えましたが、まさかこんな形で
「ドクター」が向こうから小生に歩み寄ってくれるとは・・・・・・。いずれにしてもラッキーなことでした。


        

        

        

     < 新幹線電気軌道総合試験車(ドクターイエロー) / 2013.9.10京都駅にて >


城下町・岩村町の「歴史・文化の館」

2013-09-09 08:41:51 | 日記

農村景観日本一「富田地区」を訪れた後、岐阜県恵那市岩村町に立ち寄りしましたが、今回はこの町
の「歴史・文化の館」とも言うべきいくつかの博物館、資料館のうち、「勝川家」と「木村家」について記
録します。


        

           

            < 勝川家 / 写真上・土蔵、下左・正面、下右・離れ座敷 >

勝川家は屋号を「松屋」といい、江戸時代末期から台頭した材木や米を扱う商家で、幕末にはその財
力をもって逼迫した藩財政を支えたとされます。
奥行きの深い敷地内には、主屋、離れ、三棟の土蔵を備え、往時の暮らし向きを伝えていますが、岩
村藩の遺構を偲ばせるたたずまいが見られ、時を忘れた落ち着きの時間を持つことが出来ました。


        

           

       < 木村家 / 写真上・庭と井戸、下左・正面、下右・ナマコ壁(酒造蔵) >

木村家は江戸時代中期から末期に栄えた問屋(御用達職を兼ねる)で、苗字、帯刀、士分待遇の家
柄。藩の財政を支え、新田開発、災害救援、文化各面の発展に大きく寄与したと伝わります。
①格子造りの「武者窓」、②「藩主出入りの玄関」、そして③「ナマコ壁」など、特色ある建築方法が取
り入れられ、岩村藩の財政を担った問屋・御用達職の風格を今に留め、歴史を偲ばせる見事な建造
物、文化財かと思います。タイムスリップしてシックな一時を過ごすことが出来ました。