古寺巡礼日記

有名無名な古寺・名刹めぐりの貴重なる記録

和歌山・奈良の名刹を巡拝・その2

2013-04-30 17:01:11 | 日記

先週の「和歌山・奈良の名刹を巡拝」のその2として、西国三十三観音霊場第2番札所・紀三井寺と、
同第3番札所・粉河寺の2ヶ寺について記録します。
先日ある方から、「巡礼」・「巡拝」とはどう言うものですか?・・・との質問をいただきました。特に難しく
考える必要はないと思うのですが、ある寺のご住職の言葉を借りれば、①参拝、②拝観、そして③感
謝の表現かと思います。お願いの祈りも大きい要素ですが、感謝、特に①先祖と親と家族、②お世話
になっている多くの人々と社会に対する純粋な感謝の気持ちが大きいのではないでしょうか。
信仰心がある、ないにかかわらず、御仏の前で純粋な気持ちで合掌し礼拝する、そして自分の心を見
つめる機会になることが大事かと思います。


         

                 

     <西国霊場第2番札所 ・ 紀三井山 金剛宝寺 / 上・山門、下左・塔、下右・本堂 >

紀三井寺は、正式名「紀三井山金剛宝寺護国院」といい、宝亀元年(770)に唐僧・為光上人によって
開基。山内から湧き出す三つの霊泉(清浄水、楊柳水、吉祥水)から「紀三井寺」という名前で親しまれ
て来ました。「近畿の桜は紀三井寺から」と云われ、関西一の早咲き桜の名所としても知られています。
この日は新緑に映える多宝塔(文安6年-1449建立)が何時になく輝きを見せていました。


         

            

        < 同第3番札所 ・風猛山 粉河寺 / 上・山門、下左・中門、下右・本堂 >

粉河寺は宝亀元年(770)、粉河の猟師、大伴孔子古が千手観音像を祀ったのが創建とされる。寺は
鎌倉時代に最盛期を迎えますが、戦火で堂宇伽藍の大半を焼失したのち、江戸時代中期に紀州徳川
家の保護によって現在の堂宇は再建されました。このうち本堂は享保5年(1720)に建築されたもので、
西国札所の中で最大の規模を誇ります。
一万五千坪の敷地、迫力ある山門・中門・本堂など、スケールに圧倒される寺院です。

 


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1 コメント

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巡礼 (気ままにオーマ)
2013-04-30 20:20:53
冒頭にある言葉…なるほどと感じました。

そうですね。難しく考えないで「感謝」する。
奥ゆかしいその言葉に…お恥ずかしいです。

残り少ない人生はそうあらねば…自分への戒めです。
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