西分堂日記

書画を趣味にする私が、感じたこと見聞きしたこと、たまに、自作の書画を掲載できれば、と思います。

呉江垂虹亭作(米フツ蜀素帖より)臨書

2009年08月18日 | 臨米フツ 
米フツ蜀素帖には米フツの5つの詩が書かれている。
その中の一つ。
米フツの詩は幾つか読んでみたけれど、
結局、私にはその良さが判らない。
全然、心に残らない。
書の勉強のための臨書で、
詩の内容は関係ないから・・・
幾つかの書物を紐解いてみたが、
米フツの詩を褒める内容のものは見あたらない。

臨書の意味は私の中で、未だ吹っ切れない所がある。
臨模、形臨に拘らないで、自分がout(創作)するための、
糧のようなもの、と、ものの本に書いてある。
成る程、と思いながらも、
心の奥で
「帖に出来る限り似たものが書きたい」と、願う。
今日は中国で買った「趙之謙尺牘筆」を用いて細字で書いてみた。
「写軸」より一回り大きめで、穂もしっかりとしている。



呉江垂虹亭作

断雲一片洞庭帆
玉破鱸魚金破柑
好作新詩継桑芋
垂虹秋色満東南
泛々五湖霜気清
満々不弁水天形
何須織女支機石
且戯常娥称客星
 時為州之行

呉江垂虹亭の作

洞庭湖に浮かぶ船の帆のような千切れ雲
玉を割ったような鱸、金を割ったような蜜柑
さぁ、新しい詩を作って機織の仕事を続けよう
垂虹亭には、江南の秋の景色が満ちている
泛々たる五湖にすがすがしい霜が降り
水は満々として、天との境がない
織女が機織に使った支機石が何故に入用なのか
暫くは石は月(常娥)と戯れて
客星と呼び称されていることだろう
  湖州への旅をした時に


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2 コメント

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臨書の魅力は・・ (沙於里)
2009-08-19 16:41:00
たとえば台本があって、それを演じる役者のようでもあり
作詞・作曲家がいて、それを歌う歌手のようでもあり
でも台本も作詞家・作曲家が全てではなくて、そこに役者なり歌手がいて、
その響き合いの先に臨書があるのかな・・なんて思います。

古典は古典の魅力があり、それを感受した人によって別の作品ができて・・
だから臨書ってやめられないんですよね~
ふむ、ふむ、ふむ・・・・ (nisibundo)
2009-08-20 01:16:27
「inだ、outだ、それ以外はなし」
でなくて、
多面的に考えて、
拘らなくてもイイってことかしら・・・・
 
沙於里ちゃんは書を長いこと勉強していらっしゃるから、基礎がしっかりしていて、その分、自由度が大きいのかも。
それとも、先生によって指導の仕方も色々ってことかしら・・・・
まだ、私にはそういう自由が許されていない
みたい。
先生の解釈を理解して、できる限り近づく。
そういう段階らしいです。
先生にお手本を書いていただいて、練習して直していただいたところは、とても書きやすいし、格好がつくもの。
私は、まだ、まだこういう自立できない状態が続くと思います。

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