【時事(爺)放論】岳道茶房

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外交の近代化を問う

2010年11月07日 | 社説
外交の近代化を問う 週のはじめに考える

 「政治の近代化」はよく耳にしますが、「外交の近代化」には接しません。最近の日中関係などを見ていると、外交にもっと進歩が欲しいところです。

 「投票用紙は銃弾より強し」(The ballot is stronger than the bullet)。第十六代米大統領リンカーンの言葉です。昔は武力で勝った者が政治の主導権を握ったのに対して、投票用紙に政党・候補者名を書くことで自分たちの暮らしの方向を決められる。それが「政治の近代化」だというのです。皮肉にもリンカーンは銃弾に倒れましたが、民主政治の原点はこの言葉に象徴されています。

■外交は戦争より強し

 では「外交の近代化」はどうでしょうか。「戦争の世紀」ともいわれた二十世紀は、談判決裂で戦争に発展するケースが多かったのですが、二回にわたる世界大戦を経て「民主国家同士の戦争は起きない」との通説も生まれました。話し合いで戦争を未然に防止する-それが「外交の近代化」といえるかもしれません。戦争は当事国双方に甚大な損害をもたらすのですから、リンカーン流にいえば「外交は戦争より強し」というところでしょうか。

 ところが、その外交も最近の尖閣諸島問題以後、日中双方に首をかしげる場面が増えています。

 まず中国側です。尖閣に限らず南シナ海での領有権主張など同国の行動を見ていると、経済・軍事大国化に伴う「覇権主義」的傾向を強めています。日中平和友好条約(一九七八年締結)交渉で中国が見せた「反覇権」の熱意は、どこに消えたのでしょう。外務省アジア局長として対中交渉に携わった中江要介氏(元中国大使)は近著「アジア外交 動と静」で、反覇権条項は「中国の作戦勝ちだった」と反省しています。

■外交にも発想の転換

 当時の華国鋒中国共産党主席は反覇権条項を武器に東欧歴訪でソ連衛星国を切り崩し、それがソ連圏の崩壊、ベルリンの壁崩壊につながった。これに比べ日本は何の利益も得ていない。本来なら反覇権条項を使って日中共同で米国のイラク介入やアフガン介入に反対するような外交努力でもすべきだった、と中江氏は述懐します。

 一方、菅内閣の対中外交はどうでしょうか。あまりにも対症療法的というか、後手後手で国民をいらだたせています。隣国と波風を立てたくないという気持ちは分からないではありませんが、背筋がピンとしていません。

 「外交力」には大国も小国もありません。たとえばノルウェーは二年前、懸案のクラスター爆弾禁止条約の「生みの親」になりました。同国にあるノーベル平和賞委員会が中国の民主活動家、劉暁波氏に今年の賞を授与し、「中国が国際社会と調和するには自国民に表現の自由を保障しなければならない」と主張しているのも、ノルウェーの伝統的な「外交力」と無関係ではありますまい。

 相手のいやなことは言わない、しないというのではなく、国益を主張しつつ妥協点を模索する。同時に人類に普遍的な価値(平和、自由、人権など)は二国間関係に限らずグローバルに追求していく-というのが「外交近代化」の基本ではないでしょうか。

 もう一つの視点は資源外交との関連です。中国の「力の外交」の背景には資源確保策があります。どこの国も資源は欲しいのですが、地球環境や生態系の保全も喫緊の課題なのは名古屋での生物多様性条約の会議(COP10)が教えてくれたことでした。

 九月に来日したエクアドルのコレア大統領は、同国ヤスニ国立公園内の推定八億五千万バレルの油田開発をやめるのと引き換えに、開発した場合に得られる利益の半額相当(三十六億ドル)を世界が補償してほしいと要請しました。ドイツなどが拠出を約束しています。一見虫がいい話に見えますが、地球環境の保全という点からは発想転換が求められる時代です。

 日本にはそんな取引材料の天然資源はないよ、と指摘されるかもしれません。しかし、日本人がつくり出した「高度技術」「管理システム」「ソフト」「サービス」といった人工的資源は、世界に冠たるものです。新幹線は開業以来「死者ゼロ」を誇っていますが、運行を含めた全体的な管理システムが優れているからにほかなりません。省エネ・環境技術から旅館・飲食店のもてなしに至るまで日本が持つ人工的資源に私たちは、もっと自信を持つべきです。

■世論も大事な外交力

 国内世論、国際世論も大事な外交力です。高原明生東大大学院教授(中国問題)は「新聞に『外交面』をつくっては」と提案しています。外交のあり方を広く、深く報道する責任を痛感します。

2010年11月7日 中日新聞 社説


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