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【時事(爺)放論】岳道茶房

話題いろいろだがね~
気楽に立寄ってちょ~

11/5産経抄

2010年11月05日 | コラム
11/5産経抄

 ボストン・ティーパーティーといえば、ボストン市民が1773年、英国東インド会
社の船に乗り込み、茶箱を海に投げ捨てた事件だ。米独立戦争の引き金にもなった。

 教科書などでは、「ボストン茶会事件」と紹介されているが、「茶会」は誤訳、との意見がある。パーティーは政党と訳すべきで、「茶党」が引き起こした事件というわけだ。確かに、茶会という言葉の響きと事件は結びつかない気がする。

 ところが、『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』(ジャパンブック)によれば、「茶会」が正しい。大量の茶の葉で覆われた海を見た市民は、「『ボストン茶会』を開いた」と冗談を言ったという。いずれにせよ事件の背景には、本国英国が植民地に次々に押しつけた、課税への不満があったことは間違いない。

 その精神の継承を掲げて「ティーパーティー」を名乗る団体が、600以上も米国全土で活動中だ。政治信条は一様でないものの、民主党のオバマ政権が、巨額の税金をつぎ込んで進めている景気対策や医療保険改革を厳しく批判して、「小さな政府」をめざす点では共通している。

 ティー(TEA)には、「税金はもううんざりだ(Taxed Enough Already)」の意味もある。今回の中間選挙では、内政外交で目立った成果を挙げていないオバマ大統領に失望する人たちの受け皿となり、民主党を歴史的大敗に導く要因の一つとなった。

 2年前の大統領選の「オバマフィーバー」は、何だったのか。それにあやかって政権交代を果たした、日本の民主党政権も人ごとではない。茶の葉をぶちまけたくなるような国民の怒りは、米国以上に高まっている。

11/4産経抄

2010年11月04日 | コラム
11/4産経抄

 英国の情報機関「MI6」といえば、スパイ映画「007」のモデルとして知られる。そのスパイリストに、サマセット・モームやグレアム・グリーンら有名作家の名前があったことが最近わかった。

 海外の機密情報収集を任務とするMI6に対してMI5は、国内での防諜(ぼうちょう)活動や過激組織の監視を担当する。機密の保持が何より求められる両機関の部員がかつて、ロンドン市内で相次いでノートパソコンを紛失したり、盗まれたりして大騒ぎになった。

 もっとも今回、警視庁公安部外事3課の内部資料とみられる文書が、100件以上もインターネット上に掲載された問題は、けた外れに深刻だ。資料のなかには、捜査協力者や捜査対象者の名前まで含まれていたという。

 外事3課は、2001年の9・11米中枢同時テロを受けて翌年、国際テロ事件の捜査や情報収集を強化するために新設された。昨年の今ごろ放映されたNHKドラマの「外事警察」は、架空の「外事4課」とテロリストとの壮絶な戦いを描いたものだった。

 麻生幾さんによる原作では冒頭、主人公の親友の捜査官が、テロリストに殺される。しかし、捜査官に情報を提供していた人物の存在を隠すために、病死として処理された。もちろんフィクションだが、特殊な任務を帯びた組織が、何を優先するのか示したエピソードだ。

 今回の情報流出によって、そうした捜査協力者の命にかかわる可能性まである。警視庁には、何としても流出経路を突き止めてほしい。同時に、この問題が突きつけた事実を、われわれ一般国民も厳粛に受け止めなければならない。テロとの戦いは、遠い国の話ではない。日本もそのまっただ中にある。

11/4余録

2010年11月04日 | コラム
11/4余録 大アジア主義

 中国の革命家、孫文の演説で現在も語り継がれているのは、1924年に神戸で行った「大アジア主義」だ。アジアの振興と連帯を説き、日本に「西洋覇道の犬となるか、東洋王道の干城(かんじょう)(国家を守る武士や軍人)となるか」と迫った。

 その孫文が指導し、清朝を倒した辛亥革命が来年100周年を迎えることから、革命の意義や孫文の思想を新しい視点で問い直す動きが相次ぐ。中国では、あまり知られていなかった盟友の実業家、梅屋庄吉との交流を紹介する展覧会が開催された。台湾では孫文の記録映画作りが進む。

 国内でも、神戸と東京でシンポジウムが開かれた。日中の研究者が集った神戸のシンポジウムでは、中国側の参加者が孫文のアジアにかけた夢は今日も重要な意味を持つと訴え、実現への希望を語っている。

 一方、日本側からは、孫文の教えに従うなら、既に大国となった中国はどう行動すべきか、との問題提起がなされた。かつて半植民地状態だった中国は、世界経済を牽引(けんいん)する存在になったが、それにふさわしい振る舞いを国際社会から求められている。

 東京のシンポジウムは「孫文の理想と東アジア共同体」がテーマだ。東アジア共同体の先行きは不透明ではあるが、アジアの多くの国はもっと日本がリーダーシップを発揮してほしいと思っている。だが、共同体の基礎となりそうな経済連携協定(EPA)拡大でも、韓国などに後れを取る。

 革命から1世紀たち、中国も日本も大きく変化した。尖閣諸島沖の漁船衝突事件以来、日中関係が冷え込む中、両国はどのような道を歩んでいけばよいのか。孫文の問い掛けは今も重い。

11/4編集手帳

2010年11月04日 | コラム
11/4編集手帳

 明治生まれのジャーナリスト、長谷川如是閑(にょぜかん)は著書に書いている。〈「威厳」とは預けられた他人の財布のことだ。落さないように持っているだけで、使わないほうが無事だ〉と(『真実はかく佯(いつわ)る』)。

 使う人もいる。民主党の小沢一郎氏が岡田克也幹事長の面会要請を拒みつづけている。幹事長が一議員に会いたくて会えない。岡田氏の言う「ちょっと異常な事態」を通り越していよう。

 面会して国会招致の問題に話題が及ぶのを嫌ってのことだろうが、岡田氏が自民党で初当選した当時の幹事長が小沢氏であることも関係しているという。

 氏周辺の解説によれば、格下の“元チルドレン”から国会招致の鈴を首につけられては小沢氏の威厳が損なわれるのだとか。内政も外交も多難の折に「一兵卒として党に尽くす」はずの人が体面にこだわり、国会審議の妨げになるようでは情けない。

 面会拒否に、「ああ、小沢さんはやはり大物だな」と世間は感心するだろうか。しまい。「ああ、この人が首相でなくてよかった」と言われるのがオチだろう。政治資金の財布と威厳の財布、どちらも扱いの下手な人である。

11/3中日春秋

2010年11月03日 | コラム
11/3中日春秋

 今年の夏、幻の映画といわれた『氷雪の門』が三十六年ぶりに公開された。日本がポツダム宣言を受諾、降伏した後の一九四五年八月二十日、南樺太の真岡郵便局で日本人の女性電話交換手九人が自決した悲劇を描いている。

 製作費五億円超の大作。前売り券は七十万枚売れたが、当時のソ連大使館から「史実と異なる」と抗議を受け配給会社が上映を自粛、一部地域の公開にとどまっていた。

 陸上自衛隊が全面協力しただけあり、侵攻するソ連戦車部隊の戦闘シーンは迫力十分だ。戦争は終わったはずなのに、突然、戦場になった樺太で、踏みにじられる避難民に胸が痛んだ。

 一万七千人の日本人が住んでいた択捉、国後、色丹、歯舞群島も降伏後、ソ連軍に武力占領された島だ。日露戦争で割譲を受けた南樺太と違って、ソ連が不法占拠するまで一度もソ連領になったことはない。

 その国後島をロシアのメドベージェフ大統領が最高首脳として初めて訪れた。再来年の大統領選も視野に、四島を実効支配している現実を誇示するパフォーマンスだろう。

 事前警告も無視され、尖閣問題に続いて、日本外交の脆弱(ぜいじゃく)さがさらけ出された。ロシアと中国が手を握り、すきを突いてきたような感じさえ覚える。日本政府は駐ロ大使を一時帰国させるが、大統領は他の島の訪問も計画しているという。激震の余波は収まりそうもない。

11/3産経抄

2010年11月03日 | コラム
11/3産経抄

 霜月に入ったとたんに、ロシアの大統領が頼みもしないのに国後島にやってきた。きのう前原誠司外相は、駐露大使を一時帰国させると発表し、小紙の編集局もてんやわんやだったが、「柳腰内閣」としては上出来だ。口先だけの抗議で済ませてしまうなら菅直人政権は年を越せないだろう。

 北方領土や尖閣問題の陰に隠れてしまったが、上出来どころかとんでもない案が政府から出された。10年かけて幼稚園と保育所を統合し、就学前児童の教育や保育を「こども園」に一本化しようという案を内閣府が示したのだ。

 増え続けている保育所に入りたくても入れない待機児童を解消するための切り札というが、なんとも乱暴な案である。「幼保一体化」という美名のもと、日本にできてから130年以上もの歴史がある幼稚園が名実ともになくなってしまいかねない。

 子供を保育所と幼稚園に通わせた小欄の経験からいえば、保育所には保育所の、幼稚園には幼稚園の良さと欠点がある。統合すれば、子供を長時間預かってくれる保育所の良さと幼稚園の教育水準の高さが組み合わさってより良くなるという発想は甘すぎる。

 幼稚園の約6割は私立だ。「こども園」に転換するためには、先生を増やし、建物を増築し、調理室を新築しなければならない。設備投資できるお金がふんだんにある園は数えるほどで、教育の質も下がるだろう。

 「こども園」には、子供は親ではなく、社会が育てるというかつての社会主義国のにおいがする。首相が今やるべきことは、待機児童をゼロにする対策で、多様な幼児教育を妨げることではない。拙速な決断で後世に禍根を残すよりは、何もしない方がまだましである。

11/3余録

2010年11月03日 | コラム
11/3余録 テロ情報ネット流出

 第二次大戦中の1943年、中立国スペインの海岸に英軍少佐の死体が流れ着いた。そのかばんからは連合軍のギリシャ侵攻作戦の書類が見つかった。当時スペインはドイツ情報部に秘密協力しており、作戦はドイツの知るところとなる。

 作戦名「ミンスミート(リンゴや干しぶどうなどで作るパイの具)」で知られる英国の対独偽情報工作の傑作だ。飛行機事故を偽装した死体は英軍が用意したもので、狙いは連合軍のシチリア侵攻の目くらましである。ドイツ人が書類を見るのもみな計算済みだった。

 後に敵が偽装にだまされたのを確認した作戦担当はこう報告した。「ミンスミートは丸のみされた」。いやはや油断もすきもない国際情報戦だ。さて各国の情報機関が国際テロに神経をとがらせる今、降ってわいた日本でのテロ捜査情報の大量ネット流出の怪である。

 警視庁で国際テロ対策にあたる部門の内部資料と見られる文書100点以上がインターネット上に流出したという。当局は文書が本物のデータか否かは未確認としているが、流出はウイルスや過失によるものではなく、何者かが故意に行った可能性が指摘されている。

 資料にはテロ情報収集の協力者の身元も含まれているというから、その身辺に危険が及ぶ恐れがある。また米連邦捜査局(FBI)との協力に関する資料もあり、交換情報の保秘について海外対テロ機関の信用を失いかねない。いずれも情報のプロには致命的事態だ。

 ここは日本警察の威信をかけ「流出」の真相解明を急がねばならない。むろん情報漏えいを装い、テロ組織にミンスミートを与えたのならその限りではない。

11/2中日春秋

2010年11月02日 | コラム
11/2中日春秋

 バドミントンの試合では、線審が両手で目をふさぐジェスチャーをする場合がある。例えば、サーブで放たれたシャトルコックがライン際に落ちれば、インかアウトか判定するのは線審だが、どちらとも判定がつかない時、そのしぐさをするのだ。

 もし主審も判定できなければ「レット」が宣され、そのプレーは無効、やり直しになる。スポーツは数あるが「どちらとも判定がつかない」を審判に認めている例は、寡聞にしてほかに知らない。

 法の世界の“審判”といえば裁判官だろう。彼らとて人間。死刑か否かとなれば、どちらとも判断し難く、迷うことがあって当然だ。だが、だからって“目をふさぐ”ことは許されない。

 耳かき店で働く都内の女性に一方的な思いを寄せ、その女性と女性の祖母を殺害した、として検察が死刑求刑した男の裁判では、一般市民である裁判員が初めて、その立場に置かれた。

 死刑は被告の命を奪う究極の刑罰。その結果は取り返しがつかない。けれど、むごたらしい犯行で奪われた二人の命こそ取り返しがつかない。被害者の無念も極刑を望む遺族の気持ちも痛いほど分かる…。裁判員らを苛(さいな)んだであろう迷いの深さを察する。

 でも、もし、そう叫びたくても“レット”のルールは存在しない。昨日、示された結論は、無期懲役。裁判員たちの苦悩から絞り出された、重い判定である。

11/2余録

2010年11月02日 | コラム
11/2余録 露大統領の北方領土訪問

 1854年11月4日、伊豆の下田は大津波に襲われ大被害を出した。この時、港内に停泊中のロシア軍艦ディアナ号も損傷し、死傷者も出た。だが艦は海に流された日本人救出にあたり、軍医が住民の救護も行うという申し出に幕府側は感激した。

 しかしディアナ号はその後、戸田村に回航中に遭難する。この時500人近い乗組員に上陸地の村民は炊き出しを行い、避難所も整えた。戸田では乗組員の帰還のための洋式帆船の建造まで行われる。この船はロシア人の感謝の念からヘダ(戸田)号と命名された。

 このディアナ号は下田で幕府と通商条約締結の交渉をしていたプチャーチン提督一行を乗せていた。日本とロシアの国境を択捉島とウルップ島の間と定めた日露和親条約はこの時の両国の交渉によって締結されたのである。

 こう振り返れば日露の両国民の助け合いと、友情から生まれた近代日露両国の国交である。また何の力の強制もない条約が決めた日露の国境だった。だが戦後このかたロシアが支配を続ける北方領土をメドベージェフ大統領がロシア首脳として初めて訪問したという。

 大統領がこのような日露のなれそめを知っていたかどうかは分からない。ただ冷戦中ならともかく、経済はじめ両国民の協力と友情が多方面で醸成されつつある今日である。日露国交の初心を裏切るような領土問題でのこれみよがしの振る舞いは残念というしかない。

 事は互いに相手の意図を手探りしあう外交である。ロシアの行動には相応の対応をしつつ、ここは双方に幸福だった歴史の記憶を掘り起こし、新時代の日露関係のビジョンを提示してみせたい。

11/2編集手帳

2010年11月02日 | コラム
11/2編集手帳

 与謝野鉄幹は『人を恋ふる歌』にうたっている。〈友のなさけをたづぬれば/義のあるところ火をも踏む…〉

 友人とは何かといえば、信義を重んじ、そのためには火中に身を投じることも厭(いと)わない、そういう間柄のことだ、と。鉄幹流の定義にかなう「友」米国との間で結ばれた同盟関係によって今の日本があることに、異を唱える人はいないだろう。

 なあに、米国だけが友人じゃないさ――とばかりに日米関係を軽んじ、中国との親密ぶりを誇示したのが「鳩山首相―小沢幹事長」体制下の民主党政権である。その結果、何が起きたか。

 わが国固有の領土である尖閣諸島を見ればいい。北方領土を見ればいい。「義のあるところ火をも踏む」友人との間に吹くすきま風を中国やロシアにつけ込まれ、いいようにされている。

 〈友をえらばば書を読んで/六分の侠(きょう)気(き)四分の熱…〉。書物の本家とはいえ、軍事力と経済力を頼んで無理を通そうとする「六分の凶器四分の欲」の国は真の友たり得ない。政権交代から1年余、領土・領海を危険にさらして友人の選び方をようやく学習するとは、払った授業料が高すぎる。

11/1中日春秋

2010年11月01日 | コラム
11/1中日春秋

 財界の論客として知られた故諸井虔さんは、こんな言葉を残した。<見返りを求めて政治献金をしたら贈賄になる。見返りを求めなければ会社への背任だ>。汚職と背任の間を綱渡りする政治献金の危うさをうまく表現している。

 リクルート事件など、政治家への巨額の資金提供が世論の指弾を浴びるたび、自民党政権は政治資金規正法の改正を重ねてきたが、肝心な部分はいつも骨抜きにされ、抜け穴がつくられてきた。

 歴史的な政権交代を遂げた民主党も、政治とカネの問題でつまずいた。企業・団体献金の全面禁止は、窮地から抜け出すための取り組みだったはずなのに、民主党は今年に入って自粛していた企業・団体献金の受け取りを再開するという。

 いろいろと理由を挙げても、衆院選マニフェストで「三年後の全面禁止」を明記しているのだから明らかな逆行だ。これでは、政権交代に期待した有権者の期待はしぼむばかりだ。

 特別会計を対象にした事業仕分け第三弾の前半戦が終わった。「無駄の温床」と呼ばれる特会制度に公開の場でメスを入れた意義は大きいが、財源捻出(ねんしゅつ)効果は薄く、「埋蔵金だけではなく埋蔵借金もある」と事前に予防線を張った。

 政権交代の象徴である事業仕分けが、「もう予算削減は無理」という印象を残し、結果的に消費税増税の地ならしにならないか。そんな不安をぬぐえない。

11/1余録

2010年11月01日 | コラム
11/1余録 漱石といじめ

 英国に留学した夏目漱石は「吾輩は日本に居つても交際は嫌いだ。まして西洋へ来て無弁舌なる英語でもつて窮窟な交際をやるのは尤(もっと)も厭(きら)ひだ」と書いた(「倫敦消息」)。病友・正岡子規の無聊(ぶりょう)を慰める一文というから誇張も韜晦(とうかい)もあろうが、たぶん本音だろう。

 文豪の言葉をJRの駅で思い出した。切符売り場の前を通ると中南米系と見える男女が「上野までいくらですか」と聞く。美術館めぐりらしい。運賃を教え、まさに無弁舌(たどたどしい)な英語で「上野は美術館が多いから楽しめますよ」と付け加えた。

 すると次は黒人の女性が「渋谷までいくらですか」。ああ渋谷ですねと運賃表を見て気が付いた。路線図と漢字の駅名だけでローマ字表記がない。外国人たちは判じものを見るように戸惑い、たまたま英字紙を手に歩いていた当方に質問してきたのだろう。

 彼らも「窮窟」なのだ。駅にはローマ字で読める切符売り場もある。券売機には英語の音声案内機能もあるが、それさえ知らぬ外国人も多かろう。駅側が不親切ともいえないが、日本は外国人にやさしい国だろうかと改めて考えた。

 自殺した群馬県の小学生は、母親が外国出身であることが一因でいじめを受けたという。大学でのいじめを示唆する遺書を残して在日インド人男性が自殺していたことも、この夏明るみに出た。外国人に対する冷たい目の壁を感じる。

 留学中の漱石は帰りたいと思う半面、日本のいやな面を考えて「たのもしくない情けない様な心持」になったという。外国からは日本の長所短所がよく見える。いじめの深刻さは海外から見ずとも明々白々だが。

11/1編集手帳

2010年11月01日 | コラム
11/1編集手帳

 ニューヨーカーに最も知られた日本の都道府県の名は、恐らく東京だろう。次は大阪か、京都か。いや、ひょっとしたら熊本かも知れない。

 マンハッタン名物のカキ専門店「オイスターバー」で超高級な「クマモト・オイスター」が人々を魅了しているからである。

 終戦直後、米西海岸のカキ復興のため、連合国軍総司令部(GHQ)が日本産カキの稚貝を輸出する政策を進めた。宮城産とともに白羽の矢を立てたのが熊本産だった。養殖は軌道に乗り米国有数の品種に成長したが、故郷での生産は途絶えた。

 都内の店でクマモトと対面した。岩肌のような殻に包まれた乳白色の身は小ぶりだが、濃厚な味わいで、太平洋の潮の香りが詰まっていた。幻のカキを望む声に押され、熊本県は50年ぶりの養殖計画に取り組んでいる。

 カキの大量死が発生したフランスは今年、日本から稚貝の輸入を検討中という。世界に通用する技術を海外で生かせない「ガラパゴス化」が指摘される中、昔も今も頼られて海を渡る日本産カキの生命力が頼もしい。生でよし、焼いてよし。鍋もフライもいい。木枯らし吹いて、カキ本番である。

10/31中日春秋

2010年10月31日 | コラム
10/31中日春秋

 「キセル」は今でも、辛うじて生き残るが、無賃乗車のことを「薩摩守(さつまのかみ)」という言い方はもう聞かない。

 これは『平家物語』にも登場する平薩摩守忠度(ただのり)の名に「ただ乗り」をかけたシャレだが、外国にも人名の残る言葉は案外多い。ボイコット、リンチ、ギロチン…。薩摩守も含めなぜか不名誉な感じの語も目立つが。

 さて、昨日、生物多様性条約締約国会議(COP10)が未明までもつれ込む激論の末、生物資源取引の利益配分に関するルールを盛り込んだ「名古屋議定書」などを採択して閉幕した。同議定書は、資源供給側の途上国と利用側の先進国が、利害衝突を乗り越えた歴史的合意だという。

 考えてみれば、地球温暖化防止に関する「京都議定書」に次いで、世界の二大環境問題の中核的な取り決めに、いずれも日本の都市の名が残ることになったわけである。単なる巡り合わせだろうか。

 実は、わが国は生物資源の利用側であると同時に、世界でも有数の豊富な生物資源を有する潜在的な供給側の顔も持つ。この問題には欧州連合(EU)と、条約未批准の米国の対立構図もあるが、この点でも日本は仲立ちしやすい位置だ。さらに自然との共生を大事にしてきた伝統がある。

 自然、環境の問題で世界をリードするのは日本の“宿命”、とまで言えば大袈裟(おおげさ)か。何にせよ、残した名を名誉あるものにしたいものだ。

10/31産経抄

2010年10月31日 | コラム
10/31産経抄

 明日11月1日はキリスト教の世界では「諸聖人の祝日」である。「万聖節」と訳されることもあるが、クリスマスや復活祭などと並ぶ大きな祝日だ。もっとも日本では、前夜祭としてのハロウィーンの方がすっかりおなじみになった。

 キリスト教、特にカトリックでは、神の教えを守り正しく生きた人は来世で聖人になると信じられている。多くの聖人が教会によって「認定」されている。しかし教会の目が届かない所で、他にたくさんの人が善行を重ね、聖人になっているかもしれない。そこは神のみぞ知るだ。

 だから、そんな「無名の聖人」たちを称(たた)えようというのがこの日なのだそうである。唯一絶対神のキリスト教に独善的な匂(にお)いが強いのは確かだ。だがこの「諸聖人」の考え方だけは謙虚さも感じられ、日本人にも受け入れやすいような気がする。

 とはいえ、その日本で行われている事業仕分け第3弾を見ると、相変わらず「独善」が闊歩(かっぽ)している。これまでの蓮舫氏に代わって会議を仕切る民主党の枝野幸男幹事長代理らが「全然答えになっていない」などと特別会計の担当者を糾弾する。いくつもの事業が早々に「廃止」となった。

 ムダ排除のスピードアップのために決断は必要だ。だが昨年の第1弾では蓮舫氏の「2位ではいけないんですか」の一言でスパコン開発がいったん凍結となり科学者の反発を買った。「将来歴史の法廷に立つ覚悟はあるのか」という厳しい批判もあった。

 専門家の意見を顧みない「独善」の危惧(きぐ)は、中国の世界最速スパコン開発のニュースで現実のものとなりつつある。事業仕分けがパフォーマンスであってはならない。常に「神のみぞ知る」の謙虚さが必要だ。