西京極 紫の館

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そうだ京都へ行こう(笑)part2

2013年03月29日 23時50分31秒 | 日々の雑感
昨秋、金閣から二条城へ散策したので
桜のこの季節には違った方面を歩いてみました。
NHK大河ドラマ『八重の桜』で盛り上がっているハズの黒谷・金戒光明寺と
鹿苑寺・金閣と対となる存在である慈照寺・銀閣です。

東山疏水のインクライン下の赤煉瓦トンネルをくぐり、まずは南禅寺方面へ。

この日はあいにくの曇り空で、桜もまだ咲き揃っていません。
満開も桜もあれば、三分咲き程度の奥手の桜もありました。
 南禅寺 三門
南禅寺はそのまま素通りし、北進。
秋なら紅葉の名所として有名な永観堂があります。
 永観堂 禅林寺
今回はここも素通り。
白川丸太町まで出て、金戒光明寺へ…と思ったら途中でこんな観光案内図が。

ここを右折東進すると“新島襄と八重の墓”がある!
そりゃあ『八重の桜』ツアーとしては行っておかねば。
哲学の道のあるところまでくるとそこは若王子神社。
 熊野若王子神社
ここから山道に入って徒歩20分のところに新島襄が創立した同志社の社葬墓地がある。
徒歩20分…けっこう距離があるな~とは思ったが、大して気にもせず山道に入った。

それが運の尽き。

この山道がかなり勾配があってキツイ!
街中を散策するだけの軽装だったのとトレッキング用の靴でもなかったせいもあって
途中で息が上がって休憩せずにはいられませんでした。
それでもどうにかこうにか辿り着きました!
 新島襄(右)・八重(左)の墓
新島襄の墓の揮毫は勝海舟のもの。
海舟のイメージからするとちょっと意外なほどかっちりした文字。
元々の墓石は一度崩壊したそうだが、再建時に揮毫は写し取ったとのこと。
襄が亡くなった時、その遺骸をこの山頂まで同志社の学生が担いで上がったというが、
同志社の学生すごいな~!

“時の人”である八重の墓には花が供えられていてお参りが多い事が分ります。
八重の墓の揮毫はこれまた同志社出身の思想家・徳富蘇峰によるもの。
蘇峰は生前の八重と対立し、“鵺(ぬえ)のような女”と罵ったと云うが、
没後の八重の墓に揮毫したことから親交は篤かったものと推察できる。

新島襄・八重の墓の左手には八重の実父母・山本権八夫妻と兄・山本覚馬の墓もある。
 山本権八夫妻(左)・覚馬(右)の墓
覚馬は京都知事の補佐を務め、襄の同志社設立にも尽力した人物。
覚馬の墓の右隣には前述の徳富蘇峰の墓碑もあった。

八重夫妻の墓参りを終え、山を下る。
下りは登りと違って全然楽チンである♪

ここから丸太町通り東端へ出て、当初の目的地、黒谷へ向かう。
岡崎神社の脇道を北進すると金戒光明寺の小さな南門につく。
ここは正門ではなく、墓参者用の参道のようだ。
南門を通り抜けるとやがて境内の広大な墓地に出た。
墓地と本殿の間には極楽橋という石造りの橋が架かっている。
 極楽橋から三重塔を望む

ここ金戒光明寺は八重や覚馬の出身地・会津藩の藩主・松平容保が京都守護職を担っていた間、
会津藩士1000人と共に本陣を構えた場所である。
守護職お抱えの新撰組の面々も壬生屯所からここへ何度も通ったはずです。

山門はあいにく大改修工事中でシートで覆われていて観る事は出来なかった。
 山門は改修工事中
改修工事は今年の秋まで続く様である。
取り敢えず門の傍の桜が満開だったので写メっとく。

 金戒光明寺 本堂
 納骨堂
 墓地の参道上に建つ三重塔
この三重塔は徳川二代将軍・秀忠を弔う為に建てられたらしい。
秀忠の正室・お江与(浅井三姉妹の江姫)の墓碑もありました。

金戒光明寺は京都守護職・会津藩の本陣だっただけに、
寺領の北東区域に幕末に亡くなった会津藩士らを葬った墓地があります。
 会津墓地
僕もお参りしてきましたが、福島県の現状を彼らはどう見ているのでしょうか。
幕末も今も中央の犠牲を強いられる福島。
それでも負けない会津人。

質実剛健を宗とする会津藩の陣所に相応しい雰囲気を持った寺院でした。
 黒谷 高麗門

ここからは哲学の道を経由して銀閣へ向かうのが正規ルートでしょうが、
敢えて東大路まで出て北進迂回して同志社大ならぬ京大キャンパスを抜け、今出川通りへ。
今出川通りを東進してたらたら銀閣を目指します。

まだ咲き揃わぬ桜並木を抜け、土産物屋の通りを抜け、慈照寺到着。
 慈照寺 正門
拝館料は500円。金閣の時と同じく拝館チケットがお札のデザインです。

銀閣へ来たのは(たぶん)小学生の頃の遠足…だったかな?
とにかく全然憶えてません。
入ってすぐには慈照寺の庫裡があり、きれいに砂で縞模様が造られています。
 庫裡
これはスゴイわ。
一応前知識のある僕が観てもスゴイと思うんだから、外国人観光客にはたまらんでしょうな。
そして庫裡を通ってすぐの門をくぐると国宝の銀閣(正式名称・観音殿)です。
 観音殿・銀閣
銀閣を別荘として建てた足利8代将軍・義政は、
権勢を誇った3代・義満の金閣に倣い、この観音殿を銀箔で飾ろうとしたが
既に幕府の財政は窮しておりこれが叶わず、現在の姿となったというが、
もしそうなっていたら今の様な日本の侘寂を感じさせる佇まいはなかったかもしれない。
白銀に輝く銀閣…それはそれで一度は観てみたい気もするが(苦笑)

 本殿前の銀沙灘
 銀沙灘と向月台、そして銀閣
銀沙灘(ぎんしゃだん)は白砂で見事な造形、同じく砂を盛り上げた向月台(こうげつだい)、そして渋い色合いの銀閣。
虚飾を極限まで取り去った室町中期の日本の美が感じられます。
 慈照寺境内全景

帰りはまだ咲ききらぬ桜並木を散策しながら哲学の道。
やっぱりこの道はいつ来てもイイ。


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