新しい風を 起こそう!   ~日本をよい国に~

一人ひとりの願いを大きな風に変えて・・・
今 動き出そう!



 

アンチエイジング

2010-05-19 07:02:09 | 日記
“アンチエイジング”
いつまでも若々しく・・・美の追求。
そんな希望を持つ女性は多いだろう。
いつまでも若々しく美しく、誰もがありたいものだ。
でも、私はしわくちゃの笑顔の素敵なおばあちゃんにも憧れる。
刻まれた皺に、気品や哲学や人生の深みが感じられるって素敵だ。

生きざまは顔にでるという。
皺やシミを隠し、美しく化粧し、お洒落な服装をしていても、顔にでる生きざまは隠せない。
時々、年齢に相応しいとは言い難い、無邪気で幼い感じの女性を見る。
そんな女性を見ると思い出す。
曽野綾子さんの言葉だ。

「日本では、近年、子供は無垢であり、大人はその無垢を失った状態で、いつまでも子供のように無垢であることが望ましいようなことがしきりと言われてきた・・・悪に染まらないという意味では人は赤ん坊のようでなければならない。しかし物の判断においては、子供じみていてはならない、としている」

女性の美しさも子供じみていないほうがいいと思う。
外見が若々しくあるのはいい。若々しい心を持つのもいい。
でも生き方や、精神は幼稚でありたくない。
幼稚な精神の作る若々しさ・・・そんな“アンチエイジング”には賛成しない。



そして・・・もっと思うことは政治。
あまりにも無邪気で、幼くて、お粗末すぎる場面が数多く見られはしないか。
国を動かす力は子供じみていてはいけない。
表面だけを美しく整えることなど望まない。
しっかりと成熟した大人の政治が望まれる。

最近の流行りで、日本の国の政治まで“アンチエイジング”に傾かないことを望むばかりだ。
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物と対峙 命と対峙

2010-05-18 07:04:59 | 日記
あんまり流行っていないな・・・
そんなお店がいつの間にか閉店になり、壊され、また新たな建物が建てられる。

流行りが過ぎた洋服は、いつの間にかタンスの肥し・・・
新しい服に追いやられ、邪魔になってさようなら・・・

リサイクルショップにも物が溢れている。
一体、この物はどこから来てどこに行くのだろう。

買っては捨て、買っては手放し・・・
建物までもが、使い捨てのような状況に見える時がある。

ふと考えた。
私の家には、100年前から使っているものはあるだろうか。
100年先の次の世代に引き継ごうとするものはあるか。
なんだか身の回りのものが、軽く、簡単、回転の早いものになっているような気がする。

時々、1000年以上前の建物を見る。
何とも言えぬ力を秘めている。

長い時を経て存在してきたものを見るといい。
その重みを感じるから。
現代社会が生み出すものの有り様を考えることができるから。
そして、最も残さねばならないものは、私たちの命の連鎖だと気づくから。

持っては手放し、持っては手放し・・・
プツンプツンと、切れ切れの物とのつきあいに慣れてしまった現代人。
生まれては死に、生まれては死に・・・
命の連鎖の重みまで薄れてはいけない。
プツンプツンと、切れ切れの命では決してないのだ。

1000年前の建物・・そこには1000年前に生きた人々の命が感じられる。
物を大切にし、物を残し、物に向き合うことは、命と対峙することに通ずる気がした。
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おそろしいこと

2010-05-17 07:14:02 | 日記
     「おそろしいこと」

  困難にぶつかることよりも
  人にうらぎられることよりも
  つらいことよりも
  悲しいことよりも
  苦しいことよりも
  もっとおそろしいのは
  あきらめてしまうこと
  そこですべてが終わってしまうから・・・



  * * *



群馬県の中学三年生の詩。

あきらめない。
あきらめない。
あきらめない。
あきらめの瞬間は、終りの瞬間なのだから。

道がつづいている限り。
歩み続けている限り。
人生におそれることはない。
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“もったいない”の傲慢

2010-05-16 16:46:25 | 日記
15年ほど前・・・
こんな事があったそうだ。



  日本のある団体が“もったいない運動”をしていた。
  その運動をネパールの知人に紹介した。
   「“もったいない”という運動知っています。素晴らしいことですね」
  ネパール人はそう言った。
   「でもね・・・」
  ネパール人は続けた。
   「私たちは持ってないんです」



“もったいない運動”を紹介した日本人は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
自分の傲慢さに、日本人の傲慢さに、気づいたという。

大量の物があふれ、大量の物を消費し、大量の物を廃棄し、“もったいない”と言って運動を起こしている。

持ちたくても、消費したくても、物がない、持っていない。
そんな人からは、まるで偽善者のようにみえたのではないか・・・と。

“もったいない”の精神は大切。
社会で運動を起こすことも悪いことではない。

でも、“本当に、日々の生活のなかで物を大切にしているか?”と自らに問う。
やりもせずに、“もったいない運動素晴らしいでしょう”と言っているのではないか・・。

当たり前に“もったいない”が身につけば、足るを知る“物”との付き合いができるはず。
わざわざ“もったいない”運動を起こさなくともよくなるはず。
できていないからこそ運動になる。
その運動を“素晴らしいでしょう”と紹介する。

“もったいないことがなされている”日本の現状。
“もったいない運動”がもてはやされる日本の現状。

もったいないの心を持つことは大切。
社会に広める運動も大切。
でも、運動組織をつくったことで、あたかも自分が“やっているつもり”にならないように・・・そんな戒めに思えた。

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一年を・・・

2010-05-15 07:36:33 | 日記
ブログを初めてから一年が過ぎました。

読んで下さる方がいてくださるから、
続けることができました。

これからも、
一歩一歩の積み重ねを大切に、
感謝の気持ちを持って、
ゆっくり、コツコツ続けていこうと思います。



ありがとうございます。
そして、今後ともよろしくお願いいたします。
コメント (2)
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