新しい風を 起こそう!   ~日本をよい国に~

一人ひとりの願いを大きな風に変えて・・・
今 動き出そう!



 

米国のシナリオ

2009-07-31 06:55:31 | 日記
食糧自給率、食の安全・・・様々な問題を抱えている日本。
昨日に引き続き「食」を見つめてみよう。

宮嶋望さんというチーズづくりの職人がいる。
その方が、アメリカで学ばれていたときの話だ。


 * * *


大学で受けた農業経済の講義が、苦々しい記憶として焼き付いていた。教授は、「君たちの肩には、アメリカの威信がかかっている。君たちの生産する農畜産物は国際政治上のarmsだ」と話した。arms・・・腕という意味ではない。armyのarm、つまり「軍事物資」という意味だ。
重ねてこう言い放った。「東のオイルの海に浮かんだ船を見てみろ。よく動く、だが、小さな船は勝手に動いてくれては困る。その行き先をリードするのはfeedだ」これには、さすがにカチンときた。小さな船とは、もちろん日本のことだ。食糧はfoodだ。feedとは家畜の餌のことだろう。
要するに米国では、農業・畜産を国際政治上の戦略として位置付けているのだ。大量生産をして安価で安定した生産を続けることで、世界の食糧市場を牛耳る。そうすることで、米国は世界の覇者たる位置を守ることができるという理論だ。
物騒ないい方をすれば、原爆を二つ落とすよりも、その国の食糧をおさえた方が効果的だと言っているようなものだ。


  話は続く・・・


特に日本は、共産圏に対する最前線として、きちんと自分たちが首根っこをおさえておく必要がある。そのために人間のくらしの基盤となる食糧からコントロールしていこうというのだ。そういった戦略を、これから現場や行政で自国の農業を担おうとしている若い学生に明確に教え込もうとしていた。


  さらに・・・


日本人の米の生産・消費は激減し、今や日本の食糧自給率は40パーセントを割って、先進国では最低ランクだ。
一番の要因は穀物の輸入であり、輸入穀物の三分の二は、家畜飼料用の穀物(feed)である。飼料用穀物を牛や豚や鶏に食べさせ、それを人間が肉として食べる場合は、人間が直接食糧として穀物を食べる量の数倍を消費する。動物性加工食品中心の食文化に侵食された日本は、大量の輸入穀物に依存せざるをえない“体質”に変わってしまった。そういった事態は、実は数十年前から仕組まれた米国のシナリオにのっていたことになる。


 * * *


広く、深く、物事を知る努力を怠ってはならない。
そして、何が真実なのか、見抜く目を持たねばならない。
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ゼロからの脱却

2009-07-30 07:55:07 | 日記
日暮れ前、雨がやんだ。
畑に行った。
雲の間から夕日が差し込む。
棚田はオレンジ色の光に包まれた。

箱根会議で「食糧自給率」の話があった。
“日本は危機的状況にある”多くの方がそうお話された。
そして“自分食糧自給率”ゼロからの脱却の提言。

小さな畑に、いろんな野菜が育ち始めた。
大きく育ったキュウリが夕日に照らされていた。
その場でかじる。
自分の手で自分の命の源をつくる。

とうもろこし、大豆、にんじん、里芋、セロリ、ゴーヤ・・・いろんなものが元気に育っている。

収穫していると小さな蛙と目が合った。
なんだかうれしかった。
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拙を守る

2009-07-29 07:52:31 | 日記
昨日、中田宏横浜市長の辞任表明が報じられた。

 「国を改めるためには何でもやる」

そんな言葉があった。



   * * *



“守拙”(しゅせつ)という言葉がある。
小手先の技巧を弄することなく、愚直な生き方をかたくなに貫くことだ。
地位や名誉にこだわることなく、誠実のみに生きることだ。
巧言令色、俗世に媚びて、己の利を求めるが如きを卑しいとする生き方だ。

“守拙”
もともとは、陶淵明の漢詩の中の言葉。
夏目漱石も、『草枕』の中でこの言葉を使っている。

本気で思い、決心し、覚悟の人生を送る。
その覚悟を超えたところに、“守拙”があるという。




「国のために何でもやる」
守拙の思いでこの国を改めて下さることを期待する。
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歴史と地理を学ぶ意味

2009-07-28 07:15:40 | 日記
「これが、当時の教科書です」

目の前にあったのは、国漢学校の教科書だった。




米百俵の地・・・長岡。
小林虎三郎は、「教育を普及し、人材を育成することこそ、国家繁栄の礎」という理念を実現させるため、国漢学校を開設した。

この国漢学校は、現在、阪之上小学校となっている。
以前、米百俵の精神を学ぶため、長岡(新潟)を訪れた。
阪之上小学校には、伝統館が併設され、そこで当時の教科書と出会った。




「これは歴史の教科書。こちらは地理」
説明くださったのは、小学校の先生だった。

「なぜ、歴史や地理が大切なのか分かりますか?」
「歴史や地理・・・それは、自分の存在を認識するために学んでいたのです。歴史という時間軸の中で、自分は一体どこにいるのか。そして、宇宙の中の地球。その中の日本という空間の中で、自分はどこに存在しているのか。それを知るために学んでいたのです」

衝撃だった。
“知識を得る”ことが目的ではない、ということだ。
もっともっと深い目的があった。
少なくとも私は、そのような認識で歴史や地理を学ばなかった。

「なぜ私は存在するのか。どこに存在するのか。そして私は何をすべきなのか」
時空間の中で、自分の存在を認識することは、つまり自分の存在価値を認め、また自分のなすべきことをつかみ取る力となるのだろう。

子供たちの個性を生かし、一人一人の能力や天分を活かす。
そのためには、知識や技能を磨く場を与えることも大切だ。
でも、もっと大切なことは、人間の軸をつくる教育がなされることだと思えてならない。
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稲むらの火

2009-07-27 07:30:03 | 日記
水分を含んだ空は、抱えきれなくなった雨を、今日も地上に落としている。
毎日よく降る。

各地では、大雨による災害も起こっている。
災害が起こるたびに、思い出す話がある。

「稲むらの火」

ご存じだろうか。

現在の和歌山県広川町、江戸時代にあった本当の話である。

修身の教科書にも取り上げられていたという「稲むらの火」を紹介しよう。


    

   ///////////////////////



江戸時代も終わりに近い安政元年。紀伊半島を大津波が襲った。
「これはただごとではない」
とつぶやきながら、五兵衛は、家から出てきた。地震だった。
長くゆっくりとした揺れ方。腹に響くような地鳴り。
年老いた五兵衛もかつて経験したことのない不気味なものだった。

五兵衛は、高台にある自分の庭から、下の村を見下ろした。
村人たちは、豊年を祝う祭りの支度をし、地震をさほど気に掛けない様子だった。

五兵衛は、ふと海の方に目をやった。
そして、思わず息をのんだ。
大波が、風に逆らって沖へ沖へと動いていき、そのあとを追うように、海水で見えなかった砂原や岩底が、ぐんぐん広がっていくのが見えた。
「大変だ。津波が来る」
「このままでは、村人がひとのみにされてしまう」

五兵衛は、大きな松明を持って、家を飛び出した。
そこには取り入れたばかりの稲の束を積み重ねた“稲叢(いなむら)”が並べられていた。
農民にとって、命の次に大切なものだった。
「これで村人の命を救うしかない」
五兵衛は、いきなり、稲むらの一つに火を移した。
次々に、五兵衛は、すべての稲むらに火をつけたのだ。

日はすでに没していた。
次々と燃える稲むらは、天を焦がしていた。
「火事だ。庄屋さんの家が火事だ」
村人は、急いで高台へ向かって駆け出した。
駆け上がってきた若者が、火を消そうとすると、五兵衛は、大声で止めた。
「火を消してはならぬ。村中の皆に、少しでも早くここへきてもらうんだ」
村人は、命がけで育てた稲が燃えている様と、これまでにない厳しい目をした五兵衛の表情を不思議そうに見つめていた。

その時、五兵衛は、力いっぱいに叫んだ。
「見ろ。やってきたぞ」
五兵衛が指さす方に目をやると、暗い海の彼方に白い一筋の線が見えた。
その線がどんどん太くなり、一気に押し寄せてきた。
「津波だ」

村人は、波にえぐり取られ、跡形もなくなった村を、呆然と見下ろしていた。
稲むらの火は、風にあおられて、また燃え上がっていた。
初めて我にかえった村人は、自分たちがこの稲むらの火のおかげで救われたことに気づき、五兵衛の前にひざまづいて、手をあわせるのだった。
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