にんじんにっき

アトリエにんじん畑の作品紹介と日々のできごと。

チンチン電車の思い出。。。。

2011-02-28 04:11:05 | 家族
ずっとまえにチンチン電車の懐かしい思い出をいつかお話しますねって書いておいて、
すっかり忘れてて、お友達から「待ってるのにどんな話?」というリクエストがあったので今日はそのお話。

あれは小学1年生の夏。
うちの母は知る人ぞ知る超天然な人なのですが、子供には泳ぎを習わせたいということで、
夏休みに浜寺水練学校に私と兄を入れる手続きをしたのです。
でもその時入れるのは小学2年生から。私は1年生。
産まれた時から身体が大きかった私は3年生でも通用する体格だったので、小学2年生と偽り申し込みしたそうです。
しっかり者の兄は2つ年上の3年生。何とかなると思ったのかな~

近くにスイミングはたくさんあったのに何故、浜寺水練学校なのか・・・。
電車に乗って約1時間の通学はとても大変でした。それも毎日なのです。
身体とは反対に気の小さい私は行きたくなかったけれど、強く抵抗するでもなく兄と通うことになりました。
定期を首からぶら下げて最寄りの駅まで子供の足で徒歩10分。
そこから浜寺公園行の電車に乗らなければなりません。
兄がいるときはいいのですが、何故だか兄がいない時が多かったような・・・。
母と喧嘩して出かけたときは絶対に電車を間違えて天王寺に着いてしまうのです
そこが天王寺なんてことも知らない私は公衆電話を探し母に電話をして、
「知らんとこについてしもうた~」と泣きながら言うのです。
天王寺からの行き方は知らないので(今となっては簡単ですが)
「すねて出ていくからでしょ!〇〇行の電車が来たら乗って帰ってきなさい。」と母から言われて戻るのです。
同じことを数回繰り返す私。
いつも娘に「同じことばかり言わせて!学習能力ないの??」と言ってますが私の遺伝なのかも・・・。

そして母からの言いつけは絶対に途中下車しないことだったのにもかかわらず、
破天荒な兄は平気で途中で降りて遊びに行っちゃうのです。
私は怒られるからやめて~と懇願するのですが、全然聞いてくれなくて・・・。

その水練学校は男の子は帽子、女の子はハチマキをするのです。
そこにラインが入っててクラスが分かれてるのですが、
とにかくすごい人数なので来た人順にハチマキのラインごとに並んで、松の木の下で体操するのです。
だからいつも同じ人と練習するわけではなくて友達もできず・・・テンション
兄は運動神経が良かったのでどんどん上のクラスに上がってしまい離れ離れ。

辛いことばかりのようですが、帰りに兄と待ち合わせて浜寺公園駅前にあるお肉屋さんで
熱々のコロッケを食べるのがなにより嬉しくて毎日通ってたような(←単純)

そして、イヤだといいつつも翌年母にまた申し込みをされてしまう私なのでした。
でも翌年は私の友達とそのお兄ちゃん(うちの兄と友達だった。)と4人で通えるので
随分テンション上がってた私。。。それが悪夢の始まりだったとは・・・明日へ続く→★チンチン電車の思い出その2