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夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

責任を自覚すること

2004-05-05 22:57:22 | 随筆
昭和五十一年の夏八月、私は、鹿児島の九州総合研修所(現・二十一世紀自然研修道場)に集った、九州をはじめとする、学会後継の若き青年たちの代表八百人を前に語った。
「将来、もし、学会が、一歩でも二歩でも後退するようなことがあったならば、全責任は諸君にある。諸君がだらしないからだ。そう自覚してほしい」
厳しい言い方であったかもしれない。だが、わが青年たちを深く信頼するからこそ言ったのだ。責任を自覚するから、成長できる。責任は、自分を向上させる最高の近道なのだ。

武王はいかにして紂王を倒したか

2004-05-04 17:39:44 | 随筆
 武王はいかにして、この劣勢を打ち破っていったのか。
それは、武王は戦いを起すに当たり、敵の悪逆非道を鋭く突き、決起の大義を堂々と語り抜いた。そして、志を同じくするものを、大きく結合していったのである。
 「人々を苦しめる悪とは、徹して戦うのだ!」「今こそ立ち上がる時だ!」と。
 この堂々たる宣言に呼応して、陣列は大きく広がった。見方によれば、それは決戦の時には、何十万もの連帯になっていたと考えられる。 邪悪と戦う確信ある呼びかけに、人間は動く。正義に糾合されていくのだ。
 この鉄則を持ってきたがゆえに、学会も世界的になったのである。

(随筆・栄光燦たる5月3日よ)

先生とともに

2004-05-03 23:33:39 | 随筆
「私は先生と苦しんで戦うことが好きであった。先生とあらゆる非難をあびながら戦うことが幸福であった。そして先生と、この一生を、苦楽を共にしながら深い誓いの人生を生きゆくことが本望であった」

(随筆・北海道に輝け三色旗)

救いのない運命というものはない

2004-04-28 21:26:33 | 随筆
 どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。救いのない運命というものはない。
 「運命というのものは、人をいかなる困難にあわせても、必ず一方の戸口をあけておいて、そこから救いの手を差しのべてくれる」
 これは世界的に名高いスペインの作家セルバンテスが『ドンキホーテ』に綴った一節である。彼の信念がにじみ出ている有名な言葉だ。
 息苦しい陰惨な“不可能の壁が”、いかに頑丈に見えても、鬼神をも動かす厳然たる祈りと、勇敢なる信念の行動があれば、必ずや、永遠の希望に満ちた勝利の突破口を開いていけることはまちがいないのだ。

(随筆・大中部に轟く正義の勝鬨)

「勇猛精進し給え!」 

2004-04-28 01:16:47 | 随筆
 「勇猛精進し給え!」 
 初代会長・牧口先生は、常に青年に言われた。
 この「勇猛」とは、「敢んで為すを勇と言い、智を端すを猛と言う」とある。
 「勇」とは、「勇んで行動する」勇気だ! 状況がどうあれ、「さあ、今日も語ろう!」「さあ、今日も前進しよう!」と、勇んで立ち向かっていくことである。
 「猛」とは、「智慧の限りを尽くす」執念だ! どんな壁に突き当たっても諦めない。 「あの友を、どうすれば味方にしていけるか」「この友を、どうすれば納得させられるか」――必死に祈り、最高の智慧を発揮していくのが「猛」である。

(随筆・我が闘魂を九州青年部に託す)

外なる悪との闘争が内なる悪をも克服

2004-04-28 00:22:57 | 随筆
 仏法の壮大さは、外なる悪との闘争が、そのまま我が内なる悪をも克服していけると教えているところにある。
 悪と戦い続けるなかで、わが生命を根源から変革していく――そこに、汲めども尽きぬ功徳が涌き出ずる。これが仏法だ。これが信心だ。
 
蓮祖は「御義口伝」に、こう教えておられる。「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(御書七六二ページ)――自身の生命の濁りが滅し、清浄な善の生命が生じる。これが功徳である、との仰せである。
 功徳について、この御文の前には、「功徳とは六根清浄の果報なり」(同ページ)と明快に示されている。悪を責め、仏敵を倒す――その心意気で祈り、正義を叫びきっていく時、清浄にして無量なる仏の生命力が、心身に満ち満ちてくるのである。
 結局、どこまでも広宣流布に生き抜く「心」と「行動」のなかにしか、究極の幸福はあり得ない、との御指南だ。

(随筆・師弟正義の目黒)

「先駆」は「自分との戦いに先んじること」

2004-04-28 00:04:27 | 随筆
 「先駆」とは、“人に先んじる”だけではない。 いざ新たな戦いを起こそうとした時、誰でも最初に突き当たるのは、自分自身の心の壁である。「難しい」「苦手だ」「できない」―そうした自身の壁に、勇気を奮ってぶつかることだ。

 壁を破れ!汝の戦場から逃げてはならない。古代ギリシャの詩人エウリピデスが歌ったごとく、「勇者は真向から立ち向ってこそその名に恥じぬもの」なのだ。
 すなわち“自分との戦いに先んじる”人こそ、偉大なる深き人生を生き抜いた、まことの勝利の人の異名だ。

(随筆・大九州の誉れの使命)

困難を愛するとは生きることを愛すること。

2004-04-27 23:19:22 | 随筆
 誓いを貫くとき人は幸福になる。ある登山家は、アイガー北壁を登りきった喜びを書いた。「闘いは終わった。私たちは感激しながらお互いに顔を見合す」「なぜこのようなつらい登攀をすました後でも、こんなに幸福なのだろう」

 登山家は危険を愛するのではない。困難を愛するのだ。困難を愛するとは人生を愛することだ。生きたいのだ。いのちを燃やしたいのだ。肉体と精神の極限に挑みたいのだ。アルプスの高嶺にこそ、この熱き思いを満足させてくれる場所があったのだ。

 我らも、さらなる高みを目指そう。上へ、もっと上へ。一歩一歩、高みへ登ろう。登る悪戦苦闘の中にこそ、人生の醍醐味はあるからだ。

(我がふるさとは世界)


母の声は太陽の声

2004-04-27 23:17:09 | 随筆
 ひとりの少年がいた。気が弱くて、いじめられても言い返せなかった。まわりは言った。「そんなんやからいじめられるんや。もっと強うならんと」少年も変わりたいと思った。しかし、そう思えば、思うほど、変われなかった。

 「変われ、変われ」と言う声は「お前はダメだ、ダメだ」と聞こえた。「もっと頑張れ、もっと」という声が「頑張らない奴なんか、いらない」と聞こえた。少年はうなだれた。

 見かねたお母さんが言った。「ええの、ええの。変わらんでええの。あんたは、そのまんまでええのよ。あんたは何も悪うない。いじめるほうが100パーセント悪いんやから。あんたが何したって、お母ちゃんだけは、あんたの味方や。それだけ覚えておけばええの。生きてさえおればええの。そのままで、変わらんとって。気が弱うても優しいあんたが好きなんやから。な、変わらんとって」

 不思議なことに、変わらないでと言われたその時から、少年は変わり始めた。自信をもち、顔を上げて生きるようになった。母の声は太陽の声だった。太陽はありのままを愛する。桜は桜、すみれはすみれ。みんな自分らしく花開け。生きとし生けるものよ、みんな私の光を存分に浴びて、伸びていけ。幸せになれ。仲良くあれ。地球よ、平和の園になれ。

(我がふるさとは世界「平和の園」)