気分はいつも、私次第

ETV特集『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~』<1>

    NHK Eテレ ETV特集
    シリーズ データで読み解く戦争の時代 第2回 
      『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~』


2018年8月25日(土)23:10~放映を録画して視聴しました。
また再放送は2018年8月30日(木)0:00~(29日(水)の深夜ね)から
という予定になっています。
見てみよう、とお思いの方はこの再放送で!

えっと・・・・番組内では戦争ですから、酷い映像もあります。
それに耐えられない・・・・とお思いならば・・・・自分で考えて。

また、この記事はすっごく長いです・・・・
だから「長いのは嫌ッ」なら、読まないでね。


HP、貼っておきますね(期間限定かな?)


NHK Eテレ『ETV特集『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~』


タイトル通りです。
日中戦争・太平洋戦争での戦闘で精神疾患を発症した兵士のことを中心に
兵士と精神疾患について、の番組です。

番組内で言及していましたが、
やっと多くの人が知るように・・・・と。

そうでしょうか?と私。関連する本は、昔からあったはず。
たとえ、専門家の専門書として“堂々と”出ていなくても
数々の証言には、その関連するものが沢山あったはず。

私も読んだからです。それも小学校高学年の時。
・・・・・この話は以前にも書きましたが、もういちどココでも書きます。
   御了承下さい。

私が子供の頃には、戦争に関する本、子供向けも沢山ありました。
子供向けには、やはり証言者が子供、という場合が多かったかと。
私が読んだ証言も、小学校高学年の女の子が書いたものでした。
どこで読んだのか・・・・学校の図書館しか思いつきません。
(大阪からド田舎県のドド田舎に引っ越したので。書店などない)

ただね、背表紙がピカピカだったのを覚えています。
多分、誰も手にしなかったのでしょうね。だから綺麗な背表紙。
子供が体験した戦争の証言集でした。
もうどんなタイトルの本か?覚えていません。

***********

小学生の女の子=“私”は父親と暮している。
(母親や他の兄弟姉妹については??・・・)
戦地から兄が帰ってきた。父も“私”も大喜び。
しかし兄は様子が変わっていた。意思疎通もできないし、表情もおかしい。
父は「戦争で大変だったから。段々と落ち着いてくる」と。
しかし、兄はいきなり暴れだしたり・・・・
最も困ったのは、食べ物を漁りだすこと。
自宅では勿論、近所の家に入って漁ったり、他人の畑から盗んだり。
最初は「仕方ない」と思ってくれた方々も、度重なると・・・
父は“私”に学校を休んで、兄を見張れという。
言われたとおり見張っていたが、力では勝てるはずがない。
兄を止められない。父も仕事を休んで・・・・同じこと。
父は泣く泣く兄を病院へ入れることにした。
暴れる兄を、病院の人が無理やり自動車に押し込む。
父は泣いた。“私”も泣いた・・・・

***********

子供の私が読んだのですから・・・
でも、関心が薄かった・・・・ということは事実でしょうね。

私は、私の父は語る威勢の良い戦争の話とは、違う話がある。
もしかしたら、酷い話も本当の事かも知れない。
(威勢の良い話に、ちょっと辟易していたこともあったので)

さて・・・・ETV特集ですね。
この放映日には、民放では・・・・毎年恒例のアノ番組が放映されていて。
いや、アノ番組で、助かる方々もいるでしょうからね。
否定をするわけではないのですが・・・・でも「やるナァ」って気はしましたね。
Eテレ、攻めの姿勢!ですか??とか・・・・

千葉県のある精神科病院の倉庫。
敗戦直後の焼却から免れた陸軍病院の極秘資料が残されている・・・・
日中戦争から敗戦までの間に、
精神神経疾患を患った約8000人の兵士達の病床日誌(カルテ)だ。
(番組内で何度も「8002人」と言及されているので、8002人が正しいようで)

この病床日誌には、
ひとりひとりの出身地や職業、部隊名、発病時が記されている。
医師との問診、治療経過なども書かれている。

「・・・・大声を発し、凶暴性となり、突然跳起(はねおき)
 井戸に身を投ず」

このカルテは、国府台陸軍病院の軍医達が、終戦後密かに持ち出したものだ。

この軍医の中に、浅利慎之氏(精神科医)の祖父がいた。
浅利氏が語る・・・・
「・・・・カルテは陸軍から焼却命令が出ました。
 医師たちは、この貴重な資料を後の世に残さなければならないと
 国府台病院の庭に穴を掘り、ドラム缶に詰めて、カルテを保管した、
 と聞いている・・・・」

このカルテを分析し、発祥地や部隊名を示していく・・・
中国での戦闘で多くの発症者がいることが分かってくる。

当時、代表的な戦争神経症とされていたのが
臓躁病(ぞうそうびょう)=ヒステリーです。
当時の医師が録画した患者の映像もありました。
映像のタイトルは「ヒステリー病像の種々相 紀元2599~2600」
(・・・・“紀元”は・・・・分かるよねぇ・・・・西暦じゃないよ)

WW1中、ヨーロッパで多発した「シェル(砲弾)ショック」
(端折っていうと、戦闘(砲弾)が原因の神経症)
当時陸軍は、このシェルショックを認識していたが
しかし「日本軍には皆無である」と発表。

ここで、当時の新聞=1939(昭和14)年4月5日読売新聞が映ります。
大きな見出し
「大戦名物の“砲弾病” 皇軍には皆無」
(漢字は旧字体のものもありますが、御勘弁)
この説を発表した専門家の博士の写真も。

その一方で陸軍は、優秀な精神科医を集めて
国府台陸軍病院で、戦争から発症する神経症の研究を行わせていた、と。

番組では、歴史学者の中村江里氏の協力のもと
(中村氏は、戦争における兵士のトラウマを研究)
8002人の兵士のデータから見えてくるものを分析します。

日中戦争の勃発から、患者は増加し続ける。
当時の状況は?
多くの発症者がいた河北省。
ある発症した兵士、上岡さん(仮名)
妻と娘。優秀な大工として、働いていた。
河で溺れかけた友人を救助し表彰されたという記録も残っている。
そんな上岡さんが、中国の河北省へ。
そして・・・就寝中に発作に襲われる。激しい震え、心臓発作のような症状が。
医師は、
「任務遂行の為に疲労困憊してしまった。身体の抵抗力が弱まり発病した」と。

上岡さんの任務について説明がある。
日本軍は兵力は足らず・・・中国軍との緊張が続いていた。
中国軍からの狙い撃ち・・・この時対峙していたのは八路軍(中国共産党軍の通称)。
上岡さんの所属する軍は、鎮圧に赴いた。

えっと・・・・番組内でも言及されています。
便衣兵、御存知でしょうか?
端折って言いますと、民間人(一般市民)と同じような服装をして
市民に紛れ込んでいる戦闘員、を指します。
日中戦争では、この便衣兵で日本軍は苦しんだと、多くの文献に記されています。

上岡さんたちも同様で。
女性や子供・・・も向かってきます。
当時少年便衣兵であった男性たちの証言もありました。
日本兵、そして日本の協力者を捕まえ銃殺した、と。

上岡さんは、この治安作戦の後発症したようです。
カルテに記されている上岡さんの言葉
「六人ばかりの支那人を殺したが、
 その中十二歳の子供を突き殺し、可哀想だなと思ったこと 
 いつまでも頭にこびりつき 病変の起こる前には、
 何だかそれが出て来る様な感がする」

この後上岡さんは送還され、国府台陸軍病院で入院。
体調が回復することはなかったという・・・・

細渕富夫氏(埼玉大学教育学部教授)
精神障がい兵士の研究を続けている。
カルテから、発病の原因を読み解いているという。
上岡さんの言葉から、
自分の子供と同じくらいの子供を殺したことが・・・・と。

細渕氏
「一農民兵士が出て行くわけで
 通常、毎日家族と農耕してた生活の中から
 突然「人を殺せ」と言われる。
 そのギャップは、ものすごく大きいんですよ。
 一体なんの意味があるのか。
 どこと戦っているのかさえよく分からない状況で戦わされる。
 このストレスがヒステリーのある症状として、出てくることが多いと思う」


・・・・・・・・・・・続きます
書いてるとね・・・・辛いんだわ・・・・・
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