短いツイッターです。
一昔前まで位のテレビドラマで、登場人物が、「ほら、コンピューターになんか頼るなよ!」と言う場面は普通にあった。
ところが最近の人達は、インターネットに載っている事が全てで、載ってい無い事は存在し無いと、考え違いをなさっている方が随分とみられる様に思われる。
しかし、インターネットに載っている事が全てでは無い、のである。
例えば、自分の敬愛するフルート奏者オーレル・ニコレは今では誰もが認めるフルートの巨匠だが、ニコレがデビュー当時の昭和30年代に書かれた音楽評論の雑誌には、「ニコレの音色は軽すぎる」などという評価を当時の音楽評論家が書いたものを自分は図書館で読み記憶しているが、この様な事は、インターネットで今日どの様に検索しても載ってい無い。
ゲーテのファウストで、「Das Ewig-Weibliche(永遠に女性的なるもの」という単語がファウストの最後で出て来るが、三重苦のヘレン・ケラーが読んだ英訳ではこの単語が「Woman’s soul
」と英訳されている事は、自分が実際に読んだ英文の本に載っていた事であり、インターネットでいくら調べても載ってい無い。
これらはほんの一例である。
以上、今ふと思いついたことを日記に書いておいた。
今はこの位にしておこう。
一昔前まで位のテレビドラマで、登場人物が、「ほら、コンピューターになんか頼るなよ!」と言う場面は普通にあった。
ところが最近の人達は、インターネットに載っている事が全てで、載ってい無い事は存在し無いと、考え違いをなさっている方が随分とみられる様に思われる。
しかし、インターネットに載っている事が全てでは無い、のである。
例えば、自分の敬愛するフルート奏者オーレル・ニコレは今では誰もが認めるフルートの巨匠だが、ニコレがデビュー当時の昭和30年代に書かれた音楽評論の雑誌には、「ニコレの音色は軽すぎる」などという評価を当時の音楽評論家が書いたものを自分は図書館で読み記憶しているが、この様な事は、インターネットで今日どの様に検索しても載ってい無い。
ゲーテのファウストで、「Das Ewig-Weibliche(永遠に女性的なるもの」という単語がファウストの最後で出て来るが、三重苦のヘレン・ケラーが読んだ英訳ではこの単語が「Woman’s soul
」と英訳されている事は、自分が実際に読んだ英文の本に載っていた事であり、インターネットでいくら調べても載ってい無い。
これらはほんの一例である。
以上、今ふと思いついたことを日記に書いておいた。
今はこの位にしておこう。