匿名希望者のブログ

日記の様に思いついたことを何とは無しに書いておく。

インターネットに載っている事が全てでは無い。

2019年06月25日 12時40分24秒 | 日記
短いツイッターです。

一昔前まで位のテレビドラマで、登場人物が、「ほら、コンピューターになんか頼るなよ!」と言う場面は普通にあった。

ところが最近の人達は、インターネットに載っている事が全てで、載ってい無い事は存在し無いと、考え違いをなさっている方が随分とみられる様に思われる。

しかし、インターネットに載っている事が全てでは無い、のである。

例えば、自分の敬愛するフルート奏者オーレル・ニコレは今では誰もが認めるフルートの巨匠だが、ニコレがデビュー当時の昭和30年代に書かれた音楽評論の雑誌には、「ニコレの音色は軽すぎる」などという評価を当時の音楽評論家が書いたものを自分は図書館で読み記憶しているが、この様な事は、インターネットで今日どの様に検索しても載ってい無い。

ゲーテのファウストで、「Das Ewig-Weibliche(永遠に女性的なるもの」という単語がファウストの最後で出て来るが、三重苦のヘレン・ケラーが読んだ英訳ではこの単語が「Woman’s soul
」と英訳されている事は、自分が実際に読んだ英文の本に載っていた事であり、インターネットでいくら調べても載ってい無い。

これらはほんの一例である。

以上、今ふと思いついたことを日記に書いておいた。

  今はこの位にしておこう。
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健康的な笑いが必要なのでは無いのか。

2019年06月25日 12時21分44秒 | 宗教
短いツイッターです。

先程投稿した記事だけれども、昔、友人と話をしていて、その友人がホモに狙われたという会話になり、「筋肉質って、嫌い?」と言われたという事になり、「オエーッ!」とゲラゲラと笑った。

そういう、ノーマルで、健康的な笑いが必要なのでは無いのか。

健全で健康でノーマルなものが必要なのでは無いのだろうか。

以上、メモを書いておいた。

  今はこの位にしておこう。
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2019年6月25日火曜日、「ホモ、気持ち悪い」。

2019年06月25日 11時45分07秒 | 宗教
短いツイッターです。

最近LGBTの権利が云々、という風潮が生じ、うかつにものも言え無い時代だが、「ホモ、気持ち悪い」、と感じて何か悪いのだろうか。

あらゆる生きとし生けるものには雌雄があり、それが生命の根本原理となっている。

大自然の摂理に反するものを、「気持ち悪い」と感じて、何か悪いのだろうか。

以上、ちょっと思いついたことを日記に書いておいた。

  今はこの位にしておこう。
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下手に出れば舐められる。

2019年06月23日 14時16分14秒 | 宗教
短いツイッターです。

インターネットやパソコンがわから無い自分だけれども、インターネットを実際に行ってみて実感している事は、下手に出れば舐められる、という人間という生き物の本性にぶち当たる、という事である。

だから、自衛のために、時には悪い要素も織り交ぜながらインターネットを行う必要性がある様に思われてなら無い。

以上、思ったことをメモしておいた。

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2019年6月23日日曜日、全ては人間という生き物の本性に根差している。

2019年06月23日 11時23分18秒 | 宗教
短いツイッターです。

恐ろしい犯罪や、政治家の問題行為、憎み合う戦争、弱い者虐め、などは、全ては人間という生き物の本性に根差している、と自分は思う。

さればこそキリストは、「あえて」「汝殺すなかれ」と説いたのだと思う。殺人罪の無かった当時は、本当に人間が殺し合い絶滅する恐れがあったのだと思う。

その意味においてはアウシュビッツは、極めて「人間的な」といおうか「人間という種族に特徴的な」施設だったと思う。

自分には、アドルフ・ヒトラーという政治家は、巧みに「人間という種族の本質」を見極められる天分のあった人物の様に思えてなら無い。

以上、ちょっと思いついたことを日記に書いておいた。

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「先生の顔を見なさい!」と怒鳴られて振り向いたら吹き出してしまい背中を叩かれた。

2019年06月21日 14時17分59秒 | 日記
短いツイッターです。

小学校2年の担任の先生は、まだ先生になったばかりの若い女性の先生だった。

ある日の授業の直前だった。

何か自分はクラスメートと冗談を言って笑っていたのだが、そこへ担任の和田先生(仮名)が教室へ入って来たので、みんなは笑うのをピタリとやめた。

だが、自分だけが何故か笑いが止まらず、困ったなと思ったら、和田先生がツカツカと自分の後ろへやって来て、「先生の顔を見なさい!」と怒鳴られて振り向いたら吹き出してしまい背中を叩かれた。ピシャーン!と、強く叩かれた。
何故自分が吹き出してしまったのかよくわから無い。
ただ、和田先生が、物凄い形相で自分を見ていたので、余計にかえって吹き出してしまったのだと思う。

そんなことを思い出したので日記に書いておいた。

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プール授業のずる休み。

2019年06月21日 13時32分19秒 | 日記
短いツイッターです。

また、自分が小学校低学年の時に通っていた小学校は、大勢の生徒のいるいわゆるマンモス学校で、25mのプールがあり、夏になると決まってプール授業があり、その度に自分は、プール授業のずる休み、の事がつらく嫌だったのを思い出す。

自分は当時全く泳げず、顔を水につける事さえ出来無かった。

それがプール授業になると、先ず教室で海水パンツに履き替え、裸足で廊下を歩いてプールまで行き、プールの前に冷たい水のシャワーを浴び、腰洗い槽という強い塩素の入った狭い所に腰をつけて入り、準備体操をした後でプールに入るわけだが、プールに入っても教師がプールの底に拾う物を投げ入れ、それを潜って拾わ無ければいけ無いので、潜る事の出来無い自分は何も出来ず、こういった一連の事が、身の毛もよだつ程嫌だったので、結局自分はずる休みをする事にして、プール授業はいつもプールサイドのベンチに座っているだけ、という事になってしまった。

あのプールの塩素の匂いを嗅いだだけで、ゾッとした。

当時の自分が、どういう言い訳をつけて教師に毎回ずる休みの許可を得ていたのか、何故か思い出せ無いのだが、ずる休みというのは正直気分のいいものでは無かった。

以上、思いついたことを日記にメモをしておいた。

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2019年6月21日金曜日、仮に人間の知性の値を1とすると。

2019年06月21日 12時16分02秒 | 宗教
短いツイッターです。

馬力、という力を表す単位がある。

だから、百万馬力ならば、馬が百万頭集まった力、という事になるのだろう。

これと同じ様に、仮に人間の知性の値を1とすると、現実にはそうした知性が宿っている生命体がい無いだけで、単位としては「知性100」「知性百万」という単位の存在自体は成り立つと思う。

つまり、人間の知性をはるかに超えた知性の存在そのものはー現実にそれが宿っている生命体がい無いだけでー成り立つという事になると思う。

以上、今ふと思いついたことを日記に書いておいた。

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2019年6月16日日曜日、お向かいのお宅が火事になら無かったこと。

2019年06月16日 10時36分37秒 | 日記
短いツイッターです。

昔、幼稚園から小学校低学年まで、自分の家はある街の団地街の様な所に住んでいたのだが、よく折に触れて、お向かいのお宅が火事になら無かったこと、を思い出す。

あれは夕ご飯が終わって日が暮れた時間帯の事だった。

お向かいのお宅に、アイちゃんとマイちゃん(仮名)という一卵性双生児の姉妹の幼馴染が住んでいて、二人とも瓜二つなので正直自分は区別がつか無かったのだが、突然、アイちゃんかマイちゃんのどちらかの声かわから無かったが、「ママー!死んじゃうよー!」という悲鳴が聞こえ、自分達はビックリして窓からお向かいを見た。

すると、お隣の竹中君(仮名)が、「小西(仮名)さんのお宅、火事だってー!」と叫ぶ声が聞こえ、みんなで外へ出てお向かいのお宅へ駆けつけた。

辺りは騒然として、近所のお宅から大勢の方がビックリして集まり、アイちゃんとマイちゃんは泣き叫んでいた。
お母さんがお一人で消火器で火を消しているのだという。

幸い、消防車が来るのが速かったので、火は完全に燃え広がら無い内に消火され、ボヤで済み、けが人も一人も出無かった。

消火器で火を消したお母さんも無事だった。

しかし、どのお宅からも皆さん駆けつけて集まり、大騒ぎな状態になっていたが、「ボヤで済んだ!アイちゃんマイちゃんお母さんも無事でよかったね!」と大人の方々がなだめていた。

その様なことが、自分が小学校一年生か二年生の頃にあり、そのことを何故か折に触れてよく思い出す。

以上、今ふと思いついたことを日記に書いておいた。

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価値観は多様化されておらずむしろ一元化されている。

2019年06月09日 13時31分59秒 | 考古学・歴史
短いツイッターです。

LGBTやジェンダーの方々の権利、などと、今は価値観が多様化されている、という漠然とした常識の様なものがあるけれども、自分などは、価値観は多様化されておらずむしろ一元化されている、と感じ思っている。

昔、80年代や90年代の方が今よりもよほど生き生きとして個性があり、多様な価値観が存在した様に思われる。

現在は、個性が無いと言おうか、生き生きとした個性に乏しく、価値観は甚だしく一元化されている様に思われてなら無い。

以上、短いツイッターを書いておいた。

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