もはや、これで64記事に。もう、64件も、記事を書いたのか。だが、自分には、まだブログと日記の区別が付か無い。いわゆる、Twitterというものの、延長の様なものなのだろうか。昨日は、自分のブログをチェックしていたら、緑色の文字で、検索ワード、神、虫かご、と、5月1日日曜日の日記に、表示されたが、結局は、何も無かった。そこで、確かに自分は、その日の日記で、神、という畏れ多い事に付いて、書いてしまった事も、事実である。 きっと、どなたも、この疑問を、一度は抱かれると思うのだが、神、は、本当にいるのだろうか。人として、実に、素朴な問いである。例えば、ヘッセの車輪の下でも、実は、神の存在など、全く信じてい無い、牧師や、神学校の教師、校長、などが描かれており、そうした、宗教的エリートとは、全く無関係の、靴屋の親方フライクさんが、非常に信心深く、主人公ハンスの、最期の葬式の場面にも、登場し、そうした牧師や教師を指さして、彼等がハンスを、この様な目にあわせた、と、指摘する場面が、印象的である。 自分も学生の頃、妙な講義を受けた。それは、単位を取るのが必修だったもので、分厚い旧新約聖書をテキストにし、キリスト教にまつわる、ありとあらゆる事を、暗記させられ、マタイの福音書では、ここは、こうであるが、ヨハネの福音書では、こう、変更されている、などというもので、それを、担当する教授も、私は某大学で博士号を取り、ドイツの某大学で、その後もキリスト教を研究したが、キリスト教徒では無い、等と、平気で言う。あの頃は、自分も若い学生だったから、単位を取る事に必死で、深く考える事は、無かった。ふーん、そういうものなのかな、くらいにしか、考え無かった。結局、その講義を受けて、実りはあった。西洋に付いて何かを考える場合、いかに、キリスト教や旧約聖書の知識が、どれ程基本になるのか、という事を、身に染みて、実感させられた。が、あくまでも、知識、に付いて、である。神、という、そのものに付いては、その講義では、何ら教えられ無かった。 いや、妙な思い出話を、書いてしまった。何を言っているのだろう、自分は。あくまでも、これは日記であり、いわば、Twitterの長い様なものだ。 今はこの位にしておこう。
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初めてコメントさせて頂きます。
全く別の発想のですが、今、神も仏もいない方が良いのでは考え始めています。
宗教の多くは、愛を説きますが、歴史を振り返りますとイスラムvs.キリスト教、そしてキリスト教内でもカトリックとプロテスタントの血で血を洗うような争いがあり、日本のような八百万の神々がおられるゆるい宗教的感性が逆に素敵だと思えるようになって来ました。
朝から長々と駄文を書いてしまいましたが、また、お邪魔させて頂きます。
2018.07.20 HN.平 凡太郎
この度は、コメントを下さり、また、読者登録をして下さり、どうもありがとうございます。
そうですね、ヤハヴェ教や仏教、イスラム教は一神教ですから、もともとの日本の土壌とは、本来異質なものなのかも知れません。
私は個人的に、八百万の神々のみならず、古い忘れ去られた神々である妖怪やアニミズム、シャーマニズムにも興味を持っています。
それでは、重ね重ね、コメントを下さり、また、読者登録をして下さり、どうもありがとうございます。
どうぞよろしくお願いいたします。