匿名希望者のブログ

日記の様に思いついたことを何とは無しに書いておく。

2019年12月29日日曜日、佳子「さん」お誕生日おめでとう。

2019年12月29日 12時07分12秒 | 考古学・歴史
短いツイッターです。お読みになられ無い方は、あえてお読みになら無いで下さい。

大変恐れ多い事を申し上げます。
佳子「さん」お誕生日おめでとう。心より祝福申し上げます。一「日本国民」として。

自分は「反日左翼」でも「非国民の輩」でも無い。

「皇室」が、恐れ多くも日本の古来からの格式の極めて高い「日本神話」に登場される「天照大神」の血筋を引いておられる根拠は、わずかに「日本書紀」と「古事記」のみである。

そのささやかな「真実を」名乗りたいのであれば、公明正大に「古墳の発掘調査」をなされればよろしい。

それだけの事。

一日本国民としてそう思う。まあ、北朝鮮で「金云々将軍閣下」がどうのこうのと同じともあえて書く必要すら無いが。

以上、ふと思った「真実ーそれもささやかなー」を日記に書いておいた。「たった赤紙という紙切れ一枚で1憶人もの罪無き国民ー、その『呪いの恐ろしい血』がー云々」とも述べる必要すら特に無いが。

あらためまして佳子さん25歳のお誕生日謹んでおめでとうございます。健康には気をつけて。幸多い良いお年をお迎えください。

  今はこの位にしておこう。
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2019年12月28日土曜日、「残忍な宗教」。

2019年12月28日 14時01分03秒 | 宗教
短いツイッターです。

自分は特にキリスト教に対して何ら個人的な実害を受けた事があるのでは無いのだが、よく考えれば、「キリスト教」程およそ考えれる得る限りにおいて、「残忍な宗教」、は無いのでは無いのか、と思う。

キリストたった一人の誕生のために、ベツレヘムの2歳以下のそれこそ「天使の様に穢れの無い」の何の罪も無い嬰児がむごたらしく虐殺されている。

中世の魔女狩りに関する身の毛もよだつ様な恐ろしい拷問・虐殺・が、アウシュビッツと何が違うのか。

ダビデは、恐らくは巨人症という「障害者」のゴリアテの首を撥ね、人妻であるバテシバという奥方のご主人をあえて戦地で意図的に殺害させ、人妻を犯し、孕ませている。
「ミケランジェロのダビデ像」は西洋美術における高度な芸術作品だと思うが。

これが「隣人愛」であり「愛」なのだろうか。

安土桃山時代の武将たち、徳川家康様が「禁令」とするのは「理の当然」では無いのだろうか。

ふとその様なことを思いついたので、特に日記に書いておいた。
自分は、一「日本人」として、遺憾の念を禁じ得ず、「八百万の神々」や「仏様」に藁をもすがりたい思いで、「新年 令和二年 2020年 ねずみ年」を迎えたい。
「嘘をついた聖母のマリア様」は地獄にでも落ちればいいと思う。その「嘘」で何億もの罪無き「植民地支配を受けた先住民の方々」が白色人種によりむごたらしく殺められた事であろう。
いやはや罪深き自分も「極悪人の輩」には「脱帽」と言わざるを得無い。

ああ、「日本人」に生まれて、本当に良かった。

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2019年12月27日金曜日、あえて「クリスマスの日」に「逮捕」が選択された理由。

2019年12月27日 13時20分30秒 | 考古学・歴史
短いツイッターです。

先日の「逮捕された2名の議員」の事だが、あえて「クリスマスの日」に「逮捕」が選択された理由、について自分なりに考えてみた。

実は、あれは単なる安倍首相達「中枢」が、「私達の『権力』は警察には及んでいませんよ」という「警察とは無関係ですよ」という事を、「国民に」わざと特にとりわけ強調しておきつつ、「小物議員など捨てておけ、『ギャンブル法案』を粛々と押し進めましょう」という「演出・演技」に過ぎ無かっただけの「お話」だけの話なのかも知れ無い。
だからこそ誰もが注目するに決まっている「2019年 令和元年 12月25日 クリスマスの日」に特に「警察」に逮捕「させた」のかも知れ無い。恣意的意図的な「目的」があって。

事実報道各社は、安倍首相、麻生副総理、菅官房長官、といった「存在」については何も報じてい無い。

「特定秘密保護法案」「共謀罪(治安維持法)」「マイナンバー」はとっくに施行されている。「『中枢』は警察・検察庁とは大親友同士」という実は「とても怖い話」なのかも知れ無い。

自分の思い過ごしであれば良いのだが。単なる考え過ぎの杞憂であると思うのだけれども。その様なことをふと思ったので日記に書いておいた。

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2019年12月25日水曜日、「何故『私』が?」。

2019年12月25日 11時41分03秒 | 考古学・歴史
短いツイッターです。

秋元元副大臣が逮捕された様である。
が、「クリスマスプレゼント」として思いもよらずに「逮捕」されてしまった若干48歳の彼の胸中をよく考えてみれば、「何故『私』が?」、という思いで泣き出さんばかりのものがあるのかも知れ無い。

そもそもが、「ギャンブル」なぞで「国の負債(それも奇妙な)」を補填しようという事自体が尋常な話では無い。

「本当の『黒幕』」や「お仲間」は、実はいるのかも知れ無い。

それはしかし、「検察庁」や「検察官」の職務であるのだから、自分などが考える事では無い。

が、こういった輩を本当の「売国奴」や「国賊」「非国民」「『愛国心』に欠如した人」と言うのであろう。

くだらないニュースに関わっている暇は無い。

潔く、未練がましく無く、「代議士のバッジ」を取って、消え去れば良い。

以上、ふと思ったことを日記に書いておいた。

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2019年12月23日月曜日、簡単な事。

2019年12月23日 14時02分57秒 | 考古学・歴史
短いツイッターです。

安倍首相が「憲法改正」が云々であるだとか、「自衛隊の海外派兵」が云々などと言い、「靖国神社参拝」であるだとか「旧日本軍の蛮行」は「八紘一宇」の高邁な思想に基づいて「欧米列強からアジアの国々を植民地支配から解放した『聖戦』」であり、従って「大東亜帝国」は正しい、それを称賛する首相の親友のスキンヘッドの物書きさんが書いた読み物が正しいから非常に売れ、その反対に仮にも「ノーベル文学賞受賞作家」である大江健三郎氏が「反日左翼思想」の持ち主の「国賊」に過ぎず、漫画「美味しんぼ」の原作者である雁屋哲氏も「同罪」であるかの如く糾弾されているという現実がある。
自分は大江健三郎氏の作品を実は一つも読んだ事が無い。ただ大江健三郎氏その他の方々達が書かれた文章を拝読した限りにおいて、「この方々達は納得のゆく事を述べている」という感想を持っているに過ぎ無いただの素人だけれども。

「愛国心」「ヘイトスピーチ」「天皇崇拝」「君が代」「美しい日本」等々を積極的かつ恣意的・意図的に人様に対して押し付ける人達は、簡単な事、として、「そんなに『愛国心』がおありでしたら、皇室と特に深い関係のある中国や朝鮮半島・東アジア諸国から既に古来に伝来していた皇室のとりわけ愛好されておられた音楽、例えばですが、『雅楽』の『平調の陪臚』という楽曲につきましては、勿論、言うまでも無く造詣が深い事となりますよね。御説明して下さい」といった質問にも勿論何無く答えられる用意と備えが常にある、という事になる。
もしもそうで無ければそれは「皇室に対する侮辱」であり「世界最古の伝統と格式のある皇室の権威を失墜させ」「非国民」「反日」かつ「国賊」のそしりを免れる事が出来無い。

安倍さんが「憲法改正」強くお望みであれば、簡単な事、「国民投票」にてその是非を問えば良いのだと思う。

「天皇陛下」の御先祖様についても、あれやこれやと梅原猛先生のなさる様に、憶測に基づいた推測で「本」を「売る」事によって天皇陛下から「勲章」を頂くのでは無く、「古墳」を隅々まであらゆる方法と手段で科学的な知見から「調査」をすれば、すぐにわかる事。

実に、簡単な事。

やれやれ、またこの「師走」の年末の忙しい、額に汗をかき働いておられる実直な真面目な一億もの「日本国民」の方々を軽んじておいて、まさかとは思う杞憂に過ぎ無いとは思うけれども、「長州藩士とA級戦犯の御霊の」「靖国神社参拝」で「愛国心」ですか。
全くわけがわから無い。どの様にありとあらゆる観点から考えてみても、やれやれ、本当にやりきれ無い思いだ。

ふとその様な事を思いついたので、気分の赴くままに日記に書いておいた。別に他意は無いけれども。それに特に強調しておきたい事実として、自分は政治には寧ろあまり関係の無い「反日・左翼思想」の者でも無いのだし、ましてや韓国人や中国人及びその他のアジア諸国の方々の友人・知人がいるのでも無い。「国会中継」などテレビでほとんど見無い。「赤旗」も勿論購読してい無い。たまに気が向いた時に「雅楽」を聴いてリラックスしたり日本の神社仏閣の事について調べて見たり、時間的余裕があれば「神社のお祭り」で「御神楽」を楽しんだりする程度のただの日本人の一人に過ぎ無い。

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2019年12月22日日曜日、ユダという率直な青年は「教祖の悪行」を許す事が出来無かった。

2019年12月22日 14時41分26秒 | 宗教
短いツイッターです。(特に悪意があるわけではありません。ただ率直にそう思うだけです。)

一体、処女から子供が産まれるのだろうか?
神が父親という人間がいるのだろうか?

自分は、そうは思は無い。

ユダという率直な青年は「教祖の悪行」を許す事が出来無かった。
よって、「虚言癖で誇大妄想の煽動家の教祖」は、当時その地をローマ帝国によって派遣され責務を任されその責務を全うしていたポンテオ・ピラトという名の有能な政治家の判断と裁量に基づき「死刑」に処されたに過ぎ無い、と自分は思う。ただそれだけの「史実」だったに過ぎ無いと思う。

これから12月25日になると「クリスマス」になる。
これは、元々がローマ帝国の「国教」であった「ミトラ教」の「冬至の祝祭」であり、その「ミトラ」が遠い異国に日本へ伝来して「弥勒菩薩」となった。

クリスマスに水を差したい意図は毛頭無いのだけれども、この「歴然たる史実」が物語る事実について冷静になってみて少し思いを馳せつつこの日を迎えたいと自分は思う。

今日12月22日は2019年の「冬至」だ。

そうか、「ミトラ教」の「ミトラ」が転じて「弥勒菩薩」か。

自分はキリスト教徒でも何でも無いのだから、「忘れ去られたローマ帝国の国教」であった「ミトラ教」に思いを馳せるのもいい選択かも知れ無い。

「ミトラ教」について調べてみるのも悪くは無いな。

以上、ふと思ったことを日記に書いてみた。

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2019年12月20日金曜日、「子供からの評価」。

2019年12月20日 12時15分19秒 | 日記
短いツイッターです。

ふと、突然思いついたことなのだけれども、そう言えば、「子供からの評価」、程、この世の中で全く率直で簡単で素直であり、かつ完全で完璧な評価は実際無いのだなと、よく考えればその様に思われる。

「裸の王様」の寓話で「王様は裸だ」と言ったのは、事実一人の子供だった。決して「大人」では無い。

どんなに偉い肩書や勲章をいただいている方々でも、それは「子供の心」には通用し無い。

「おじさん(おばさん)この事なんだけれども、僕(わたし)に教えて」と尋ねられる状況になった場合、自分も含めてまずほとんどの大人が、(おいおい、ちょっとマズイ事になったぞ)という不安をちょっぴりと感ずる事になる。
そして事実その質問をしたその子に明確かつ納得のいか無い回答をついうっかりと言ってしまえば、「ふーん、おじさん(おばさん)って、本当は何にも知ら無かったんだね。おじさん(おばさん)嘘つき」とたちまちにして自らが「嘘つき人間」に過ぎ無かったんだという認めたくは無い「事実」を認めざるを得無い事となるのだから。

本当に、「子供からの評価」程、逃げ出したい程「怖い」ものは無い。

どんな「権力」も「名誉」も「地位」も「勲章」も「人からの称賛」も、「子供の心」の前では、まさに「裸の王様」同然となる危険性がある。

(こんな子供からは、速く逃げたい)という「本心」が生ずる事となる。

実際、本当に「優れた物」、例えばロベルト・シューマンの「トロイメライ」や「日本昔話」「イソップ寓話」「シャーロック・ホームズ冒険集」「ドラえもん」「鉄腕アトム」等々は子供にだってその「良さ」が、はっきりと、わかる。

いやはや、「子供からの評価」、とは、恐ろしい。

教職に就かれておられる小中学校の教員達は、こうした「子供からの評価」、という「簡単で厳正なまなざし」に常に「見られている・試されている」のだから、非常なエネルギーとプレッシャーと常に闘っていたのだな。

自分は小中学生の頃、無意識に傷つけてしまった先生はい無かったかな。
が、それもまた何十年も昔の過ぎ去った「過去の事」ではないか。水に流していいのだとも思う。

そんな事より「年賀状」だ、年賀状。
来年は「ねずみ年」だったと思う。
早く書こう。

以上、何気なくふと思ったことを日記に書いておいた。

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2019年12月19日木曜日、村山さん河野さんの発言は当時の国民の大多数の考えを謝罪しただけ。

2019年12月19日 05時14分13秒 | 考古学・歴史
短いツイッターです。

日韓関係が極めて悪化している様である。
自分は決して「反日左翼」や「売国奴」では無い。
しかし、どの様に事実ーそう、「事実」なのだがーを考えてみても何かが釈然とし無いものが残る事を禁じ得無い。

自分は、雁屋哲氏の原作である「漫画 美味しんぼ」を見るのが大好きだし、大江健三郎先生の様な日本人として「ノーベル文学賞」を獲得される事は非常に並々無らぬ快挙である事と思うし、
村上春樹氏が韓国や中国の良心的で健全な若者達に熱心にその作品が読まれ高い評価を受け、ノーベル文学賞作家候補に何度もなっているという事は、同じ「日本人」として何か誇りの様なものすらささやかに感ずる。

自分などがこの様な事をあえて書くと、直ちに「コイツは反日左翼だ」「日本人では無い」「売国奴だ」「在日に決まっている」とのそしりを受けかね無い事だけれども、これはあくまでも自分の極個人的な日記に過ぎ無いのだし、幸いにして自分はいま述べた様な偉い先生方とは全くの縁の無い者に過ぎ無い。従ってこの位の事をツイッターでちょっぴりささやいても、まさか「反日左翼ブログ」のリストに載せられる心配も余計な事と思われる。

単刀直入に述べるけれども、村山さん河野さんの発言は当時の国民の大多数の考えを謝罪しただけ、に過ぎ無いのだと思う。そうでは無ければ当時生きていた大多数の日本国民は村山元首相や河野元官房長官に対して、声をうんと大にして撤回と謝罪を要求した事であろう。
が、その様な事実は無い。

21世紀に入り突然今の日本政府がせっかく村山総理大臣や河野官房長官の発言と「謝罪」をわざわざ大韓民国にまで赴いて行ったのにもかかわらず、いきなり突然態度を180度豹変させ、日本というれっきとした世界の大国の大臣クラスのお歴々までもが、「村山元首相は責任を取るべきである」「河野元官房長官を証人喚問する必要がある」といったそれこそまさに火に油を注ぐ様ないかがなものかとも思われる「発言」をすれば、当然、大韓民国の善良な国民の方々(自分は韓国の方の友人や親戚はい無いが)がそれなりの怒りと反感の様なものを、日本国に対して抱くのは、理の当然と言えば当然の事に過ぎ無いのだろうと思う。

村山元総理大臣と河野元官房長官はわざわざ成田空港からソウルにまで赴いて「謝罪」している。
それだけの話に過ぎ無いのでは、と、自分の様な全く不勉強な素人は、その様に思う。

さて、「漫画 美味しんぼ」でも読もうか、ノーベル文学賞受賞者作家の大江健三郎先生の作品でも読み、村上春樹の「ノルウェーの森」でも読もうかな。まだ読んだ事の無い事は「事実」なのだから。

以上、早朝のウォーミングアップのつもりで簡単に思ったことを極個人的な日記に書いておいた。

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2019年12月18日水曜日、日本人なのだけれども。

2019年12月18日 12時48分27秒 | 考古学・歴史
短いツイッターです。

自分はー尤も明治維新以降に産まれた方々のその多くの方々が事実そうだと思えるがー日本人なのだけれども、実際、「日本の事」については実はあまりよく知ら無い。

「南無阿弥陀仏とはどういう意味なのですか?」
「儒教とは何ですか、簡潔に教えて下さい」
「源氏物語は、どの様なお話なのでしょうか、簡単に説明して下さい」
「大晦日の『みそか』とは、どういう意味でしょうか」
「神社ではどの様な祈りの言葉が唱えられますか」

この様な質問を仮にどこにでもいる小学生や中学生に突然されても、自分は何も答えられ無い。日本人であるにもかかわらずに。

よくよくと考えれば考える程、おかしな話では無いのだろうか。
だって、自分は、日本人なのだけれども。

福沢諭吉や森鴎外、内村鑑三、新渡戸稲造、といった明治の「脱亜論者」達のありがたい教えにまんまとはまってしまっただけなのでは無いのだろうか。

日本や東洋には太古の昔から「大いに学ぶ価値のある色々な科学」という本当に「ありがたい教え」が実は本当はもっとたくさんある事に、近頃になってみて自分はだんだんと気がついて来たかの様にもまた思える。

だって、自分は、れっきとした「日本人」でありそしてまた「東洋人」であり「黄色人種」の一人に過ぎ無いという確たる事実がある。

「ヨーガ」であるだとか「気功」であるだとか「雅楽・儒教・太古からのインドや中国の教え」「古いアジアの音楽や文学・哲学・絵画・芸術作品」何を取っても選択する自由が自分にある事には間違いが無い。

自分は別に西洋人でも無ければ白色人種でも無いのだし、無論キリスト教徒ともまた違う。

「東洋のありがたい教え」か。
自分もそろそろ「西洋かぶれのインテリさん達」から、そろそろ距離を置いてみてもいいのでは無いのだろうか。西洋の文物はもう十分に学び勉強したのだなとも思える。

そろそろ「令和」も二年目になるかな。
潮時では無いのかな。

およそその様な事を、ちょっぴりと感じたので、短い日記として書いておいた。

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