匿名希望者のブログ

日記の様に思いついたことを何とは無しに書いておく。

バッハやモーツァルトは何億円ものヴァイオリンを弾いていたのでは無い。

2019年10月12日 11時32分08秒 | 音楽
短いツイッターです。

先日グリュミオー・トリオの演奏の録音で、モーツァルトの弦楽五重奏曲集を聴いていて思った事だが、アルトゥ―ル・グリュミオーは20世紀を代表したヴァイオリニストの一人でありとりわけその美しい音色が讃えられた奏者だったが、同時にまたグリュミオーはストラディバリウスをはじめとするいくつものヴァイオリンの銘器を引きこなして来た奏者である事もまた有名だった。

バッハもヴァイオリンを実際に弾いたし、モーツァルトなどはヴァイオリンの名手でもあった。

だが、バッハやモーツアルトは何億円ものヴァイオリンを弾いていたのでは無い。

ザルツブルクのモーツァルトの生家に展示されているモーツァルトが実際に弾いたヴァイオリンは、それは地元の名工が作った立派なヴァイオリンである事は確かだけれども、ストラディバりウスやアマティ、ガルネリの様に何億円もするヴァイオリンでは決して無かった。

そうしたヴァイオリンを実際のモーツァルトやモーツァルトの時代に生きていた音楽家達が弾いていた事は、タレント芸人の様なヴァイオリン奏者が何億円もするストラディバリウスを購入したという話とは別世界の問題である事に注目したい。

以上、短いメモを書いておいた。

  今はこの位にしておこう。
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2019年10月12日土曜日、「『私は音楽家になれますか』と問う者には答えは『ノー』だ」。

2019年10月12日 11時03分56秒 | 音楽
短いツイッターです。

昔、レナード・バーンスタインが生きていた頃、テレビ番組を見ていたら、興味深い事をバーンスタインが言っていたのを思い出す。バーンスタインはこう言っていた:
「『私は音楽家になれますか』と問う者には答えは『ノー』だ」、と。

若い頃の自分は、(バーンスタインは随分厳しい事を言うな)と思った。

バーンスタインは「音楽家になる者は既に音楽家になっている」ともまた言っていた。

これは文豪ゲーテが「好きな職業に就く事が大切なのでは無い。自分の仕事を好きになる事だ」という正確な引用では無いけれども、そういう意味の事を書いたのと通ずるものがあると思う。

以上、バーンスタインの指揮をするベートーヴェンの「エグモント序曲」の録音を聴いていてふと思い出したので日記に書いておいた。

  今はこの位にしておこう。
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録音が残っただけ成功したのかな。

2019年10月06日 13時07分02秒 | 音楽
短いツイッターです。

よく、歯医者さんや床屋で待っていると、いわゆるBGMが流れていて、それは誰からも鑑賞される事の無い、いわば空気の様な存在だけれども、自分はしばしばBGMに耳を傾けて注意して聴く事がある。

すると、やはりプロのミュージシャンによる演奏だからよく注意して聴いてみると上手である。

こういうBGMを演奏し録音した奏者は、きっと正規に音楽大学で勉強し卒業した人々なのだろう。

そうすると、たとえ東京芸術大学を出ていてもプロの演奏家になれるとは限ら無いのだから、こうやって誰からも聴かれる事の無いBGMの演奏でも、録音が残っただけ成功したのかな、などとつい思ってしまう。

以上、短いメモを書いておいた。

  今はこの位にしておこう。
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2019年10月6日日曜日、はっきりとした夢。

2019年10月06日 12時16分37秒 | スピリチュアル
短いツイッターです。

しばしば自分は風変わりな夢を見る。夢の「内容」自体は別にありきたりのものである。だが、その「性質」がちょっと普通とは思え無いのである。

それは、極度に、はっきりとした夢、なのである。それはもはや夢とは思えず、目が覚めるまであたかもその様な体験を自分はしていたかの様に細部まで異常にはっきりとしたものなのである。

大勢の人物が登場するのだが、現実世界やテレビなどで見た事も会った事も無い人達と自分はやり取りをしている。

そして現実には行った事も無い街に自分は住んでおり、何かアパートやホテルの部屋の様な所で自分は生活している。本当に自分がその様な部屋に住んでいるかの様に極めて鮮明なのである。

最近見た夢では、自分はその人達とサッカーか何かのスポーツの試合をするために列車に乗って移動していてその人達と会話をしている。

列車の切符を購入する自動販売機や通貨も夢というより自分がそういう所でそうした行動をしていたかの様に非常にリアリティ―がある。

だから、目が覚めた時に、目が覚めたと言うよりも今まで自分はその人達とそこで一緒に行動していたかの様に極めて鮮明な記憶が残っているから、何か非常に奇妙な感じがするのである。

以上、ふと思いついたことを日記に書いておいた。

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